2018年3月25日日曜日

愛せ。一致せよ!

 寒かったり、暖かかったりしながら春が来た。とうとう、教会の庭のチューリップが赤と黄色に実に可愛らしく咲き始めた。見ただけで心躍る。生命(いのち)とは愛であることがこれほどよく分かるものはない。
 今週は棕櫚の主日から始まる受難週に当たる。主はエルサレムで最後の時を迎えようとしておられる。聖月曜日から聖金曜日まで、そしてイースターへ向かって神の定めた救いの時は今日から刻々と進む。
 主は聖木曜日、十字架にお掛かりになる前に教えられた。生命とは愛である。だから、愛が憎しみによって分裂したとき、人は死ぬ。教会も死ぬ。分裂してはいけない。愛せ。一致せよ!(ヨハネ第一4:7−21)

2018年3月18日日曜日

創造の業を満喫する

 久しぶりの快晴、小田原朝祈会に説教奉仕をさせて頂くために、早起きして海岸沿いの国道を走る。
 丁度、春の太陽が上り、海の面には百万燭光の光の道が出来る。この神の創造の業を満喫するのは、まったくの恵みだ。
 今、この国道を通っている人たちは皆、この景色、眺めているんだ!このすばらしい景色を「ああ、いいなー」って感じているんだ!前の車、崖を曲がったところで、しだいにゆっくりとなった。ああ、右手前方には霞がかった三浦半島が・・・それを見てるんだ!
 神は罪人のわたし達を、恵みのうちに限りなく包んでくださっているのだと、しみじみ思いながら通る。

2018年3月11日日曜日

思い巡らし、心に留めます

 しだいに日は長くなり、暖かくなってきました。格別に冷たくて寒くて乾燥した冬も終わりそうです。
 この数日間は雨がよく降りました。おかげで乾燥していた庭がすっかり潤いました。水仙は咲き終わりましたが、気がついてみると教会の庭のチューリップが他の草花と一緒に大きくなり始めています。神の命がこれらの植物に絶え間なく注がれているんですね。
神の決して終わることのない地上でのすばらしい御業を感謝します。
 今日から四旬節の第四週です。自然ばかりか、私たちの人生においても主が為してくださっている一つひとつのことを思い巡らし、心に留めます。

2018年3月4日日曜日

あら、これだったの!

 歌声ばかりで姿が見えねど・・・と書いた画眉鳥(ガビチョウ)だが、その正体がわかった。
 その日の朝も、突然静けさを突き破って、高らかなさえずり声で目が覚める。ふむ!なんだかおかしい。いつも同じ鳴き方ではないか?どうも今朝は窓の外からと言うより家人の枕元あたりから聞こえてくるではないか・・・?ひょっとして、スマホ?あっ!この鳴き声、スマホから聞こえてくる!」
 当の人は自ら選んで「鳥のさえずり」を起床タイムに設定していたことをすっかり忘れていたらしい。ガラ携の私を尻目に一足先にスマホにした家人、目覚ましサウンドを再生して、「あら、これだったの!」。

2018年2月25日日曜日

四旬節に

 先日、用事があって先輩のT牧師に電話をかけたたが留守だった。「実は、灰の水曜日から一週間山ごもりをしていてね・・・」と後から連絡があった。
 ある姉妹は、教会家族や隣人の名前を「あ」から初めて、あ・い・う・え・お順に祈っているということを聞いた。また、別の姉妹は四旬節の間は、おやつを断って過ごすことにしたそうだ。
 我が家では、この時節を自分の弱さと不十分さをすべて主の恵みに委ねて過ごせるようにと、「謙遜」の小さな献金箱を作ってテーブルに置いた。
 冬の寒さはもうしばらく続く。しかし四旬節はイースターという光に向かって過ごす一日一日だ。

2018年2月18日日曜日

目覚ましどころでない

 1月のある朝、突然、夜明けとともに鳥たちの鳴き交わす澄んだ響きで目が覚めた。その響きは軽快で、音階やリズムは微妙にそして大胆に変化する。言葉で形容できず、音声で真似できず、人間の音楽の常識を超えている。以来毎朝、ほぼ決まった時間にやって来て、数分鳴いたあと飛んで行く。聲はすれども姿は見えずの主(ぬし)への興味は深まるばかり。
 野鳥の声の図鑑で調べてみると、画眉鳥(ガビチョウ)だとわかった。中国からペットとして輸入されたのが自然の中に放たれ、野生化したという。
 今朝も、澄み切った、大音量の目覚まし時計に起こされる。朝だ、朝だ。お日様おはよう!

