2020年9月27日日曜日

考え直して・・・

   あるところに父と二人の息子がいた。父親は息子達にぶどう園に行って働くように命じる。兄は「嫌だ」といったが、あとから考え直して出かけた。弟は「いいよ、行くよ」と言ったが行かなかった。

 この主イエスのたとえ話の奥深さは、兄と弟の二人しか登場しないことだと思う。もしもこの話に、「いいとも」と二つ返事でぶどう園に行って働く、そんな品行方正の3人目の息子が登場したら、主のたとえは「行いが大事だ」という話になってしまうだろう。

 人は誰でも時にはこの兄であったり、この弟であったりするのではないか?主は考え直すこと、そして心を神に向けることが鍵だという。OK、鍵をゲットだ!

2020年9月20日日曜日

慈しみの中で

  ニネベの人々が預言者ヨナの予想に反して悔い改めた。ところがヨナのこの“ちんぶくれ”ぶりはどうだ!

 ヨナがあまりに正直なので、つい「わかる、お前の気持ち」と言ってしまいそうになる。

 また、遅くからやってきてわずかしか働かない者に早くから働いた者と同じ賃金を支払うなんて不公平だというこの文句にも「そうだよね」と同情する。

 そんな時だ、主の声が耳元でささやいた。「お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。(ルカ15:31)」。弟を妬む兄への父の優しい言葉。

 ああ、そうでした!イエスさま、あなたはこれまで私を惜しみなく慈しんでこられました。

2020年9月13日日曜日

素直に頭を垂れる

 「最近の死刑についての司法判断は『一人殺せば懲役刑。二人以上なら死刑』というように、人数で割り切る傾向だ。犯罪被害者の家族に対しても心のケアや援助ではなく、『望み通り極刑にしましたよ』と、割り切った考えになってきている。」これは「NHKニュース解説:最近の裁判の傾向について」の論評だ。

 聞きながら、「眼には眼」という旧約聖書の時代が彷彿させられた。人の更生ということ、神のものである命ということについてもっと深める必要を思った。

 自分が赦されているのに仲間を赦さない。ここに心を痛めている仲間達もいる。人間の鈍さ!それにひきかえ王である主の憐れみ深さ!素直に頭を垂れる。

2020年9月6日日曜日

油断はできないが

  自粛生活とかウイズコロナとか言いながら過ごし始めて半年になるだろうか?

 Covid-19の正体も徐々に解明されてきて、どんなことに注意して生活すればいいのかがわかってきた。感染を恐れて家に閉じこもりの生活が長く続けば、感染はせずとも人間らしい豊かな生活が失われかねない。

 「このコロナの時期は…」と言って、中断していた聖書研究会、懇談や信仰入門の学びも再開した。そして、何より嬉しいことは聖餐の再開と説教原稿の代読でなく、生の説教者による礼拝に与ることができるようになったことだ。小さな町の小さな群れだからこその祝福かもしれない。もちろん油断はできないが。