2024年1月28日日曜日

新しくされる

  世の中がまだ暗く、夜明けを待っていた頃、主は力強い足取りでやってこられた。そして主はご自分の口で、自ら「私はこう言う」と語りかけられた。

 主の新しい教え、それは律法学者のようにではなかった。これこれの掟の解釈は・・・とか、やれ、清めのための儀式は行ったか?とか、贖罪のための生贄を捧げたか?とか、口を開けば、律法の掟に従っているかどうかを問題にする律法学者とは全く違っていた。

 主は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)」と語りかける。そこには未来があった。希望があった。冬は去り、春はそこまで来ている。気づけば主はいつも私たちの直ぐ側におられる。

2024年1月21日日曜日

あたたかにされる誕生日

 今日20日から大寒に入る、そんな日、私は70歳の誕生日を迎えた。この頃の暖冬とは違って70年前は寒かっただろう。母は寒さの中にあって生まれたばかりの私を暖かく抱いてくれていたのだろうと、思い返された。

 今日、子どもたちや孫たちから次々と「おじいちゃんおめでとう」のビデオメッセージが送られてきた。

 「ハッピーバースデー トゥーユー」と歌ってくれているのを聞くと、手放しでニコニコとなってしまう。

 しかし、何といってもありがたいのは教会の信徒さんの一人がこの何年もの間、私の誕生日を忘れずに、誕生日カードとバースデーケーキを届けてくださったことだ。信徒さんから大事に思われるということは、私ばかりか、家族みんなを暖かく膨らませてくれる。

2024年1月14日日曜日

主イエスは天と地をつなぐはしご

 兄のエサウをだましたヤコブは、エサウの恨みを買い、懐かしい故郷を去って伯父のもとに逃れていく。

 旅の途中で日が暮れて、野宿することになった。家も寝床もなく、野原の石を枕にして眠るヤコブがその夜、天から地へと届く階段を天使が上り下りする夢を見た。

 自分の犯した罪に怯えながら、不安な一夜を過ごしたヤコブは、神の恵みが、今、ここにあることを知る。

 「自分は見捨てられていない!ここに天と地をつなぐはしごがかけられている。この場所は天と地の出会っているところだ!」と気がつく。ヤコブのこの畏れと、おののき、そして感動と喜びは如何ばかりか!

 主イエスこそ天と地をつなぐはしごだ。主イエスのはしごを上って私たちは天の父にお会いできる。

2024年1月7日日曜日

神の霊は闇に勝つ

  戦争や紛争が終わらないまま、2024年を迎えた。新年早々、地震と津波そして航空機事故が起きた。この世界は予測不可能で不可抗力の闇に覆われている。

 創世記の天と地の創造の物語には、神が創造された地は「混沌として、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」とある。確かに地は闇に覆われているのだ。しかし神の霊は、闇もろとも私たちの地を包むように動いて働きかけているという生き生きしたイメージが浮かんだ。霊が「動いている」というのは、聖書ではまるで鳩が空を舞うように動くということだ。

 主イエスの洗礼主日、「が鳩のように」天から下って主の中に入った。主イエスへの聖霊の降臨、ここに新しい創世の物語が始まった。だから闇があっても恐れない。神の霊はたゆまなく働きかけ続けている。