2018年2月11日日曜日

小さな木の芽を見ながら思う

 立春も過ぎ、確実に日差しが伸びてきた。まだ寒いとはいえ、朝の日差しを浴びて、庭先の紫陽花の新芽は勢いが良い。よく見ると、枝ごとにポコポコ付いている新芽たちが何やら人間の顔に見えてくるのがたまらなくおかしい。あどけない、嬉しそうな表情だ。
 そう言えば、昔子供たちに読み聞かせた絵本を思い出した。名前は確か『木の芽合唱団』だったかな・・?
「僕らは、僕らは、木の芽だよ。パッパ、パッ、パッ、パッの木の芽だよ・・・」と元気に歌っていたっけ。
 小さな木の芽を見ながら神の親心を思う。今日は主イエスが山の上で、私たちに天の国をチラッと見せてくれた日だ。「さあ、これで元気になれるね!」と。

2018年2月4日日曜日

やんちゃ坊主も学んだらしい

 先日、ヒーターをつけてから間もなく、何やら焦げ臭い。毛糸の焦げる臭いだ。慌てて台所を見回すが火は使っていない。だとするとヒーターしかない!
 案の定、末猫のメルがちょこんとヒーターの上に座り、すまし顔で人一倍長い尻尾を垂れていた。尻尾の先の内側が黒く焦げて、毛先には針の先ほどの火の粉が点々とついていた。慌ててメルを抱き下ろしたが、焦げた純毛の毛は指でこするとそこだけ無くなってしまった。メルには気の毒だが思わず爆笑してしまった。
 石油ファンヒーターは温風どころか、間近では熱風が出るのだ。以来、やんちゃ坊主も学んだらしい。"ヒーターの上では尻尾は丸めること"と。

2018年1月28日日曜日

大満足の誕生日

 わたしの誕生日はこの1月だ。土曜日なので、誕生日祝いは当然のように<無し>となった。牧師にとって土曜日は翌日の日曜日のための日だからだ。
 心のどこかで子供たちから"Happy birthday"メールが来ることを期待した。しかし、翌日は何もなく、翌々日、LINEに長男から突然のメッセージが入った。「父さん、誕生日?」と長男。「イエス」と私。長男「やっぱり、なんか忘れてるなーってさ」。「お誕生日おめでとう!」「お父っつあん、I Love You」。すぐ長女からケーキと花束のスタンプがLINEで送られてきた。
 嬉しいじゃないか!大満足の誕生日だ。この一言、<誕生日おめでとう I love you>これで充分。

2018年1月21日日曜日

あの日、あの時、あの場所で

 それは主イエスがヨハネから洗礼を受けてほぼ2ヶ月余り経った、2月の終わり頃のことだ。早春の陽射しは明るく強くなり、何かが始まろうとしていた。
 そんなある日、シモン・ペテロとアンデレ、そしてヤコブとヨハネの二組の兄弟は主イエスに出会った。ガリラヤ湖で彼等は網を打って、漁をしていた。主は福音宣教をするために、この日彼等を招かれた。
 主イエスに出会った喜び、招かれた喜びをなんと言えば良いのだろう。新しい何かが始まる!
 「あの日、あの時、あの場所で、君に会えなかったら・・・」主イエスとの出会いもだ。私にも、あなたにも「あの日、あの時、あの場所」がある。

2018年1月14日日曜日

ウルトラマンの星も

 今日も絵に描いたような冬型の天気だ。朝に青空を吸い込み、夜には星空を仰ぐ。しかし満天の星を眺めても、星音痴の私にわかるのはオリオン座くらいだ。
 この冬、ラジオの「冬休み子共科学電話相談」で、「ウルトラマンの星のM78はどこにあるんですか?」と小さい子が質問していた。答えに聞き耳を立てた。
 オリオン座の三ツ星の一番東側の星の上の方にあるぼんやりした星雲で、地球からの距離は1600光年だ。とっても遠いんだよと先生。「ウルトラマンはそこで生まれたんだよー」とその子は元気に言った。
 今晩もオリオンの腰に下げた剣を見つめながら、気の遠くなる光年の距離も神の御手の中だと思えた。

2018年1月7日日曜日

飛行雲

 2018年の新しい年が明けた。雲一つない青空を飛行機雲が頭上をぐんぐん上ってゆく。天空に躍り出たでっかい白龍がうれしくて、思わずしばらく見とれてしまった。ホラ、足もある、尻尾だって伸びてきた・・・

   大空を 真っ二つや 飛行雲
 
 わたし達はキリストにあって日々新しくされ、新しい人として生きる。それは「自分は自分、他人は他人」ってことじゃない。聖霊はわたし達をキリストにある一致に向かって大胆に導き続けておられる!

2017年12月31日日曜日

神の恵みを頂く器

 宗教改革500年の記念の年、2017年も今日で終わりだ。教会の外壁に張り出してあるマルティン・ルターの肖像の入った大きなバナーともいよいよお別れかと思うと、少々寂しい。
 中学生たちが教会の前を、「あっ、ルターだ!」と言って指差して通って行くのを二三度見た。彼等は授業で「ルターは宗教改革のヒーロー」だって習うのだろうか?もしそれだけなら、ちょっと理解が浅い。
 私たちもそして君達も、人間はみな神の恵みを頂く器として愛されて今を生きているのだよとルターは伝えたんだ。聖書はその恵みの神について書いてある。
 このツィートを読んだら、教会にぜひ来て欲しい。

2017年12月24日日曜日

満ち足りる幸い

 羊飼いたちは、天使の言葉を受け入れて、そして、ベツレヘムに急いだ。幼子イエス様のいる厩を見つけるのは、きっと簡単じゃなかったんだと思う。
 でも諦めずに、厩から厩へと訪ね続けた。そして、とうとう幼子が眠っている飼い葉桶をみつけたとき、それはもう、喜んだ。「天使のお告げ通りだ!」
 厩も、飼葉桶も質素だった。しかし、神様は御子の誕生に必要なものを満たしてくださった。幼子イエス様が与えられて、マリヤとヨセフは満ち足りていた。
 昔々のクリスマスの夜、羊飼いたちはこの不思議な光景を見て信じたと聖書は伝える。クリスマスは神の無償のプレゼント。満ち足りる幸いを今に伝える!

