主イエスが生まれつきの盲人の眼を癒やされた話は、見えなかった者が見えるようにされ、主に従う者へとかえられた霊的な恵みのできごとでもある。
英国で黒人奴隷貿易に携わったジョン・ニュートンは嵐の海で命拾いをして、悔い改めに導かれた。彼が作詞した賛美歌「アメイジン・グクレイス(驚くばかりの恵み)」に「かつては迷ったが、今は見つけられ、かつては盲目であったが、今は見える」と言う歌詞がある。あたかもこの盲人の魂の叫びのようだ。
牧師となったニュートンは奴隷貿易禁止運動を推進する。「神の驚くばかりの恵み、それはなんという心地よい響きだろう!」と神の恵みは歌い継がれる。
2017年3月26日日曜日
2017年3月19日日曜日
満足の涙が
施設での「歌の会」に参加していたYさんは、「私は歌が大好きだから」と言いながら、元気にわたし達を迎えてくれた。話を伺ってから、「今日は訪問聖餐にお伺いしました」と言うと、自室へ案内してくれた。
ご自分は車椅子のままで、私にベットに腰掛けなさいとすすめてださる。この夏108歳になるYさんからこんなもてなしを受けるとは・・・と感動しつつ、感謝して聖餐に与っていただいた。
“主われを愛す/主は強ければ/われ弱くとも/恐れはあらじ/わが主エス、われを愛す”と歌う。聖餐と讃美を通して主がYさんの内側から触れてくださった。Yさんから涙が溢れる。主から潤された満足の涙が。
ご自分は車椅子のままで、私にベットに腰掛けなさいとすすめてださる。この夏108歳になるYさんからこんなもてなしを受けるとは・・・と感動しつつ、感謝して聖餐に与っていただいた。
“主われを愛す/主は強ければ/われ弱くとも/恐れはあらじ/わが主エス、われを愛す”と歌う。聖餐と讃美を通して主がYさんの内側から触れてくださった。Yさんから涙が溢れる。主から潤された満足の涙が。
2017年3月12日日曜日
猫のマーブル
猫のマーブルが来週退院と決まった。下顎にはまだワイヤーが入り、牙も折れたが、獣医師のお陰で、とうとう自分の顎を使って食べることができるようになった。おまけに眼の先天性障害も治してもらった。車にひかれたにも関わらず九死に一生を得た。
会いに行くと、すぐにゴロゴロ擦り寄って来てはひっくり返り、お腹を出して甘えてくる。半ノラなのに警戒心がなくおとなしい性格だ。思わず撫でてしまう。
全幅の信頼を寄せてくるマーブルのために、どうか飼い主を与えてほしいと願う。
“マーブルを飼って下さる方を探しています。少し長めの短毛の黒猫、人懐こい可愛い性格の猫です。”
会いに行くと、すぐにゴロゴロ擦り寄って来てはひっくり返り、お腹を出して甘えてくる。半ノラなのに警戒心がなくおとなしい性格だ。思わず撫でてしまう。
全幅の信頼を寄せてくるマーブルのために、どうか飼い主を与えてほしいと願う。
“マーブルを飼って下さる方を探しています。少し長めの短毛の黒猫、人懐こい可愛い性格の猫です。”
2017年3月5日日曜日
レントには
3月1日(灰の水曜日)から四旬節(レント)が始まった。「四旬節」という言葉は40日間のことで(復活祭までの6回の日曜日を入れて実際には46日間)、40日はもともと断食の日数だった。たとえ、わたし達は断食をしないまでも、この時期には、「祈り、節制、愛の行い」が強く勧められている。
しかし、今日は、天の父の愛の中でゆっくり心と身体を休める日だ。まずは、父と子と聖霊の愛の交わりの中にどっぷり浸かって、主に賛美と感謝を捧げたい。
天の父が赦してくださったように、自分自身を赦し、天の父が愛してくださったように、自分自身を愛する。そうすればだんだん他者への愛と赦しも増してゆく。
しかし、今日は、天の父の愛の中でゆっくり心と身体を休める日だ。まずは、父と子と聖霊の愛の交わりの中にどっぷり浸かって、主に賛美と感謝を捧げたい。
天の父が赦してくださったように、自分自身を赦し、天の父が愛してくださったように、自分自身を愛する。そうすればだんだん他者への愛と赦しも増してゆく。
2017年2月26日日曜日
喜びが増し加わる
熱が続き、両手がパンパンに腫れてしまった叔母がとうとう入院した。痛風かリュウマチか、それとも感染症なのか診断はつかず、主に祈る。先日の夜、病院に叔母を見舞うと、驚いたことに手の腫れがすっかり引いていた。笑顔で私を迎えてくれた叔母の手を取って感謝の祈りを捧げる。
一方、交通事故で大怪我をした猫のマーブルも下顎の手術をしてもらい、鼻からカテーテルで流動食をとって、少しずつ回復してきている。会いに行くと、ゴロゴロ言いながらお腹を出してくれる。
大変な中にも感謝することの多い日々だ。感謝が大きければ大きいほど、喜びが増し加わる。
一方、交通事故で大怪我をした猫のマーブルも下顎の手術をしてもらい、鼻からカテーテルで流動食をとって、少しずつ回復してきている。会いに行くと、ゴロゴロ言いながらお腹を出してくれる。
大変な中にも感謝することの多い日々だ。感謝が大きければ大きいほど、喜びが増し加わる。
2017年2月19日日曜日
きっと助かる!
生まれつき目の悪い半ノラ猫のマーブルが車に撥ねられた。血を吹き出すマーブルを車に乗せて近くの獣医師のところへ。しかし病院は休診日。K姉妹に助けを求める。彼女の案内で、数分後に別の獣医さんに診てもらうことができた。手術の必要な重篤な状態だとわかってO市の動物病院に連れていった。
「助けてやってください」と言う家人の懇願に、「もちろんです」との返事に力づけられる。こちらの事情を知って、費用の面でも協力を申し出てくださった。
いまマーブルは手術を受けて生きている。主よ、感謝します。一羽の雀でさえ父の許しがなければ地に落ちることはないと主は言われた。マーブルはきっと助かる!
「助けてやってください」と言う家人の懇願に、「もちろんです」との返事に力づけられる。こちらの事情を知って、費用の面でも協力を申し出てくださった。
いまマーブルは手術を受けて生きている。主よ、感謝します。一羽の雀でさえ父の許しがなければ地に落ちることはないと主は言われた。マーブルはきっと助かる!
2017年2月12日日曜日
主よ、カバンを
Iさんが天の父のもとに召された。忘れもしない2013年のクリスマスに、私が牧師として初めての洗礼を授けたのが彼であった。すでに病を得ておられて、その後は入退院を繰り返しながら、忍耐強く闘病生活を送られた。
政治家の秘書という経歴からだろう、「元気になったら岡村牧師の鞄持ちをして、牧師がどんなことをしているのか知りたい」と、よく冗談に言っておられた。
いまごろは、御国の門に出迎えてくださったエス様に「主よ、主のカバンを・・・」と、言っているのかもしれないなと、そんな情景を想像させられるほどに、Iさんの最後の顔は嬉しそうに輝いていた。
政治家の秘書という経歴からだろう、「元気になったら岡村牧師の鞄持ちをして、牧師がどんなことをしているのか知りたい」と、よく冗談に言っておられた。
いまごろは、御国の門に出迎えてくださったエス様に「主よ、主のカバンを・・・」と、言っているのかもしれないなと、そんな情景を想像させられるほどに、Iさんの最後の顔は嬉しそうに輝いていた。
2017年2月5日日曜日
私たちにたくされている
米国では、難民やイスラム教徒の一時入国禁止の大統領令が出された。早速、米国福音ルーテル教会の現任主教から署名入りの抗議声明文が発表された。
ルター派のキリスト者の先駆者達が祖国を逃れる苦しみを経験し、米国で暖かく迎えられたことに触れながら、米国は歴史的に人種、国籍、宗教によって迫害された人々が、その脅威から逃れる避難場所となってきたと述べる。それは聖書の証言に基づくのであって、米国にとって最良の伝統でもあると訴えている。
「わたしは、ちょうどめんどりが雛を翼の下に集めるようにお前たちを集めた」(エズラ記1:30)。主のみ言葉の実現は私たちにたくされている。
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ルター派のキリスト者の先駆者達が祖国を逃れる苦しみを経験し、米国で暖かく迎えられたことに触れながら、米国は歴史的に人種、国籍、宗教によって迫害された人々が、その脅威から逃れる避難場所となってきたと述べる。それは聖書の証言に基づくのであって、米国にとって最良の伝統でもあると訴えている。
「わたしは、ちょうどめんどりが雛を翼の下に集めるようにお前たちを集めた」(エズラ記1:30)。主のみ言葉の実現は私たちにたくされている。
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米国福音ルーテル教会 現任主教 エリザベス・イートンの署名文
弱い立場にある難民の入国を一時的に禁止する大統領令は、私たちの安全を保障するものではなく、私たちのキリスト者としての価値観を反映するものでもない。アメリカに移住する難民は、人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の団体との関連による迫害を逃れてきた者たちである。彼らは、政府の複数の情報機関による安全保障審査を無事に終えるために一年以上を優に費やしており、その期間中は、多くの場合危険にさらされながら、完全なる異文化の中で暮らしていた。ルター派のキリスト者として、私たちの先駆者たちの多くは、祖国を逃れる苦しみとアメリカ各地のコミュニティで温かく迎えられる喜びを経験している。私たちが歴史を通じて行ってきたように、私は、選挙で選出された我が国の政府関係者に、私たちの聖書に立つ証言を尊重し、また脅威からの避難場所という我が国の最良の伝統に対して敬意を払うよう強く訴え、難民の移住計画の縮小に繋がるいかなる政策に対しても、断固として立ち向かうことを宣言する。
Rev. Elizabeth
Eaton, Presiding Bishop of the Evangelical Lutheran Church in America:
“Temporarily
banning vulnerable refugees does not guarantee our security nor reflect our
values as Christians. Refugees being resettled in the United States have fled
persecution because of their race, religion, nationality, political views or
association with a particular group. They have waited well over a year to
successfully complete security screenings by multiple intelligence agencies
while living in a completely foreign culture, many times, still facing danger. As
Lutherans, many of our ancestors faced the pain of having to flee our homes and
the joy of being welcomed in new communities across the United States. As we
have done throughout history, I urge our elected officials to honor our
biblical witness as well as the best of our nation’s traditions of refuge and
stand firmly against any policies that result in scaling back the refugee
resettlement program.”
