2019年9月15日日曜日

分け合って食べる

 こんな言葉に出会った。「『共に食事をすること』が、一緒に食事をする人同士の絆を作り、確認し、深めるものであることは、ほとんどすべての民族・文化に共通することだ。食べ物を独り占めせずに、分け合って食べるというところに、人と人とのもっとも基本的な『共に生きる姿』がある」。
 主は今日も社会からはみ出されてしまった徴税人や罪人を招いて一緒に食事をする。彼らは見失われた羊、見失われた銀貨だ。社会が受け入れないこれらの人達との食事は主イエスの生き方をよ〜く示している。
 私も見失われた羊か銀貨だった!救われたありがたさが身に沁みる。パウロの宣教の原動力もこれか!