2019年9月29日日曜日

ヒガンバナの賛美

 小田原教会の掲示板の下にいつの間にか彼岸花が咲いた。こちらは全く世話をしないのに毎年この季節になると咲く。スクッと空に向かって両手のように伸びた赤いその姿が主の恵みと栄えを賛美しているようだ。
 さて、我が家の庭にも?と見るが一輪もない。例年だと彼岸花がいっぱい咲くのだが、夏の終わりに雑草と一緒に球根までも掘り起こしてしまったらしい。雑草、そのままでよかったかな・・・と今にして思う。
 何もしないほうが良いときがある。何もできない時すらある。だが、いつでも、どんなことにも主に信頼を置いて感謝して生きてゆく。さあ、赤い彼岸花のように両手を天に向かって上げる。主よ、感謝します!

2019年9月22日日曜日

普段が不断であるように

 やっと一息つけるようになった。何と言っても扇風機の風より自然の風は快い。我が家の猫たちも風通しの良い場所を見つけてそれぞれのんびり過ごしている。こんな穏やかな日々があることが心底ありがたい。
 先日のこと、末猫のメルがまた行方不明になった。今度は4日ぶりに飛び込むように帰ってきた。いたずらでお困り猫だが、皆んな揃ってこそやっと落ち着ける。
 普段が普段どおりであることのありがたさは知っているつもりが、こんなことでもなければつい忘れる。
 「普段」は「いつまでも続くこと」という意味で、本来は「不断」と書くそうだ。こんな当たり前のような日々も暗雲に閉ざされる日々も主の恵みの中にいると知る。

2019年9月15日日曜日

分け合って食べる

 こんな言葉に出会った。「『共に食事をすること』が、一緒に食事をする人同士の絆を作り、確認し、深めるものであることは、ほとんどすべての民族・文化に共通することだ。食べ物を独り占めせずに、分け合って食べるというところに、人と人とのもっとも基本的な『共に生きる姿』がある」。
 主は今日も社会からはみ出されてしまった徴税人や罪人を招いて一緒に食事をする。彼らは見失われた羊、見失われた銀貨だ。社会が受け入れないこれらの人達との食事は主イエスの生き方をよ〜く示している。
 私も見失われた羊か銀貨だった!救われたありがたさが身に沁みる。パウロの宣教の原動力もこれか!

2019年9月8日日曜日

くも

 「くも」という詩がある。“空が青いから白をえらんだのです”これは奈良少年刑務所の受刑者の一人である
A少年が書いた詩だ。
 日頃寡黙な彼が語った。「お母さんは病院で『つらいことがあったら空を見て。そこにわたしがいるから』と僕にいってくれました。それが最後の言葉でした。お父さんは体の弱いお母さんをいつも殴っていた。ぼく、小さかったから何もできなくて…」。彼は青空を見て、まっ白でふわふわのおかあさんを感じている。
 朝夕に涼風の感じられるこの頃、青空に綿のように白い雲が浮かぶのを見ながら、たった一行に込められたAくんの思いの深さを知ったような気がした。

2019年9月1日日曜日

天下無敵のオシロイバナだ!

 教会の横の道ぎわにある電柱と地面の隙間からオシロイバナが自生して3ヶ月ほどになる。威勢よく茂って黄色い花がいっぱい咲き、さわやかな花蜜の香りが漂う。
 こんなわずかな隙間からよくもまあ…と思うとチョット感動的だ。きっと、アスファルトの地面の下には想像以上に潤沢な水があるに違いない。
 全く野放図に茂っていて、少々通りの邪魔になるのではと思うが、枝を折ったりする人もなく、枝を轢いて行く車もない。天下無敵のオシロイバナだ!あれはあれで通りゆく人も驚き半分で眺めているのかもしれないな。
 直径3ミリに満たないコロコロ種をこんなところで育てるなどとは、やっぱり神の業に相違ない!