2017年1月29日日曜日
主の「召し」
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」主イエスがこう声をかけると、ペテロは網を捨て主に従った。聖書は実に潔いペテロの姿を描く。
私の父の名は巌、ペテロという名前だ。父も潔い生き方をした人である。自分を主張をするというのではなく、主の「召し」を全面的に受け入れて僻地医療に生きた人である。かつて私はこんな父に反抗した。
しかし、人はこの主の「召し」を受け入れて生きることが実は安心なのだとわかってきた。主がお召しになったのだから、責任は召した方、主が取って下さるのだから。わたし達はただ、すべてを捨てて、その「召し」を受け入れるだけ。それは主の愛の業だから。
私の父の名は巌、ペテロという名前だ。父も潔い生き方をした人である。自分を主張をするというのではなく、主の「召し」を全面的に受け入れて僻地医療に生きた人である。かつて私はこんな父に反抗した。
しかし、人はこの主の「召し」を受け入れて生きることが実は安心なのだとわかってきた。主がお召しになったのだから、責任は召した方、主が取って下さるのだから。わたし達はただ、すべてを捨てて、その「召し」を受け入れるだけ。それは主の愛の業だから。
2017年1月22日日曜日
本当に、本当に美味しいよ
遅くなって夕食の準備に取りかかる。前日に家人が買っておいた牡蠣が冷蔵庫にあった。
大好な牡蠣フライが食べたいが、手間がかかるなぁと、言い出せない。無理して作ってもらっても、この前のようになってはと、衣がはがれたり、ひと餅になったかわいそうなカキフライの姿を思い出した。
しかし、家人は手早く牡蠣を塩水で洗い、衣を丁寧につけ始めた。わたしも油を火にかけて準備する。十数分後、きつね色の美味しそうなカキフライが揚がった。「今日はあなたの誕生日だから」と家人が言う。そうか、今日のカキフライは僕の誕生日のお祝いなんだね。ありがとう。本当に、本当に美味しいよ。
大好な牡蠣フライが食べたいが、手間がかかるなぁと、言い出せない。無理して作ってもらっても、この前のようになってはと、衣がはがれたり、ひと餅になったかわいそうなカキフライの姿を思い出した。
しかし、家人は手早く牡蠣を塩水で洗い、衣を丁寧につけ始めた。わたしも油を火にかけて準備する。十数分後、きつね色の美味しそうなカキフライが揚がった。「今日はあなたの誕生日だから」と家人が言う。そうか、今日のカキフライは僕の誕生日のお祝いなんだね。ありがとう。本当に、本当に美味しいよ。
2017年1月15日日曜日
尖った声を出してしまった
集会から戻ってくると、牧師館に至る脇道をブロックして車が2台止まっている。しかも運転者が居ない。
「こんな所に車を置くなんて非常識だ!」と憤慨して道路脇に車を止めた。見ると隣の門で運転者らしき女性2人が、しきりに何やらやっている。
次の予定もあって気が急く。「車をどけて下さい。入れないんですけれど!」と、非難めいた、尖った声を出してしまった。女性たちはそそくさと車に乗り込むと無言で走り去った。
こういうときこそ一呼吸入れる祈りが大事なのにパニクってしまった。寛容さを欠いた私の言葉を主イエスは何と聞かれただろうか。
「こんな所に車を置くなんて非常識だ!」と憤慨して道路脇に車を止めた。見ると隣の門で運転者らしき女性2人が、しきりに何やらやっている。
次の予定もあって気が急く。「車をどけて下さい。入れないんですけれど!」と、非難めいた、尖った声を出してしまった。女性たちはそそくさと車に乗り込むと無言で走り去った。
こういうときこそ一呼吸入れる祈りが大事なのにパニクってしまった。寛容さを欠いた私の言葉を主イエスは何と聞かれただろうか。
2017年1月8日日曜日
ルターとクラーナハ
この正月、上野の西洋美術館に出かけた。『クラーナハ展』でルターの肖像画の本物を見るためだ。
ルカス・クラーナハはルターと同時代に宮廷画家として活躍した人で、ルターの友人でもあった。クラーナハの描いたルターの肖像画は宗教改革500年のバナーでも親しみ深い。この肖像画は、実際はルター夫婦が一対である肖像画だということがわかった。温かみのある二人の表情に庶民の幸せを感じる。
初めて見るルターのドイツ語訳『新約聖書9月版』に見入った。クラーナハの微細な木版の挿絵入りの黙示録のページに、諸刃の剣が口から出ている「人の子」の姿があった。おお、これがかの聖書か!と感じ入る。
ルカス・クラーナハはルターと同時代に宮廷画家として活躍した人で、ルターの友人でもあった。クラーナハの描いたルターの肖像画は宗教改革500年のバナーでも親しみ深い。この肖像画は、実際はルター夫婦が一対である肖像画だということがわかった。温かみのある二人の表情に庶民の幸せを感じる。
初めて見るルターのドイツ語訳『新約聖書9月版』に見入った。クラーナハの微細な木版の挿絵入りの黙示録のページに、諸刃の剣が口から出ている「人の子」の姿があった。おお、これがかの聖書か!と感じ入る。
2017年1月1日日曜日
新しい気持ちで
新しい2017年を迎えた。今年も、なすべきことを一歩一歩、忍耐強く誠実にやらせてくださいと祈る。それが信仰者の生き方の基本だと思うから。信仰のこと、魂のことこそ基本を大切にして、一つ一つやっていかなければ全て壊れてしまうからだ。
「魂のことは目に見えない。だから壊れる時は本人も誰も気づかぬうちに崩壊してしまう。信仰者が大切に守ってきたもの。教会が一つ一つ積み重ねてきたもの。その遺産の上にあって我々もまた一つ一つささやかな石を積んでいかなければ、神の恵みにとうてい答えられない」とは大先輩の言だ。
この言葉を新しい気持ちで心に刻んだ。
「魂のことは目に見えない。だから壊れる時は本人も誰も気づかぬうちに崩壊してしまう。信仰者が大切に守ってきたもの。教会が一つ一つ積み重ねてきたもの。その遺産の上にあって我々もまた一つ一つささやかな石を積んでいかなければ、神の恵みにとうてい答えられない」とは大先輩の言だ。
この言葉を新しい気持ちで心に刻んだ。
2016年12月25日日曜日
キリストの平和がなった夜
1914年12月、第一次大戦下のドイツ軍とイギリス軍はクリスマスのこの日もベルギーの首都ブルッセルの緩衝地帯を挟んでそれぞれが塹壕の中にいた。光は見えず、希望はなく、彼らは暗闇の中にいた。
ところが、ドイツ軍の塹壕の中で一人の兵士が「きよしこの夜」を歌い始めた。他の兵士たちが一緒に歌い初め、その歌声がイギリス兵士たちに届く。そして思いがけずに双方での大合唱となった。この日、政府が決めたわけでもなく、将校たちの誰が決めたのでもなく、兵士たちが自発的に休戦をした。ああ、御子の誕生!
主イエスキリストはあなたの心を照らす光。暗闇に輝く希望、平和。クリスマスおめでとう!
