2024年2月25日日曜日

十字架を担う生き方はたくましい

「自分の十字架を担って主に従う」とは、どんなイメージだろうか?苦しいという負のイメージか?

 たしかに、一生に一度の命をかけた十字架というのがある。他者のために自分の命を犠牲にするといった主と同じ道を往く人の十字架だ。

 だが、平凡でも、私たちの日々そのものも十字架ではないだろうか。思うようにならない時があってもステゼリフをはかず、毎日のルーティンをこなす。また失敗して自分の弱さにがっかりしても、その弱さに踏み留まる。捨て鉢にならず、自己否定に陥らず、弱い自分からまた始めてゆく。それは静かだが、たくましい生き方だ。自分の十字架を担いながら主に従う時、主との共同作業の喜びを私たちは必ず味わう。