2022年8月28日日曜日

草取りは神の親心の祝福

 草取りをしながら徳富蘆花のエッセイを思い出した。

 彼は言う。農家は6,7,8,9の月が草との合戦だ。五穀は野草に比べて脆弱だから放っておけばやられてしまう。息つく間なく取ってもキリがないと言いながら「一本抜けば、確実に一本減る」と自ら励まし、草を取る。

 彼は、「油断をすれば畑も、人の心も、あたりの社会も草だらけになってしまう」と言いながら、世界の草の種を取ることは必ずしも我らにとって幸福でないかもしれないと自戒もする。創世記3章を引用して「旧約聖書は、草は人間の罰と見た。草取りは神の人に対する親心の祝福である」と結んでいるのには驚いた。

 神の親心に答えて草を取る、そう思うと楽しくなる。

 

2022年8月21日日曜日

人も家畜も元気を回復するための日

  主イエスの当時、安息日の規定では卵一個の重さまではよし、それ以上の物を持ち運ぶことは労働とみなされたという。笑ってしまうが、似たような話が高校時代の校則にあったことを思い出した。無意味な校則のチェックに先生方は疲労したことだろう。

 安息日の律法、それはシナイ半島での選民イスラエルに対する天父の愛の配慮にほかならなかった。規範がなくては選民もただの烏合の衆だ。時代を経て安息日は奴隷や牛やろばを休ませるため(出エジプト23:12)の日となった。

 主日は「主の復活の日」だ。その主日を「喜びの日」と言われた主イエスの配慮は何かと、今思い巡らす。

2022年8月14日日曜日

麦茶が好きだ

  コップ一杯の冷たい麦茶を机に置いて、聖書を読み始める。夏の朝5時、冷房無しの爽やかな朝、しばらく主と共に過ごす。これが日課である。

 夏は水分を取らなければと、せっせと麦茶を飲む。沸かした麦茶は胃への負担が少なく、体に優しいと言うのが長年麦茶を愛用してきた私の感想だ。だが、最近の日本の夏は亜熱帯地方の暑さだ。麦茶ばかりを飲んでいてはかえって熱中症の心配がある。「シニア世代の麦茶信仰」と子どもたちは警告する。確かに環境は変化した。この夏は経口補水液と併用することにした。 

 「朝風静かに吹き 小鳥も目覚めるとき・・・」主との語らいの時、やはり私は麦茶が好きだ。

2022年8月7日日曜日

どんな中にも主の慈しみが

  年一回、牧師に与えられた休暇を喜んで迎えた。ところがこの暑さの中、家人が体調を崩して寝込んだ。

 今の時期、どこの「発熱外来」も一杯。やむなく自宅療養することに。すぐに「抗原検査キット」で、陰性だとわかったが、一週間近く寝込むことになった。

 家人が回復し始めた頃、5年ぶりに米国滞在の長男が一人で訪ねてきた。孫がやはり熱を出したためだ。

 久しぶりに親子水入らずの時を過ごした。長男の顔を見て話を聞きながら長男とその家族の過ぎ去った日々の経験を頷いて聞く。それはこの5年間の空白を埋め合わせて有り余る恵みだ。病気は嫌だが、どんな中にも主の慈しみが満ち溢れていることを実感した。