ところが、ドイツ軍の塹壕の中で一人の兵士が「きよしこの夜」を歌い始めた。他の兵士たちが一緒に歌い初め、その歌声がイギリス兵士たちに届く。そして思いがけずに双方での大合唱となった。この日、政府が決めたわけでもなく、将校たちの誰が決めたのでもなく、兵士たちが自発的に休戦をした。ああ、御子の誕生!
主イエスキリストはあなたの心を照らす光。暗闇に輝く希望、平和。クリスマスおめでとう!
2016年12月18日日曜日
主のもとに帰ってくる
「なんだか嬉しいことが続くね」と妻と話す。
今朝、クリスマスカードを受け取った。「不思議な神様の導きで、このクリスマスに洗礼を受けることに・・・」と書かれていた。6年前の宣教研修の時に出会ったSさんからだ。当時不登校の高校生だった。
お昼には、礼拝から遠退いていたKさんが教会に来た。そして、しばらく連絡がとれなかった病気療養中の方からも手紙が届いた。夜になって、求道中のIさんから電話があった。「仕事のシフトが変わったので、来週から聖書の学びに行きます」と。
みんな主のもとに帰ってくる。希望、平和、喜び、そして今日は4本目、愛のロウソクに火が灯る。
今朝、クリスマスカードを受け取った。「不思議な神様の導きで、このクリスマスに洗礼を受けることに・・・」と書かれていた。6年前の宣教研修の時に出会ったSさんからだ。当時不登校の高校生だった。
お昼には、礼拝から遠退いていたKさんが教会に来た。そして、しばらく連絡がとれなかった病気療養中の方からも手紙が届いた。夜になって、求道中のIさんから電話があった。「仕事のシフトが変わったので、来週から聖書の学びに行きます」と。
みんな主のもとに帰ってくる。希望、平和、喜び、そして今日は4本目、愛のロウソクに火が灯る。
2016年12月11日日曜日
水と白湯だけで
アドベントの一日を主に捧げようと思い、丸一日水と白湯だけで過ごした。初めての断食である。
驚いたことに時間がゆっくり流れていく。そして、自分は自分の満足のために何かを工夫して一所懸命に取り組むというようなことを実は一日中、一年中、続けていたのだということに改めて気づかされた。
空腹になって、空っぽになってみると、そんな満足へのこだわりからほんの少し解放される。お腹を空っぽにするように自分自身へのこだわりを空っぽにできたら、きっとその隙間を神が満たして下さる。きっと、神の世界を自由に生きる喜びを味わえるに違いない。アドベント第3週、喜びのろうそくに火が灯る。
驚いたことに時間がゆっくり流れていく。そして、自分は自分の満足のために何かを工夫して一所懸命に取り組むというようなことを実は一日中、一年中、続けていたのだということに改めて気づかされた。
空腹になって、空っぽになってみると、そんな満足へのこだわりからほんの少し解放される。お腹を空っぽにするように自分自身へのこだわりを空っぽにできたら、きっとその隙間を神が満たして下さる。きっと、神の世界を自由に生きる喜びを味わえるに違いない。アドベント第3週、喜びのろうそくに火が灯る。
2016年12月4日日曜日
届けたくて
誕生日カードを届けたくて、その方の家を探した。今日はその方の誕生日、その日だからだ。この当たりらしいが、定かではない。番地も表札も出ていない。はたして、電気や水道の検針をする方は困らないのだろうか?と思ったりした。
歩いて、訪ねて、探してみてふと思った。主もまた一人の魂の居所をたずねて、歩いて、探しておられるに違いない。しかし、その足取りは喜びいさんで、勢い良く、疲れを知らない。その人が大切で、大切で、救いたくって仕方がないからだ。
そう思うと、また元気が出た。ろうそく2本にあかりが灯る。今週は待降節第2週だね。
歩いて、訪ねて、探してみてふと思った。主もまた一人の魂の居所をたずねて、歩いて、探しておられるに違いない。しかし、その足取りは喜びいさんで、勢い良く、疲れを知らない。その人が大切で、大切で、救いたくって仕方がないからだ。
そう思うと、また元気が出た。ろうそく2本にあかりが灯る。今週は待降節第2週だね。
2016年11月27日日曜日
平年並みでないクリスマスを
あんなにきれいな紅葉はハゼの木に違いないと、左手の山々の紅葉にチラチラ見とれながらカーブを曲がる。すると、海を望んで右手に雪化粧した山々が現れた。昨日降った54年ぶりだという雪のせいだ。紅葉と雪の山が同時に楽しめるなんて滅多にない。
このあたりでは11月には雪は降らないと言うのが平年並の気候だ。平年並みとは過去30年間の気候の平均だそうだ。平均であれば平均と同じ気候の年など一度もないということだ。
今日からアドベントが始まる。毎年迎えるクリスマスもやっぱりどこか違うはず。心に主を迎える準備に平年並なんてないんだね。今年も小さな回心一つ!
このあたりでは11月には雪は降らないと言うのが平年並の気候だ。平年並みとは過去30年間の気候の平均だそうだ。平均であれば平均と同じ気候の年など一度もないということだ。
今日からアドベントが始まる。毎年迎えるクリスマスもやっぱりどこか違うはず。心に主を迎える準備に平年並なんてないんだね。今年も小さな回心一つ!
2016年11月20日日曜日
参道を降って登って
人を初めて訪ねるときは、いつもグーグルマップでお宅の場所を検索して出かける。伊豆山神社の石段の横に目的のお宅はあるらしく、カーナビに神社をセットして出発。ここまではいつも通りだ。
さて、神社の境内に車を止めたものの、そこから先がわからない。付近の家を一軒一軒見て回るが目当ての家は見つからない。親切なお店の人、通りがかりの人が一緒になって探してくれた。スマホを持っている人がさらに下に続く参道付近だと教えてくれた。
階段の苦手な家人の手を引いて、気が遠くなるほどの階段を一段一段降りた。いったい何段?ついに、探し当てた。が、帰りは登り。いやー、いい運動だった!
さて、神社の境内に車を止めたものの、そこから先がわからない。付近の家を一軒一軒見て回るが目当ての家は見つからない。親切なお店の人、通りがかりの人が一緒になって探してくれた。スマホを持っている人がさらに下に続く参道付近だと教えてくれた。
階段の苦手な家人の手を引いて、気が遠くなるほどの階段を一段一段降りた。いったい何段?ついに、探し当てた。が、帰りは登り。いやー、いい運動だった!
