湯河原教会史 ・ 洗礼盤

Ⅰ.1955年6月19日 湯河原教会宣教開始

1963年 会堂建築
1975年 宣教開始20周年(記念誌発行)
2003年 会堂改修工事。

Ⅱ.歴代牧師・宣教師

ジョン・ホーマン(1955年~1965年)
ラッセル・サノデン(1965年~1967年)
ロナルド・ヘイズ(1967年~1974年)
井上孝明(1974年~1976年)
早川顕一(1976年~1982年)
星野幸一(1982年~1988年)
栗原茂(1988年~1992年)
藤本義和(1992年~2002年)
小泉嗣(2002年~2008年)
池谷孝史(2008年~2013年)
岡村博雅(2013年~現在)

Ⅲ.活動の始まりとビジョン

 1955年、ジョン・ボーマン宣教師によって宣教が開始された。2015年には宣教60周年を迎える。当初はまだ現在の会堂はなく、近くの家に間借りをして宣教活動が行われた。そこでは、日曜日の礼拝を中心に、子どものための会(幻灯会)、週に一度の家庭集会、夏季子どもキャンプなdのたくさんの集会が行われた。ボーマン先生は自分の車に大きく聖句を書いて走らせるなど、地域の宣教に熱心に、身を粉にして奉仕をされたという。
 そのような働きにより、当時、町の人々にとって敷居の高かった教会が、身近なところとなったという。時代は変わり半世紀がたった現在も、その影響は強く残っている。
 宣教30年をすぎた頃から、会堂破損箇所の修理、建築献金の再会などの会計的な面を整理し、自立に向けて具体的活動を始めた。
 現在は、家庭的な雰囲気の中、礼拝(現在20名ほどの出席)や諸集会が持たれ、毎年クリスマス・チャリティ・コンサート、伝道礼拝、地元コーラス・グループへの会場の提供、定例の聖書の学びなど、地域(湯河原町、真鶴町、熱海市の一部)とのつながりの中で宣教活動を行っている。
 今後も地域を意識した伝道を軸にしていきたい。また、地域内・教会内とも高齢者が多いので、高齢者に対しての福音の分かち合いをしていきたい。
 今後は、ボーマン先生をはじめとする先人の働きに感謝すると共に、10年後、20年後の夢を語り合い、今できることに取り組みながら、福音伝道の継承発展をめざしている。


Ⅳ.羽釜の洗礼盤

 教会創立60周年を翌年に控えた2014年、礼拝堂のエアコンの取り付け工事がなされた際に、大きな羽釜と鍋などが会堂の屋根裏から出てきました。
 どうしてこんな物がしまわれていたのかと不思議に思う中、当時を知る信徒の方によって、これは、湯河原教会の創設者であるジョン・ボーマン牧師夫妻が、3泊4日のバイブルキャンプの炊飯に使ったものだとわかりました。
 終戦後、ボーマン青年は、進駐軍のMPとして来日しました。彼は軍務のかたわらで日本の戦災孤児の子供たちとふれあう中で、戦争で疲弊した日本の人々への福音宣教者となるようにとの召命を感じました。米国に帰国後神学校に入り、牧師となり、結婚し、若い宣教師夫妻として1954年に再来日しました。 
 ボーマン夫妻は、来日初年度、東京で日本語の研修などを受けました。その後、湯河原に着任した夫妻は、研修期間に知り合った養護施設の子どもたちのためにバイブルキャンプを企画しました。
 子どもたちに、吉浜の海に来る家族のように海水浴を楽しんでもらい、主イエス・キリストの愛を知ってもらおうと考えたのです。夫妻は生活費を取り分けて資金を貯め、何から何まで準備して30人ほどの子どもたちを招きました。この大人数を賄うために、二つの大きな釜と大鍋が用意されました。この催しは招待する子どもたちを変えながら数年間続きました。
 このような謂れを持つ羽釜は、ボーマン牧師夫妻が示された主キリストの愛の業を証しする品だと言えます。愛と献身の記念であるこの羽釜を活かしたいと検討を重ねた結果、これを当教会の洗礼盤とする案が役員会で承認され、洗礼式に用いていくことになりました。
 羽釜を載せる台座を作ってくださる方を探し求めたところ、湯河原町で注文家具などを作っておられる方が製作を引き受けてくださり、2015年12月17日に洗礼台が届けられました。
 12月20日のクリスマス主日礼拝で、さっそくこの洗礼盤を用いて洗礼式が行われました。羽釜にたたえた水を両手ですくうと、水が指の間からこぼれる音が釜に共鳴して、谷川のせせらぎのように清らかに響きました。宣教60周年の記念すべき年にこのような洗礼台を新たに与えられたことを深く感謝します。