教会の姉妹のみかん山に「ピクニック」に行った。「暑からず、寒からず、もし雨が降ってもパラパラ程度に…」と姉妹が祈られたその通りの日になった。
教会からは11人で繰り出す。車を出して手助けをしてくださった姉妹のお孫さん、みかん山の隣の畑のおばあちゃんも参加され、総勢13人となった。
山の上はなんて心地いいんだろう!眼下に海を眺め、黄色い蜜柑に囲まれて、賛美の歌を歌い、み言葉に聞く。お昼ごはんは手作りのおにぎりだ。もぎたての甘夏、実生の枇杷を味わいながら、みんなニコニコ。
外気浴、自然の恵み、友の交わりを満喫。その夜、主は、ここちよい眠りを一人ひとりに下さったに違いない。
2016年5月29日日曜日
2016年5月22日日曜日
多様さと寛容さの群れ
先週の礼拝に御両親に連れられて赤ちゃんがやって来た。10ヶ月の乳児のもつエネルギーはすごい!なんていいんだろう!ついニコニコしてしまう。もちろん、お年寄りは文句無しにいい!けれども、この小さな赤ん坊の無限のエネルギーは皆を元気にする。
初めて会う大人の顔を、じっーと、それこそ穴の開くほど見つめる。澄んだ瞳は、わたしの心の底まで見通しているようで思わず恥じ入ってしまうくらいだ。
図らずも「教会は0歳から百歳過ぎまで、いろんな人が集うのがいい」と誰かが言った。確かに、この多様さと寛容さこそが主イエスの愛される群れ、教会の姿だ。来たれ、子どもよ!今週から「子供食堂」が始まる。
初めて会う大人の顔を、じっーと、それこそ穴の開くほど見つめる。澄んだ瞳は、わたしの心の底まで見通しているようで思わず恥じ入ってしまうくらいだ。
図らずも「教会は0歳から百歳過ぎまで、いろんな人が集うのがいい」と誰かが言った。確かに、この多様さと寛容さこそが主イエスの愛される群れ、教会の姿だ。来たれ、子どもよ!今週から「子供食堂」が始まる。
2016年5月15日日曜日
聖霊に導かれて
新緑の美しい季節となった。緑の枝をさらさらとゆすらせながら気持ちの良い風が吹いている。聖霊は風のように思いのままに吹く。そして、その聖霊に導かれて、突然ひとりの若者が教会にやって来た。
聖書を読んでいてわからないことがあるから教えて欲しいという。話してみて、彼が聖書を実によく読んでいるのに驚いた。インターネットでキリスト教の動画を見て感銘を受けて以来、聖書を読むようになったという。生活を通して、聖書の言葉を素直に受け止めているのが新鮮だ。わたしの方こそ生きかえる。
聖霊の風に吹かれて、人は新たに生まれることができると主は言われた。今日、きっと聖霊の風は吹く。
聖書を読んでいてわからないことがあるから教えて欲しいという。話してみて、彼が聖書を実によく読んでいるのに驚いた。インターネットでキリスト教の動画を見て感銘を受けて以来、聖書を読むようになったという。生活を通して、聖書の言葉を素直に受け止めているのが新鮮だ。わたしの方こそ生きかえる。
聖霊の風に吹かれて、人は新たに生まれることができると主は言われた。今日、きっと聖霊の風は吹く。
2016年5月8日日曜日
主よ、母をありがとう
おかあさんは ぼくを 一ばんすき!
ぼくは おかあさんを 一ばん すき!
かぜ ふけ びょうびょう
あめ ふれ じゃんじゃか
これはまど・みちおの「おかあさん」という詩だ。お母さんと子どもは相思相愛だ。たとえ嵐が襲ってきても平気。この安心感の中で、子どもは育つ。
2016年5月1日日曜日
天を仰いで
先日、叔母の急用に迫られて鎌倉に行き、叔母の知り合いのTさんを訪ねた。彼は隠れキリシタンの殉教者の地蔵があるから、牧師の私にぜひ見てほしいと言って五所神社の境内に案内してくださった。
社殿の隅に数体の石仏が並び、その中に他のものとは違う小さな地蔵があった。着物姿、長い髪を背中で束ねた女性だ。膝をついて後ろ手に縛られている。しかし、天を仰ぎ祈っている。その穏やかで平和な表情に惹きつけられた。
ふと、殉教者聖ステファノが思い浮かんだ。聖霊に満たされて、天を見つめる彼の表情はきっとこの様だったに違いない。古びたキリシタン地蔵に、野の花が優しく捧げられていた。
社殿の隅に数体の石仏が並び、その中に他のものとは違う小さな地蔵があった。着物姿、長い髪を背中で束ねた女性だ。膝をついて後ろ手に縛られている。しかし、天を仰ぎ祈っている。その穏やかで平和な表情に惹きつけられた。
ふと、殉教者聖ステファノが思い浮かんだ。聖霊に満たされて、天を見つめる彼の表情はきっとこの様だったに違いない。古びたキリシタン地蔵に、野の花が優しく捧げられていた。
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