2016年11月13日日曜日
ルターのすすめ
信仰入門講座で学んでいる『小教理問答書』だが、改めてルターの信仰理解の深さに驚かされている。
例えば、十戒のうちの「あなたは隣人について偽証をしてはならない」であるが、ルターは「隣人をだましたり、裏切ったり、悪口を言ったり、あるいは悪い評判をたてたりするな」という禁止の中に、さらに主の福音を読み取る。「隣人を弁護し、隣人について良いことを語り、すべてを善意に解するように」と。
ルーテル教会の信徒であったドイツ系アメリカ人の知人は、子どもたちに「友達の悪いところではなく良いところを話すように」と教えていたことを思い出す。そうだ、不平や愚痴もまた福音から遠いと覚えたい。
例えば、十戒のうちの「あなたは隣人について偽証をしてはならない」であるが、ルターは「隣人をだましたり、裏切ったり、悪口を言ったり、あるいは悪い評判をたてたりするな」という禁止の中に、さらに主の福音を読み取る。「隣人を弁護し、隣人について良いことを語り、すべてを善意に解するように」と。
ルーテル教会の信徒であったドイツ系アメリカ人の知人は、子どもたちに「友達の悪いところではなく良いところを話すように」と教えていたことを思い出す。そうだ、不平や愚痴もまた福音から遠いと覚えたい。
2016年11月6日日曜日
湯タンポ
心地の良い季節になった。青く澄んだ秋の空に桜の紅葉が美しい。温暖な湯河原もさすがに朝は冷え込んできた証拠だ。朝方、目が覚めると猫達が揃って布団に入り込んで眠っている。そろそろ冬の支度にと、今年は湯タンポを買ってみた。
使ってみて驚いた。湯タンポはシニア世代の愛用品だとばかり思っていたが、以外に使い心地が良いではないか!足の触れるか、触れないかの所に置くだけで布団の中はポカポカと温かい。有り難いことに、夜中にトイレに立つ回数が減った。
身体にも環境にも優しい湯タンポが気に入ったのは私ばかりではない。我家の猫も勿論、目を細めている。
使ってみて驚いた。湯タンポはシニア世代の愛用品だとばかり思っていたが、以外に使い心地が良いではないか!足の触れるか、触れないかの所に置くだけで布団の中はポカポカと温かい。有り難いことに、夜中にトイレに立つ回数が減った。
身体にも環境にも優しい湯タンポが気に入ったのは私ばかりではない。我家の猫も勿論、目を細めている。
2016年10月30日日曜日
決戦の日曜日
今年の日本シリーズがおもしろい。ちょこちょこラジオに聞き耳を立てたり、ちらちら横目でテレビ画面を眺めて観戦したりしている。
ゲームは雰囲気に呑まれることもあるというが、広島ファンのあの赤一色の燃えるような熱気と白一色で白熱した日本ハムファンの姿が印象的だ。
ところで、7戦まで観戦したい私とすれば、土曜はタイになり、そして次が「決戦の日曜日」と願いたい。
・・・が、我が家には全く興味のない人が一人いる。話しても反応がないばかりか、「ラジオの音は小さくね」と言われる。嗚呼!一度でもプロの生観戦に連れていけばよかったな。
ゲームは雰囲気に呑まれることもあるというが、広島ファンのあの赤一色の燃えるような熱気と白一色で白熱した日本ハムファンの姿が印象的だ。
ところで、7戦まで観戦したい私とすれば、土曜はタイになり、そして次が「決戦の日曜日」と願いたい。
・・・が、我が家には全く興味のない人が一人いる。話しても反応がないばかりか、「ラジオの音は小さくね」と言われる。嗚呼!一度でもプロの生観戦に連れていけばよかったな。
2016年10月23日日曜日
そうすれば
叔母が圧迫骨折で2度目の入院をして2週間余りになる。夕方ちょっと顔を見に行くが、たいていはぐっすり眠っている。耳が遠いので話しかけても目を覚まさない。手を握ったり腕を擦ったりして帰って来る。
昨日のことだ。やっと目を覚ました叔母は、「とっても身体が楽なのよ。皆さんよく協力してくださって…」と言う。見れば本当に穏やかな表情だ。
前回は、入院早々から認知症がひどくなると言われ続けて、叔母も緊張していたし、こちらも疲れた。物事には両面あるが、心配を口にすることは決してプラスじゃあない。まず神を畏れ、愛すべきだ。そうすれば「すべてのこと相働きて益となる」と言えるんだ。
昨日のことだ。やっと目を覚ました叔母は、「とっても身体が楽なのよ。皆さんよく協力してくださって…」と言う。見れば本当に穏やかな表情だ。
前回は、入院早々から認知症がひどくなると言われ続けて、叔母も緊張していたし、こちらも疲れた。物事には両面あるが、心配を口にすることは決してプラスじゃあない。まず神を畏れ、愛すべきだ。そうすれば「すべてのこと相働きて益となる」と言えるんだ。
2016年10月16日日曜日
神に選ばれた人たち
娘の住む米国の小さな町が、ハリケーンで街と幹線道路が水没し孤立。電気と水と食料が絶たれた。車からスマホをチャージしてLINEで知らせてきて知った。
やもめが不正な裁判官に「裁判をして、私を助て」っと叫んでいる。このやもめは神に選ばれた人だ。このやもめのように「昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちを、神はいつまでもほうっておかれない」と主イエスは言われる。
もう一週間以上。あなたの今の状況、すごく大変だよね。でもこの今の試練は神の選びの中にあるって受けとめると、なんだか勇気が湧いてくるよね。
主のために頑張って!みんな祈っている。
やもめが不正な裁判官に「裁判をして、私を助て」っと叫んでいる。このやもめは神に選ばれた人だ。このやもめのように「昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちを、神はいつまでもほうっておかれない」と主イエスは言われる。
もう一週間以上。あなたの今の状況、すごく大変だよね。でもこの今の試練は神の選びの中にあるって受けとめると、なんだか勇気が湧いてくるよね。
主のために頑張って!みんな祈っている。
2016年10月9日日曜日
内覧会に招待され
お隣に延べ面積約一千坪の創価学会の文化会館が完成して、その内覧会に招待されて行ってきた。
基礎工事から完成まで一年半がかかった。会館は震度7にも耐えうるという。いざという時は、町の災害時の避難所として提供したい。だから門戸は施錠していないという。そうだ、それでこそ宗教だと納得する。
そういうわたし達も、あの半端でない騒音と塵埃とを気にかけないよう、よく協力してきたものだと振り返る。正直なところ、重荷を背負っているあの人のこと、この人のことを考えると、騒音に気を取られる暇もなかった。主に感謝することは、毎日の生活のどんなことにもあると気付かされた。「主よ、感謝します」。
基礎工事から完成まで一年半がかかった。会館は震度7にも耐えうるという。いざという時は、町の災害時の避難所として提供したい。だから門戸は施錠していないという。そうだ、それでこそ宗教だと納得する。
そういうわたし達も、あの半端でない騒音と塵埃とを気にかけないよう、よく協力してきたものだと振り返る。正直なところ、重荷を背負っているあの人のこと、この人のことを考えると、騒音に気を取られる暇もなかった。主に感謝することは、毎日の生活のどんなことにもあると気付かされた。「主よ、感謝します」。
2016年10月2日日曜日
わたしはそれを満たそう
月が変わってカレンダーをめくる。忙しい月だったが、今年も後3枚を残すのみとなったと気づいて驚く。時間が速く過ぎ去る実感は年ごとに加速する。
「少年老いやすく、学成りがたし」「一寸の光陰、軽んずべからず」のことわざが頭をよぎるも、還暦を過ぎれば、「時すでに遅し」の感がしないでもない。が、そこはキリスト者の強みがある。
気を取り直して聖書に向かう。すると、こんな言葉が目に入った。「口を広く開けよ、私はそれを満たそう」(詩篇81:11)。口ばかりか、目も耳も手足も使い、マインドをオープンにすれば、恵みはあふれるばかりだねと主がおっしゃる声が聞こえた。
「少年老いやすく、学成りがたし」「一寸の光陰、軽んずべからず」のことわざが頭をよぎるも、還暦を過ぎれば、「時すでに遅し」の感がしないでもない。が、そこはキリスト者の強みがある。
気を取り直して聖書に向かう。すると、こんな言葉が目に入った。「口を広く開けよ、私はそれを満たそう」(詩篇81:11)。口ばかりか、目も耳も手足も使い、マインドをオープンにすれば、恵みはあふれるばかりだねと主がおっしゃる声が聞こえた。
2016年9月25日日曜日
キリストの花嫁
施設で暮らしていた◯さんが天に召された。ご高齢だった。主が最後の時にも共にいてくださった事がわかる、そういう静かな表情だった。
これまでお訪ねするたびに、若く美しい花嫁姿の◯さんの写真が机にぽつんと立ててあって、彼女の寂しさが伝わって来た。そんな時は、聖餐と讃美と祈りがそこにいるわたし達を満たしてくれたものだ。
神は見えない、確かめられない。だが、もし私たちの間に慈しみと愛と信頼があれば、そこに神はおられる。人間の愛はあてにならないが、神の愛は完全だ。今ごろ◯さん、あの花嫁姿で天国に入場している頃だろうか。キリストの花嫁として。
これまでお訪ねするたびに、若く美しい花嫁姿の◯さんの写真が机にぽつんと立ててあって、彼女の寂しさが伝わって来た。そんな時は、聖餐と讃美と祈りがそこにいるわたし達を満たしてくれたものだ。
神は見えない、確かめられない。だが、もし私たちの間に慈しみと愛と信頼があれば、そこに神はおられる。人間の愛はあてにならないが、神の愛は完全だ。今ごろ◯さん、あの花嫁姿で天国に入場している頃だろうか。キリストの花嫁として。
2016年9月18日日曜日
神の助けによって
先週、娘の結婚式があった。
「あなたは、◯が病気の時にも、健康な時にも、他の者が見捨てるような時にも、夫/妻として守りますか」。この中で「他の者が見捨てるような時にも」という誓いの言葉がスゴイ!
少し前の話になるが、罪を犯した息子の面会で、ある母親が涙をこらえながら息子に言い切った言葉を思い出す。「でも、私はどんなことがあっても、あなたのお母さんだから」。この時もスゴイと思った。愛は神からのもの。
新郎新婦は「神の助けによって、約束します。」と答えた。神の助けに支えられて幸せに!
「あなたは、◯が病気の時にも、健康な時にも、他の者が見捨てるような時にも、夫/妻として守りますか」。この中で「他の者が見捨てるような時にも」という誓いの言葉がスゴイ!
少し前の話になるが、罪を犯した息子の面会で、ある母親が涙をこらえながら息子に言い切った言葉を思い出す。「でも、私はどんなことがあっても、あなたのお母さんだから」。この時もスゴイと思った。愛は神からのもの。
新郎新婦は「神の助けによって、約束します。」と答えた。神の助けに支えられて幸せに!
2016年9月11日日曜日
とうとう見つけたぞ!
