人間は肉体としての「見る」という機能を科学の力で発展させてきた。レンズやレントゲンなどは人間が見る力を追求してきた結果である。
だが、主イエスの昇天の姿は科学を駆使しても見ることはできない。ひとえに心の目、信仰の目が開かれる事による。
礼拝で、司式者は手を上げて祝福する。それは主イエスが、手を上げて弟子たちを祝福しながら天に上げられたからである。
この主キリストの普遍的な姿を心の目を開かれた弟子たちは見ることができた。
心の目を開いていただくと、今まで見ていても気づかずにいたものが、そうだったのかとわかってくる。
今日は主の昇天主日である。