2021年5月30日日曜日

主の弟子ニコデモ

  画家カラヴァッジョの傑作「キリスト埋葬」に、ニコデモはキリストの下半身を支える姿で描かれている。中央の重要なボジションで描かれたのは、この絵にニコデモの主の弟子としての姿を描きたいという画家の思いではなかっただろうか。

 キリストが十字架刑で殺された時、ニコデモは側にいてキリスト埋葬に重要な役割を果たした。ここに描かれているニコデモの姿や表情は見る者の心を打つ。

 ニコデモはある夜、主イエスを訪ねた。その時からニコデモの中で何かが変わった。聖霊の風が吹いた。正しさに生きる律法の世界ではなく、神の愛と赦しの世界に生きるよう導かれた。聖霊の風は、今も吹く。

2021年5月23日日曜日

楽しんでいます

  いつもはこちらが手紙を出すと返事をくださる長期入院の方が、今月は先に手紙をくださった。

 いつもは決まって「早く教会に行きたい」とあるのに、今月はちょっと調子が違う。「僕はギターを楽しんでいます。詩も楽しんでいます。筋トレも楽しんでいます…教会の皆様の上に主の平和をお祈りします」。

 入院生活にコロナ禍では不自由の二乗なのに「楽しんでいる」というのはとてもいいなー!この方の中に心のユトリみたいなものができて、私の心がほころぶ。

 私たちの日々の生活の中に、私たちの集いの中に、今も神が、キリストが共にいて、何かをしてくださっている。目に見えないが、それが「聖霊」の働き。

2021年5月16日日曜日

主の昇天を思いつつ

  新型コロナワクチン接種の申込みのため電話をした。 予想通り全くつながらない。二度目はHPから試してみたが、予定とにらみ合わせてまごまごしているうちに予約は埋まってしまった。わずか数分の出来事である。

 いずれ接種は受けられるのだから、予約できる時まで待つとしよう!ワクチン競争曲を聞き流し、名前も知らない小鳥たちのさえずり協奏曲に耳を傾ける。ここはいいなー。鳥たちと彼らの住処である青葉があふれている。

 ちょうどベタニアもこんなだっただろうか?緑豊かなベタニアはマルタとマリアの家、それに香油が注がれたシモンの家がある。懐かしいベタニアから私たちを祝福しながら主が天父のもとへと昇られた出来事を思う。


2021年5月9日日曜日

安心な居場所

  そこは乳幼児を含む家族四人が暮らす住居だ。二つの小さなベッドルームと小さなダイニングキッチン、そしてやはり広くはないリビングルームがある。

 ベッドルームの一つはこの家の主人の仕事部屋となっていて、居住空間には家具や日用品が溢れている。

 今、この家の猫は闘病中でそう長くはないらしい。リビングの窓際に低めでゆったりしたキャットタワーが置かれている。ここでなら病気の猫が安心して体を横たえることができるにちがいない。

 キャットタワーのその脇にベビーベッドが置かれているのを見て、私はハットとした。そして、病気の猫にも子供と同じように居場所があるのに感謝した。

2021年5月2日日曜日

主につながっていよう

 私はぶどうの木のたとえが大好きだ。

 こういう見方が科学的かどうかわからないが、葡萄の木は同じ果物を実らせる木と比べてちょっと違う。

 例えば幹と枝がはっきり区別できる林檎や蜜柑の木に比べ、葡萄の木はどこまでが幹でどこからが枝なのかはっきりしない。「わたしはまことのぶどうの木、あなた方はその枝である」と主が言う時、私達は主イエスと一緒に一つのぶどうの木を形作っているのだ。

 慈愛の父である農夫はせっせと私達を手入れして、実がなるようにと育ててくださっている。育ての父が見守ってくださるこの安心感!このぶどうの木のイメージは私を力づけ、また幸せにしてくれる。