4日に召された叔母の葬儀説教で母教会の牧師の話が印象に残った。
「晩年、惠さんはよく『私のためにお祈りください』と言われた。ある日曜日『先生、お祈りくださってありがとうございます。先生がお祈りくださっていたことがよく感じられました』と言われた。それを聞いて私は恥ずかしくもあり、申し訳ない気持ちになった。なぜならその週、私は惠さんのことを忘れていたからです」。
私は天の父はまさに祈る者と共におられるのだと知った。今日、天の父は罪ある者を婚宴に招き、おまけに礼服まで整えてくださっている。イエス・キリストという礼服を私は着るだけだ。主の礼服は軽やかで柔らかく、着心地はさぞかし良いだろう!
(マタイ22:1〜14)