2017年1月29日日曜日

主の「召し」

 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」主イエスがこう声をかけると、ペテロは網を捨て主に従った。聖書は実に潔いペテロの姿を描く。
 私の父の名は巌、ペテロという名前だ。父も潔い生き方をした人である。自分を主張をするというのではなく、主の「召し」を全面的に受け入れて僻地医療に生きた人である。かつて私はこんな父に反抗した。
 しかし、人はこの主の「召し」を受け入れて生きることが実は安心なのだとわかってきた。主がお召しになったのだから、責任は召した方、主が取って下さるのだから。わたし達はただ、すべてを捨てて、その「召し」を受け入れるだけ。それは主の愛の業だから。