羊飼いの囲いから迷い出た一匹の羊も、女が無くした一枚のドラクメ銀貨も、自分がどんなに探されているか気付かない。
それでも羊の方は生きていて草を食んでいたり、不安になってメイメイ鳴いていたりするかもしれない。
しかし銀貨の方は、家の片隅でただホコリの中に埋もれてじっとしているばかりである。「親の心子知らず」ということわざがぴったりの主イエスの喩え話だ。
見つけた方がどれだけ真剣に捜したか。そして見つけた時にどれほど喜んだか。この神の忍耐、愛、喜びを知る時、本当に深い安心感、喜び、信頼、感動が起こってくる。神の大きな喜びは神の忍耐の表裏だ!
それでも羊の方は生きていて草を食んでいたり、不安になってメイメイ鳴いていたりするかもしれない。
しかし銀貨の方は、家の片隅でただホコリの中に埋もれてじっとしているばかりである。「親の心子知らず」ということわざがぴったりの主イエスの喩え話だ。
見つけた方がどれだけ真剣に捜したか。そして見つけた時にどれほど喜んだか。この神の忍耐、愛、喜びを知る時、本当に深い安心感、喜び、信頼、感動が起こってくる。神の大きな喜びは神の忍耐の表裏だ!
2016年9月4日日曜日
秋よ、お出で、お出で!
9月になった。ギラギラ太陽は変わらずだが、すでに風には秋の気配がただよう。暑かった夏もそろそろ終わりだ。
さて、この夏もっぱらエコ生活を通したはずだが、返って肥ってしまった。朝食は口当たりのよいシリアルと豆乳、昼食は蕎麦、夕食は素麺を食べて過ごしたからだろうか。そろそろ夏前の生活に戻したいが、実際はまだまだ暑い。なるべく火を使わないエコ炊事の食事はもうしばらく続きそうだ。
小田原からの帰り道、今日はススキの子が白い穂を風に揺らしていた。「秋よ、お出で、お出で!」と呼んでいるようだ。
さて、この夏もっぱらエコ生活を通したはずだが、返って肥ってしまった。朝食は口当たりのよいシリアルと豆乳、昼食は蕎麦、夕食は素麺を食べて過ごしたからだろうか。そろそろ夏前の生活に戻したいが、実際はまだまだ暑い。なるべく火を使わないエコ炊事の食事はもうしばらく続きそうだ。
小田原からの帰り道、今日はススキの子が白い穂を風に揺らしていた。「秋よ、お出で、お出で!」と呼んでいるようだ。
2016年8月28日日曜日
きっと地球は報いてくれる
これ以上暑い日が続くと「エコ生活はもう無理!」と音を上げた頃、台風がやってきた。束の間の涼だ。
子供の頃、夏はここまで暑くはなかったと記憶する。この異常な暑さも地球温暖化が原因なのか?と戦後人類の環境破壊という罪責感が頭をかすめる。
地球は過去3億年に渡って、空気中の酸素濃度を21%に保ってきた。酸素がたった1%増えるだけで山火事は消えず、森林は消え去るという。
地球は生きている。あらゆる生き物がお互いに働き合ってこの均衡を保っている。いま謙遜に、人は地球に生きる命の一つだということを思い巡らす。謙遜に自然を尊べば、きっと地球は報いてくれる。
子供の頃、夏はここまで暑くはなかったと記憶する。この異常な暑さも地球温暖化が原因なのか?と戦後人類の環境破壊という罪責感が頭をかすめる。
地球は過去3億年に渡って、空気中の酸素濃度を21%に保ってきた。酸素がたった1%増えるだけで山火事は消えず、森林は消え去るという。
地球は生きている。あらゆる生き物がお互いに働き合ってこの均衡を保っている。いま謙遜に、人は地球に生きる命の一つだということを思い巡らす。謙遜に自然を尊べば、きっと地球は報いてくれる。
2016年8月21日日曜日
変わり始めている
オリンピック、日本選手の応援をしながら、私としては珍しくテレビを見た。選手の一球に、「そこだ!」、「よっしゃ!」と心の中で叫ぶ。もうハラハラドキドキの連続だ。生中継は全く心臓に悪い。
日本の選手が失敗するのがやるせない。負けるのが気の毒。そこで、結果を知ってのダイジェスト版を見る。窮地に陥っても、ケセラセラと楽しめる。
なんといってもオリンピックだ、ちょっとナショナリズムに浸ってしまった。しかし、気がついたのだが、今回は柔道でも、陸上でもハーフの選手の活躍がちらほら目についた。こんな風景は米国では普通だった。日本も変わり始めている。いいじゃないか!
日本の選手が失敗するのがやるせない。負けるのが気の毒。そこで、結果を知ってのダイジェスト版を見る。窮地に陥っても、ケセラセラと楽しめる。
なんといってもオリンピックだ、ちょっとナショナリズムに浸ってしまった。しかし、気がついたのだが、今回は柔道でも、陸上でもハーフの選手の活躍がちらほら目についた。こんな風景は米国では普通だった。日本も変わり始めている。いいじゃないか!
2016年8月14日日曜日
これは私の独り言
今夏、我が家は暑さと熱い戦いをしている。
エアコンは使わず、窓という窓、戸という戸は全開、よしずとすだれで日光をさえぎり、庭の緑に水を撒く。冷やしタオルで首を巻き、扇風機の風に吹かれて、うちわで扇ぎ、一息入れる。「ああ、涼しい!」。
エコ生活を特別に心がけているというわけではないが、猫たちが自由に出入りする我が家では、部屋を閉めきってエアコンを入れるのは難しい。
玄関先の道を通る人たちが猫たちに声をかけていくのが聞こえる。「可愛いね〜」。この一言で家人は報われるらしい。「エコで行くわよ!」と宣言している。
付き合うしかないな・・・これは私の独り言。
エアコンは使わず、窓という窓、戸という戸は全開、よしずとすだれで日光をさえぎり、庭の緑に水を撒く。冷やしタオルで首を巻き、扇風機の風に吹かれて、うちわで扇ぎ、一息入れる。「ああ、涼しい!」。
エコ生活を特別に心がけているというわけではないが、猫たちが自由に出入りする我が家では、部屋を閉めきってエアコンを入れるのは難しい。
玄関先の道を通る人たちが猫たちに声をかけていくのが聞こえる。「可愛いね〜」。この一言で家人は報われるらしい。「エコで行くわよ!」と宣言している。
付き合うしかないな・・・これは私の独り言。
2016年8月7日日曜日
ドッカーン
「ドッカーン」と心の臓に響く最初の一発が鳴った。
「あっ、花火が始まった!」と、二階の窓からさっさと屋根に出た家人に続いて私も屋根へ。
十字架塔の隣に色とりどりの火の花が咲いては消え、消えては咲いている。ここから花火が見えるとは、知らなかった!
ヒュ〜〜と火の玉が高く上って、いったん闇に消え、次の瞬間、空を覆う大輪の花。そして「ドッカーン」と轟音。この4尺玉には胸がすく。
みんなのためにとばかりに、ドッカン、ドッカンと打ち上がる。「宵越しの銭は持たぬ」とばかりの潔さがいい。
ついでだが、聖書の話の「愚かな金持ち」(ルカ12:13ー21)に、みんのための潔さを少し煎じてあげたらどうだろう?
「あっ、花火が始まった!」と、二階の窓からさっさと屋根に出た家人に続いて私も屋根へ。
十字架塔の隣に色とりどりの火の花が咲いては消え、消えては咲いている。ここから花火が見えるとは、知らなかった!
ヒュ〜〜と火の玉が高く上って、いったん闇に消え、次の瞬間、空を覆う大輪の花。そして「ドッカーン」と轟音。この4尺玉には胸がすく。
みんなのためにとばかりに、ドッカン、ドッカンと打ち上がる。「宵越しの銭は持たぬ」とばかりの潔さがいい。
ついでだが、聖書の話の「愚かな金持ち」(ルカ12:13ー21)に、みんのための潔さを少し煎じてあげたらどうだろう?
