2020年8月30日日曜日

だが、待て!

  8月も終盤なのに、夏の真最中といった感じの毎日である。コロナ禍も手伝って、健康な者にでさえ今年の夏の暑さはこたえるから、病気や障害を持つ方や高齢の方には如何ばかりかと気がかりである。

 「自分の十字架を背負って私に従いなさい」と主イエスは言う。十字架を負うことなどできるのか?と、このコロナ禍と酷暑の中では言いたくもある。だが、待て!自分の背負える十字架でいいのだ。「私に、今できることか」と、気を取り直して歩くことにした。歩数にして5500歩あまり。夜、湯河原の海岸を歩く。

 星空の美しいこと。寄せる波の音の響きの心地よさ。昼間の暑さは吹っ飛んで、清涼な命が吹き返す!

2020年8月23日日曜日

ビビッと響け!

  今年の夏は35度を上回るジリジリした暑さが続く。日中は前の通りを歩く人は皆無だ。そんな炎天下の中、帽子もかぶらず歩いている一人の老人を見かけた。

 「これ、古いものですが」と家人が自分の緑色の細いリボンの付いた麦わら帽子を差し出すと受け取ってかぶって行かれた。ご飯の買い出しにでも行くのだろうか?・・・それ以来、教会の前の道を「あの麦わら帽子」をかぶって行き来する老人を見かけるようになった。安心したー、役に立っているんだねー。

 さあ、暑いが頑張ろう!「あなたはキリスト、生ける神の子です」と告白したペトロの、あの生き生きした信仰告白よ、私の魂にビビッと響け!

2020年8月16日日曜日

わたしの夏の友

  私の子供の頃の夏休みには『夏の友』という学習ドリルの宿題があった。ドリルが「友」だなんて、どうしたらそういう発想になるのだろう?と思うが、私にとって当時の「友」は勿論遊びだった。夏休みは浜辺で日がな一日過ごした。そんなわけで8月の終わりは溜まった宿題をチャチャッとやっつけるはめに。

 ある時、私が描いた宿題の絵に、「ちょっと」と、父が手を出した。スケッチの趣味のあった父は、泥縄式で描いた絵を見るに見かねたのかもしれない。

 その絵、どう見てもうまく描け過ぎていた。学校に持ってゆくの、嫌だったなー・・・いまは笑い話。

 今年、私の「夏の友」はエアコンと扇風機と麦茶。

2020年8月9日日曜日

安心、安心、ああ安心

 NHK『夏休み子供科学電話相談』で、6歳の幼児の珍しい相談に思わず聞き入った。

 ブラックホールに飲み込まれるのではないかと心配で毎晩眠れないという。宇宙・天文学の専門家が幼児にもわかるように、そういう心配はないと丁寧に説明している。しかし、彼は「わかりましたか?」と聞かれて、はっきり「わかりません。」と答えた。

 この子の不安の種はブラックホールではないのだ。彼は無意識に、「安心しなさい。わたしが一緒に

いる」と言ってくださるイエスさまを必要としているのだ。安心、安心、ああ安心…と響くもの、いや、響くこと、なんでもいい。会話でも触れ合いでも。 

2020年8月2日日曜日

いっぱいあるなー

 長く逗留した梅雨も重い腰を上げて去った。しかしCovid-19との付き合いは続きそう。それどころか、ますます「切っても切れない関係」になりつつある。嬉しくないが、Covid-19は人付き合いが大好きなのだ。
 この数ヶ月、礼拝や活動の自粛を経験してきたが、牧会と宣教はいろんな方法で可能だと、今改めて思う。隣人に仕える愛の奉仕はCovid-19をむしろ媒体にして行える。私たちは自分の信仰心のことばかり、教会のことばかりであってはどうもうまくない。神はこの被造世界をお作りになったのだから、私たちに世界に仕える視点を求めておられるのではないか?
“この時期だからこそできること、いっぱいあるなー”