2023年12月31日日曜日

聖霊の声を聞き分ける

  シメオンの言葉は、私たちの礼拝式文で「ヌンクディミティス」(今こそ去ります)として歌われている。

 年老いたシメオンは聖霊によって神殿に導かれた。するとそこにマリアとヨセフに抱かれて幼子イエスさまがやって来た。どうしたことか、幼子を受け取る祭司はいない。シメオンは献げられた主イエスを腕に抱く。シメオンは長く待ち続けた救い主に出会えて満たされた。もう思い残すことは何もない。

 この歌は主イエスとの出会いの中で「安らかに(平和のうちに)」憩うことを願う私たち自身の祈りでもある。

 人の目には偶然だとしか思えないようなことの中に、実は神の御計らいがある。私たちが聖霊の声を聞き分ける時、シメオンのように主に出会うことができる。

2023年12月24日日曜日

「あぶう ばぶう だいじょうぶ!」

  高齢者がほとんどの私たちの教会は、このクリスマス礼拝に、初めて子供の礼拝を持つ機会を得た。長女が夫と子供たち二人を連れてやってきたからだ。

 5歳と歳の孫たちにクリスマスのメッセージを伝えるために私は1冊の絵本を選んだ。「あぶう ばぶう」(文・絵:晴佐久昌英)だ。

 聖壇に座った子供たちは赤ちゃんイエス様の誕生の話をじっと聞いてくれた。子どもたちが礼拝する姿を見るのは大人たちにとっても新鮮で喜ばしい。

 「あぶう ばぶう」しか言えない赤ちゃんイエス様は神の御子だ。絵本の中のその言葉から安心が子どもたちにも大人たちにもさざ波のように広がる。「あぶう ばぶう だいじょうぶ!」と。私にとってもこの上ない幸せなクリスマスだ。

2023年12月17日日曜日

バラ色のロウソクは輝く

 喜びのロウソクに火が灯り、アドベント第3週を迎える。ロウソクの灯火は暖かで、見つめているとほのぼのとしてくる。年の瀬の忙しさの中にあっても、礼拝に集い、御言葉に聞き、静かに自分の心と向き合う時間がこうして与えられている。幸いなことだ。

 アドベントは御子の御降誕を喜びで待つ時であると同時に、悔い改めに導かれる時でもある。今年のクリスマスはどんな新たな思いで迎えようかと、主の前に心をしずめる時、自然に悔い改めに導かれる。「自分の罪に気づくと気持ちが落ち着き、他者に寛容になれる」と、信仰入門講座で学んでいるある方が言った。

 バラ色のロウソクの灯火は私たちの砕けた魂、謙遜な心を温かに包む御子イエスの希望の輝きのようだ。


2023年12月10日日曜日

あきらめずに祈る

 暖かで穏やかな初冬である。第二次大戦以来、80年近くも平和な国に暮らしている私たちは遠い海の向こうの戦争を日々のニュースで聞くしかない。

 ウクライナでは今年も戦争が終わることなく、ガザ地区でも戦闘が続いている。私たち人類は無数の命を犠牲にすることなしには平和を実現できないのかとつくづく思い知らされる。

 テレビの映し出す悲惨な映像に目を向ける。日々命を脅かされている人々の様子は、見るに忍びない。何かをしなくてはと思う。が、何ができるのだろうか?

 「あきらめずに祈れ!」との御声。祈りは必ず平和につながる働きを私たちに作り出させてくださる。

2023年12月3日日曜日

心の機首を上げよう

 今日からアドベントだ。キリストを迎える準備の季節となった。キリスト教では一年の始まりでもある。

 「目を覚ましている」とは、目に見える、滅びゆくものではなく、目に見えない、本当に確かなもの、決して滅びないものに心を向けていることだ。この時期、目を覚まして、自身の信仰の成長を主に願いたい。

 御言葉に照らして自分を顧みると自分の弱さや足りないところが見えてくる。具体的に「こう改善しよう」と心に決めると楽しくなる。改善はどんなに小さなことであれ自分にとっては大きな挑戦だ。

 御言葉に立ち返って祈り、心の機首を上げよう。自身の霊性を深めさせてくださいと願うことは主イエスのおっしゃる「目を覚ましている」ことだから。