2016年7月31日日曜日
素直な感性
毎年楽しみに聞いているNHKのラジオ番組『夏休み子ども科学電話相談』が今年も始まった。
「どうして地球にだけ酸素があるんですか?」といった質問に混じって、「どうして動物は歯を磨かないの?」という5歳児の質問があって、思わず笑ってしまう。
こんな素朴な質問にも、第一線で活躍している各分野の専門家が身近な経験を通しながら説明している。中には「へぇーぇ!」「そうなんだ!」を連発しながら聞いている子どもがいる。驚いて目を丸くして聞いている様子が想像できて、微笑ましい。
素直な感性は主のほめられるところだ。この夏、ラジオを通して子どもの感性に養われるのも楽しい。
「どうして地球にだけ酸素があるんですか?」といった質問に混じって、「どうして動物は歯を磨かないの?」という5歳児の質問があって、思わず笑ってしまう。
こんな素朴な質問にも、第一線で活躍している各分野の専門家が身近な経験を通しながら説明している。中には「へぇーぇ!」「そうなんだ!」を連発しながら聞いている子どもがいる。驚いて目を丸くして聞いている様子が想像できて、微笑ましい。
素直な感性は主のほめられるところだ。この夏、ラジオを通して子どもの感性に養われるのも楽しい。
2016年7月24日日曜日
ある宗教では・・・
ちょうど米国に滞在していた頃、『ダ・ヴィンチ・コード』という小説がヒットして映画が作られた。イエスはマグダラのマリアと結婚し、子孫がいるというフィクションに全米の真面目クリスチャンが憤った。
いま思い出しても吹き出してしまうのだが、私たちの教会でも一人のシニアの男性が興奮して言った。「私は、今までトム・ハンクス(主人公役)は大好きだったが、もう、嫌いだ!」。中年の男性がすぐ冷静に言った。「彼は俳優だ。彼は俳優なんですよ!」。
これと同様のことが起きている。ポケモンGOが配信された。進化するポケモンはある宗教には反するという。私も叫ぶ。「これはゲームだ。遊びなんだ!」と。
いま思い出しても吹き出してしまうのだが、私たちの教会でも一人のシニアの男性が興奮して言った。「私は、今までトム・ハンクス(主人公役)は大好きだったが、もう、嫌いだ!」。中年の男性がすぐ冷静に言った。「彼は俳優だ。彼は俳優なんですよ!」。
これと同様のことが起きている。ポケモンGOが配信された。進化するポケモンはある宗教には反するという。私も叫ぶ。「これはゲームだ。遊びなんだ!」と。
2016年7月17日日曜日
留まらず・・・
明るいニュースがあった。外出先で家族とはぐれ、捜索願の出されていた91歳のおばあさんが、高1の男子生徒の機転と親切によって無事家族のもとに戻った。清々しい笑顔の若者の写真を眺めながら、善行は主の喜ばれるところだと、素直に嬉しい。
だが、「善きサマリヤ人」の喩え話は、「一日一善」のような話とは根本的に違う。主は律法学者の「自己正当化」に対する答えとして、この話をされた。
自分を正当化し、気づかぬうちに人を区別し、そういう自分に留まってはいないだろうか?と自問する。有り難いな!この喩えは、自分の中にもある律法主義、原理主義という自己正当化の罪に気づかせてくれる。
だが、「善きサマリヤ人」の喩え話は、「一日一善」のような話とは根本的に違う。主は律法学者の「自己正当化」に対する答えとして、この話をされた。
自分を正当化し、気づかぬうちに人を区別し、そういう自分に留まってはいないだろうか?と自問する。有り難いな!この喩えは、自分の中にもある律法主義、原理主義という自己正当化の罪に気づかせてくれる。
2016年7月10日日曜日
ヨナだけではない
異邦の民、敵国アッシリアの都ニネベに遣わされた預言者ヨナはこの召命を「快し」とせず、逃亡した。
大魚に飲まれて、救い出されたヨナは回心してニネベに行って預言した。すると、王も民も家畜に至るまでが悔い改めた。ヨナにとってこの結果は意外だった。
怒って、すねて砂漠の中で座り込むヨナを、主はトウゴマを生やして熱気から守られた。しかし、翌日にはトウゴマは枯れて、ヨナの怒りは頂点に達した。
主のみ心がわからないのはヨナだけではない。主の憐れみには選民と異邦人の区別はもとより、何の差別もない。主は右も左もわきまえないこの私を愛し、この私が滅びるのを惜しみ、救ってくださった。
大魚に飲まれて、救い出されたヨナは回心してニネベに行って預言した。すると、王も民も家畜に至るまでが悔い改めた。ヨナにとってこの結果は意外だった。
怒って、すねて砂漠の中で座り込むヨナを、主はトウゴマを生やして熱気から守られた。しかし、翌日にはトウゴマは枯れて、ヨナの怒りは頂点に達した。
主のみ心がわからないのはヨナだけではない。主の憐れみには選民と異邦人の区別はもとより、何の差別もない。主は右も左もわきまえないこの私を愛し、この私が滅びるのを惜しみ、救ってくださった。
2016年7月3日日曜日
さっそく救出!
信徒さんの問安で訪れた下曽我のあたりは、斜面にも小さな水田があって、田植えの後の稲が青々と育っていた。昔ながらの用水路には水草が茂って、そこをサラサラと涼やかな音をたてて水が流れていた。「なんて快い音なんだ!」子供の頃、こんな小川でメダカを捕ったものだったと足を止めてしばらく眺めた。
この辺りは里山の風景が未だに残っているが、その実は、ずいぶん変わってしまっているに違いない。メダカはとうの昔に絶滅危惧種だ。ミツバチがいなくなると地球の生態系が変わるという話も聞いたばかり。
今朝、ちっちゃなもぐらのようなのが廊下でもがいていた。猫が捕ってきたオケラだ。さっそく救出!
この辺りは里山の風景が未だに残っているが、その実は、ずいぶん変わってしまっているに違いない。メダカはとうの昔に絶滅危惧種だ。ミツバチがいなくなると地球の生態系が変わるという話も聞いたばかり。
今朝、ちっちゃなもぐらのようなのが廊下でもがいていた。猫が捕ってきたオケラだ。さっそく救出!
2016年6月26日日曜日
その響き実に爽快
6年ぶりに帰国した末娘を連れて、伊豆のホームに伯母を訪ねた。まもなく100歳になる伯母は40年ほどをアメリカで過ごして、60歳を過ぎて帰国した。
白髪の頭をしっかり持ち上げて、背筋を伸ばして、真正面をむいて車椅子に座っていた。「ご無沙汰していました。お元気で何よりです。」と声をかけると、「私、何もかもすっかり忘れちゃったのよ。」と言いながら笑顔で迎えてくれた。家族の近況を報告し、今は天の国に憩う人達の名前を挙げて懐かしむ。
最後に、讃美歌を一緒に歌った。「主、我を愛す」を初め日本語で、次に英語 “Yes, Jesus loves me!”と何度も歌った。“Yes!”とその響きが実に爽快だった。
白髪の頭をしっかり持ち上げて、背筋を伸ばして、真正面をむいて車椅子に座っていた。「ご無沙汰していました。お元気で何よりです。」と声をかけると、「私、何もかもすっかり忘れちゃったのよ。」と言いながら笑顔で迎えてくれた。家族の近況を報告し、今は天の国に憩う人達の名前を挙げて懐かしむ。
最後に、讃美歌を一緒に歌った。「主、我を愛す」を初め日本語で、次に英語 “Yes, Jesus loves me!”と何度も歌った。“Yes!”とその響きが実に爽快だった。
2016年6月19日日曜日
アドナイエレ
梅雨に入った。日中は蒸し暑いが夜になると冷えてくる。油断をしてすっかり風邪をひいた。風邪をひくと、思考力も記憶力も鈍る。先日も、ある信徒さんのところへ聖餐をお持ちしたことはいいのだが、肝心のホスチアを忘れてしまった。ちょうど家人が焼いて持参したケーキを小さく切って、聖別する。「主の山に備えあり(アドナイエレ)」だと感謝だった。
ところが、この風邪が家人にも感染って、家事はストップ。冷蔵庫を開ければ納豆、野菜、トマトジュースがある。「備えあれば憂いなし」だと、胸を撫で下ろす。けれどこれって、きっと人間の備えなんだ。人間の力の及ばないところに主の備えがあるのだから。
ところが、この風邪が家人にも感染って、家事はストップ。冷蔵庫を開ければ納豆、野菜、トマトジュースがある。「備えあれば憂いなし」だと、胸を撫で下ろす。けれどこれって、きっと人間の備えなんだ。人間の力の及ばないところに主の備えがあるのだから。
2016年6月12日日曜日
Be nice”(ナイスであれ)
「まあ、緑色の綺麗な目をしている」とは、通りかかった中年夫婦が我が家の黒猫ドッティを見ての会話だ。家の前を通る人に寄って行って愛嬌を振りまいているのだ。そういえば今朝方、老婦人が我が家の灰色猫をしばらく撫でていた。家人によれば、彼らには他にも人間の友達が何人もいるらしい。
かつてはよその人が玄関に来ただけで、家の奥に逃げ込んでいた臆病者だ。この変わりようには驚く。
まさかと思うが、牧師館で飼われている猫だという自覚があるのかもしれない。どんなときにも “Be nice”(ナイスであれ)と言い聞かせている家人の言葉通り猫は自覚していたとしたら・・・僕よりスゴイ!
かつてはよその人が玄関に来ただけで、家の奥に逃げ込んでいた臆病者だ。この変わりようには驚く。
まさかと思うが、牧師館で飼われている猫だという自覚があるのかもしれない。どんなときにも “Be nice”(ナイスであれ)と言い聞かせている家人の言葉通り猫は自覚していたとしたら・・・僕よりスゴイ!