2017年12月17日日曜日

ハレルヤ三唱

 今年もクリスマス・チャリティコンサートで「メサイア」を聞いた。中学生の頃、クリスマスが近づくと「クリスマスはメサイアよ!」と叔母がよく言っていたことを思い出す。しかし、当時の私は「メサイア?それ、いったい何のこと?」と、思っていた。
 後になって、「メサイア」はヘブル語のメシアのことで、「油を注がれた者」の意味だと知った。それは神様から特別の使命を与えられた者に対して使われた言葉で、そこから「救い主」の称号となった。
 「ああ、メサイアって、イエス・キリストのことか!」と大いに納得して以来、主キリストは私のメサイアとなって共に歩んでくださっている。ハレルヤ三唱!

2017年12月10日日曜日

ネガティブ・ポジティブ

 アドヴェントのこの季節、思わぬ恵みに与った。
 家人はコンビニでクリスマスカードをコピーして、それをクレジットカードで支払った。丸一日経った翌日、カードをコピー機に忘れてきたことに気がついた。かつて米国でカード被害にあった経験のある家人は青くなった。私は「たかだかコピー代にカード払いは不注意すぎる」と、家人の傷口にさらに塩を塗ってしまった。
 しかし、感謝なことにカードはコンビニの店頭に届けられていた。ありがとう!どなたかの誠実さに助けられました!
 家人のミスも私のネガティブ発言もすっかりおおわれて、なお余りある恵みだった。ネガティブは罪だが、恵みはあくまでもポジティブだと心にしみる。

2017年12月3日日曜日

りんりんりんりんと

 アドベントは忙しいが、一年で一番心が躍るときだ。クリスマスの準備をしながら次第に心が整えられる。
 忙しい合間にシュトーレンブレッドと紅茶でホット一息つくのはアドベントのこの時期の格別の楽しみだ。
 嬉しい、楽しいクリスマスがやってくる。・・・子どものすーきなイエス様のお生まれなさったこのよい日・・・である。
 子ロバのように、子どものように、イエス様をお迎えしたい。りんりんりんりんと遠くから聞こえてくる鈴の音のように、イエス様の訪れに耳をかたむけながら・・・今日から待降節が始まった。

2017年11月26日日曜日

争いから交わりへ

 日本福音ルーテルと日本カトリックの宗教改革500年共同記念礼拝が長崎の浦上教会で行われた。11月23日のことだ。
 この500年の間、ルーテル教会とカトリック教会とは、主キリストと福音を信じながら、別々の教会であるかのように歩んできた。そういう私達が、この場に一同に会している。「今ここに、こうしているということは本当に素晴らしい。恩寵だ!」そう思っただけで私のテンションは否応なく上がった。
 ルターの宗教改革から500年、第二バチカン公会議から50年余り、私達は「和解と一致と交わり」によって、キリストの平和へと招かれた。さらなる融和と交わりに、聖霊が導いてくださる。

2017年11月19日日曜日

主よ、しばしお待ちを

 イエス様のたとえ話は幾重にも意味が重なっていて簡単ではない。今日の愚かな乙女たちの慌てふためきも、万事ヌケヌケの私には身につまされる。肝心な時に居眠りをし、その上、灯火を灯すための油を切らしている。人生の正念場においてなすべき準備を怠っていたという愚かな乙女たちの話だからだ。
 しかし、油店までの距離がもっと近かったなら、彼女たちもなんとか婚宴に間に合っていたかもしれない・・・「問題は距離と時間だ」などと、土壇場になっても私の頭はひたすら回転する。
 だが、遅い遅いと思っていた花婿は突然目の前に。主よ、しばしお待ちを・・・私今すぐ油、買って来ます!
(マタイ25:1〜13)

2017年11月12日日曜日

…ムニャムニャ…

 「ルターと宗教改革500年」というラジオ番組が楽しい。NHKのラジオ第一とインターネット放送の<らじる★らじる>で、江口再起先生がルターと宗教改革について分かりやすく教えてくださっている。
 毎週火曜日の夜8時半と10時の2回の放送だ。私はインターネットで<聴き逃し>をクリックしては寝る前にかけながら聞き、いつのまにか眠ってしまう。
 神学生だった頃はルターの神学はいかめしく思えたものだが、こうして今ラジオから聞くルターは親しみやすく、暖かく感じられるから不思議だ。神の義は恩寵として与えられるということを聞きながら眠る。この安心さこそ福音…ムニャムニャ…