2024年2月4日日曜日

そこでも私は宣教する

  主イエスが宣教を初めたのはカファルナウムだ。主は会堂で教え、悪霊を追い出し、病人を癒やした。

 今、主は言われる、「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも私は宣教する。私はそのために出てきたのである」。この主の宣教は数えきれない多くの教会と信徒たちによって2000年もの間、引き継がれてきている。宣教は順位を争わない駅伝競走のようだと思う。

 私達の湯河原教会もボーマン宣教師によって宣教が開始されて69年の年月がたった。その間、宣教師と牧師合わせて10人が宣教と牧会を担ってきた。私は11人目のランナーであった。

 この春、このバトンを次の牧者に渡して引退する。主イエスの宣教のバトンを握りしめて走ってこられたことを心から光栄に思う。