2016年6月5日日曜日
「しつけ」だった
「人を噛む子は犬と同じだから、犬のところに行きなさい。」と、近所の学童保育所の犬小屋のところに行かせた。長女がまだ2歳の頃だった。
長女に毛布をもたせると、「ほんとうにナーちゃんを犬にあげちゃうの?」と長男は泣きそう。それなら僕も行くという5歳年上の長男と長女を一緒に犬小屋の前に置いて来たことがあった。「しつけ」だった。
筋を通さなければという「正しさ」と、親は子どもに負けてはならないという「恐れ」があった。そんな未熟な親だった我が身を振り返り、大和くんのことは人事ではない。ひたすら無事を祈っていた大和くんが戻された。主よ、あなたの憐れみに感謝します!
長女に毛布をもたせると、「ほんとうにナーちゃんを犬にあげちゃうの?」と長男は泣きそう。それなら僕も行くという5歳年上の長男と長女を一緒に犬小屋の前に置いて来たことがあった。「しつけ」だった。
筋を通さなければという「正しさ」と、親は子どもに負けてはならないという「恐れ」があった。そんな未熟な親だった我が身を振り返り、大和くんのことは人事ではない。ひたすら無事を祈っていた大和くんが戻された。主よ、あなたの憐れみに感謝します!
2016年5月29日日曜日
みんなニコニコ
教会の姉妹のみかん山に「ピクニック」に行った。「暑からず、寒からず、もし雨が降ってもパラパラ程度に…」と姉妹が祈られたその通りの日になった。
教会からは11人で繰り出す。車を出して手助けをしてくださった姉妹のお孫さん、みかん山の隣の畑のおばあちゃんも参加され、総勢13人となった。
山の上はなんて心地いいんだろう!眼下に海を眺め、黄色い蜜柑に囲まれて、賛美の歌を歌い、み言葉に聞く。お昼ごはんは手作りのおにぎりだ。もぎたての甘夏、実生の枇杷を味わいながら、みんなニコニコ。
外気浴、自然の恵み、友の交わりを満喫。その夜、主は、ここちよい眠りを一人ひとりに下さったに違いない。
教会からは11人で繰り出す。車を出して手助けをしてくださった姉妹のお孫さん、みかん山の隣の畑のおばあちゃんも参加され、総勢13人となった。
山の上はなんて心地いいんだろう!眼下に海を眺め、黄色い蜜柑に囲まれて、賛美の歌を歌い、み言葉に聞く。お昼ごはんは手作りのおにぎりだ。もぎたての甘夏、実生の枇杷を味わいながら、みんなニコニコ。
外気浴、自然の恵み、友の交わりを満喫。その夜、主は、ここちよい眠りを一人ひとりに下さったに違いない。
2016年5月22日日曜日
多様さと寛容さの群れ
先週の礼拝に御両親に連れられて赤ちゃんがやって来た。10ヶ月の乳児のもつエネルギーはすごい!なんていいんだろう!ついニコニコしてしまう。もちろん、お年寄りは文句無しにいい!けれども、この小さな赤ん坊の無限のエネルギーは皆を元気にする。
初めて会う大人の顔を、じっーと、それこそ穴の開くほど見つめる。澄んだ瞳は、わたしの心の底まで見通しているようで思わず恥じ入ってしまうくらいだ。
図らずも「教会は0歳から百歳過ぎまで、いろんな人が集うのがいい」と誰かが言った。確かに、この多様さと寛容さこそが主イエスの愛される群れ、教会の姿だ。来たれ、子どもよ!今週から「子供食堂」が始まる。
初めて会う大人の顔を、じっーと、それこそ穴の開くほど見つめる。澄んだ瞳は、わたしの心の底まで見通しているようで思わず恥じ入ってしまうくらいだ。
図らずも「教会は0歳から百歳過ぎまで、いろんな人が集うのがいい」と誰かが言った。確かに、この多様さと寛容さこそが主イエスの愛される群れ、教会の姿だ。来たれ、子どもよ!今週から「子供食堂」が始まる。
2016年5月15日日曜日
聖霊に導かれて
新緑の美しい季節となった。緑の枝をさらさらとゆすらせながら気持ちの良い風が吹いている。聖霊は風のように思いのままに吹く。そして、その聖霊に導かれて、突然ひとりの若者が教会にやって来た。
聖書を読んでいてわからないことがあるから教えて欲しいという。話してみて、彼が聖書を実によく読んでいるのに驚いた。インターネットでキリスト教の動画を見て感銘を受けて以来、聖書を読むようになったという。生活を通して、聖書の言葉を素直に受け止めているのが新鮮だ。わたしの方こそ生きかえる。
聖霊の風に吹かれて、人は新たに生まれることができると主は言われた。今日、きっと聖霊の風は吹く。
聖書を読んでいてわからないことがあるから教えて欲しいという。話してみて、彼が聖書を実によく読んでいるのに驚いた。インターネットでキリスト教の動画を見て感銘を受けて以来、聖書を読むようになったという。生活を通して、聖書の言葉を素直に受け止めているのが新鮮だ。わたしの方こそ生きかえる。
聖霊の風に吹かれて、人は新たに生まれることができると主は言われた。今日、きっと聖霊の風は吹く。
2016年5月8日日曜日
主よ、母をありがとう
おかあさんは ぼくを 一ばんすき!
ぼくは おかあさんを 一ばん すき!
かぜ ふけ びょうびょう
あめ ふれ じゃんじゃか
これはまど・みちおの「おかあさん」という詩だ。お母さんと子どもは相思相愛だ。たとえ嵐が襲ってきても平気。この安心感の中で、子どもは育つ。
2016年5月1日日曜日
天を仰いで
先日、叔母の急用に迫られて鎌倉に行き、叔母の知り合いのTさんを訪ねた。彼は隠れキリシタンの殉教者の地蔵があるから、牧師の私にぜひ見てほしいと言って五所神社の境内に案内してくださった。
社殿の隅に数体の石仏が並び、その中に他のものとは違う小さな地蔵があった。着物姿、長い髪を背中で束ねた女性だ。膝をついて後ろ手に縛られている。しかし、天を仰ぎ祈っている。その穏やかで平和な表情に惹きつけられた。
ふと、殉教者聖ステファノが思い浮かんだ。聖霊に満たされて、天を見つめる彼の表情はきっとこの様だったに違いない。古びたキリシタン地蔵に、野の花が優しく捧げられていた。
社殿の隅に数体の石仏が並び、その中に他のものとは違う小さな地蔵があった。着物姿、長い髪を背中で束ねた女性だ。膝をついて後ろ手に縛られている。しかし、天を仰ぎ祈っている。その穏やかで平和な表情に惹きつけられた。
ふと、殉教者聖ステファノが思い浮かんだ。聖霊に満たされて、天を見つめる彼の表情はきっとこの様だったに違いない。古びたキリシタン地蔵に、野の花が優しく捧げられていた。
2016年4月24日日曜日
聖霊に励まされて
緑が美しい季節になった。周りの山々は濃淡さまざまな緑が浮き立つようだ。だが、熊本を中心に起きている地震はまだ収束の気配がない。
JELC(日本福音ルーテル教会)もいよいよ動き出した。現地の様子はまだ十分には把握できていないのだが、被災地への支援がスタートする。
現地のルーテル教会のS牧師、赴任まもなく消防団に入っていると聞いていたが、被災した町のために懸命の復旧活動にあたっている様子をフェイスブックで知った。
17日も被災地の牧師たちは、集まってきた信徒の方々と礼拝を持ち、祈り合ったそうだ。聖霊に励まされてキリストの教会は共に働く!
JELC(日本福音ルーテル教会)もいよいよ動き出した。現地の様子はまだ十分には把握できていないのだが、被災地への支援がスタートする。
現地のルーテル教会のS牧師、赴任まもなく消防団に入っていると聞いていたが、被災した町のために懸命の復旧活動にあたっている様子をフェイスブックで知った。
17日も被災地の牧師たちは、集まってきた信徒の方々と礼拝を持ち、祈り合ったそうだ。聖霊に励まされてキリストの教会は共に働く!
2016年4月17日日曜日
主よ、日ごとの糧を与えたまえ
『イースターコンサート』での献金の総額6万あまりを送ったところ、国連WFP協会の日本事務所から礼状とともに領収書が送られてきた。出演してくださったダ・カーポの皆さんに心から感謝いたします。
WFPと言うのは飢餓のない世界を目指し最前線で活動する国連の唯一の機関だ。シリア難民の食糧支援、世界中で起きる災害被害に対する緊急食料援助、また毎年2,000万人以上の子どもたちへの学校給食の提供など、身を挺して行われている人道支援の活動だ。
わたし達は「主の祈り」で、「日ごとの糧」を祈る。それは自分のためばかりか、すべての人の糧なのだ。「主よ、日ごとの糧を、すべての人に与えたまえ」。
2016年4月10日日曜日
ほらね、ここも満開だ
昨日の激しい雨風で桜はきっと散ってしまったに違いないと、無残な桜を想像しながら小田原へ向かった。しかしである。海沿いの国道にある桜は、散るどころか満開だった。思いがけず、「きれいだねぇ」と花見をしながらのドライブとなった・・・聖書は何事にも時があるという。神の時でなければ強風ぐらいでは桜は散らないものだと感じ入った。
時にかなって天父は主イエスを永遠の命に蘇らせた。もう決して後戻りはしない。わたし達は死で終わる人生ではなく、新しい命に誕生するという希望の時を生きている・・・いま、小田原市内の桜並木の下を車はゆっくり通りかかる。「ほらね、ここも満開だ」。
時にかなって天父は主イエスを永遠の命に蘇らせた。もう決して後戻りはしない。わたし達は死で終わる人生ではなく、新しい命に誕生するという希望の時を生きている・・・いま、小田原市内の桜並木の下を車はゆっくり通りかかる。「ほらね、ここも満開だ」。
2016年4月3日日曜日
エマオへの道をいく
今日4月3日は、私達夫婦が湯河原にやって来たその日だ。年齢のいった新米牧師夫婦の二人三脚の日々を、両教会の信徒の皆さんはよく支えてくださった。何より、今日までの3年間の主の導きと恵みに感謝。
100メートルを10秒切る最速ランナーは確かに輝かしい。しかし、教会は信徒皆で走るムカデ競争の進みがいい。ズッコケでいい。転んでいい。いずれ神の国というゴールに到達する。だったら皆で楽しいってことのほうが、ずーっといいじゃないか。
今日、弟子たちの心は、復活の主に出会って暖かく燃えた。主の慈しみと愛に燃やされながら、わたし達も、今まさに主と共に行くエマオへの道にいる!
100メートルを10秒切る最速ランナーは確かに輝かしい。しかし、教会は信徒皆で走るムカデ競争の進みがいい。ズッコケでいい。転んでいい。いずれ神の国というゴールに到達する。だったら皆で楽しいってことのほうが、ずーっといいじゃないか。
今日、弟子たちの心は、復活の主に出会って暖かく燃えた。主の慈しみと愛に燃やされながら、わたし達も、今まさに主と共に行くエマオへの道にいる!
2016年3月27日日曜日
死んでも君を離さない
「イエスの復活」を描いたイコンの中に、陰府(よみ)に降ったイエスが人間の祖であるアダムとエバを、死の床から引っ張りだしているフレスコ画がある。十字架の死後、すぐに復活されなかった訳はそれか!と初代正教会の信仰を知って、少なからず衝撃を受けた。
ところで、年配の方はポール・アンカという歌手のデビュー作『ダイアナ』をご存知だろう。“I love you with all my heart”(心の限りあなたを愛している)“Oh. please stay with me”(ああ、どうか私と一緒にいて欲しい)と原作に繰り返されるが、日本語の意訳が実に利いている。「死んでも君を離さない/地獄の底までついて行く」。これって、まるで死へとくだるイエスじゃないか!
ところで、年配の方はポール・アンカという歌手のデビュー作『ダイアナ』をご存知だろう。“I love you with all my heart”(心の限りあなたを愛している)“Oh. please stay with me”(ああ、どうか私と一緒にいて欲しい)と原作に繰り返されるが、日本語の意訳が実に利いている。「死んでも君を離さない/地獄の底までついて行く」。これって、まるで死へとくだるイエスじゃないか!
2016年3月20日日曜日
ほくほく
先日は海の向こうに住む末の娘の誕生日だった。日本の食品をなにか送ってやりたいと、こころばかりのものを送った。
送って一週間が経ったが、本人からはなにも連絡はない。国際小包の配送状況はインタ−ネット上で追跡できる。見れば「配達完了」となっていた。
けれども、家人はどうしても娘のことばが聞きたいらしく、メールを出す。「届いた?」。直ぐに返事がきた。「届いたも ほくほく ありがちょ○」。この○は彼女の名前の最初の一文字である。
二人で思わず笑ってしまった。まったく!末っ子と言うものは幾つになっても親を楽しませてくれる。
2016年3月13日日曜日
泣けて仕方がなかった
3.11から5年の節目を迎えた。あの日、自分は何をしていたのか思い出した。そう、授業中だった!
あの頃、私はまだ神学校の学生で、落第が決まったばかりだった。震災の二日後はアメリカにいる家族の元へいく予定だった。ところが、交通機関は混乱をきわめ、とうてい成田へなど行きつけない。諦めて、なんとか二日後のチケットを買い直してアメリカに行った。
着の身着のままで飛行機に乗ったらしい。家族が、私の身なりを見てびっくりしていた。妻や子どもたちに会って泣ける。地元の教会で礼拝後に頼まれて震災の様子を話したが、泣ける。何を見ても泣けて仕方がなかった。未だ厳しい状況にある方々を覚えて祈る。
あの頃、私はまだ神学校の学生で、落第が決まったばかりだった。震災の二日後はアメリカにいる家族の元へいく予定だった。ところが、交通機関は混乱をきわめ、とうてい成田へなど行きつけない。諦めて、なんとか二日後のチケットを買い直してアメリカに行った。
着の身着のままで飛行機に乗ったらしい。家族が、私の身なりを見てびっくりしていた。妻や子どもたちに会って泣ける。地元の教会で礼拝後に頼まれて震災の様子を話したが、泣ける。何を見ても泣けて仕方がなかった。未だ厳しい状況にある方々を覚えて祈る。
2016年3月6日日曜日
わたしを可愛がって
この二三日、お転婆なミント(猫)がおとなしい。キャットボックスにすっぽり入ったまま出てこない。怪我か?どこか体の具合でも悪いのではないか?あちこち触ってみるが、取り立てて異常はないようだ。
飼猫であってもこうなのだから、これが我が子であれば「何をか言わんや」である。が、現実には子どもの虐待が繰り返し報道されている。
子どもを育てることは、言ってみれば親の献身のひとことに尽きる。親は理屈抜きで、子どものために体が動く。あのまぁるい、フラットな顔にちょこっと目鼻のついた、四等身のプニョッとした体つきはどう見ても、「わたしを可愛がって」と言っているではないか!
飼猫であってもこうなのだから、これが我が子であれば「何をか言わんや」である。が、現実には子どもの虐待が繰り返し報道されている。
子どもを育てることは、言ってみれば親の献身のひとことに尽きる。親は理屈抜きで、子どものために体が動く。あのまぁるい、フラットな顔にちょこっと目鼻のついた、四等身のプニョッとした体つきはどう見ても、「わたしを可愛がって」と言っているではないか!
2016年2月28日日曜日
自動ブレーキ
こういうとき自動ブレーキがあれば、と思われた方はいないだろうか?
先日、ぶっつけたり擦ったりした車を修理に出した。「自動ブレーキが欲しい」と言ったら、「自動車は運転するもの。自動ブレーキなどつけたら、それはもうメカじゃなくなりますよ」というディーラーの言葉。
運転中の突然死による事故や高齢者の事故は多い。そう言う私も、昨日は赤信号をおおかた見過ごすところだった。見ていても、脳が反応していないのだ!
自分のへっぽこ運転を顧みないではないが、いや、へっぽこ運転だからこそ、高齢者時代の自動ブレーキを!と声を大にしたい。
先日、ぶっつけたり擦ったりした車を修理に出した。「自動ブレーキが欲しい」と言ったら、「自動車は運転するもの。自動ブレーキなどつけたら、それはもうメカじゃなくなりますよ」というディーラーの言葉。
運転中の突然死による事故や高齢者の事故は多い。そう言う私も、昨日は赤信号をおおかた見過ごすところだった。見ていても、脳が反応していないのだ!
自分のへっぽこ運転を顧みないではないが、いや、へっぽこ運転だからこそ、高齢者時代の自動ブレーキを!と声を大にしたい。
2016年2月21日日曜日
レントに相応しいかも知れない
この冬の我が家の昼食の定番は「雑炊」だ。今日もやけに黒っぽい葉っぱがいっぱい入っているので、どういう野菜なのかと思いながら食べる。「これ、なに?」と聞くと、白菜だという。白菜の一番外側の葉を全部使ったのだそうだ。なるほどアクの苦味がする。
「戦時中なら、さつま芋の葉を入れていたのよ」とは、家人の弁解だ。玄米にいろんな野菜を入れた塩味だけの健康食だと自慢らしい。暖かいのは冬のごちそうだと言って、居合わせた人にも勧めている。
水加減次第で人と分かち合うことができる雑炊、なるほどレントに相応しいかも知れない。だが、味の方はというと…まあ、いいか!それ以上は言うまい。
「戦時中なら、さつま芋の葉を入れていたのよ」とは、家人の弁解だ。玄米にいろんな野菜を入れた塩味だけの健康食だと自慢らしい。暖かいのは冬のごちそうだと言って、居合わせた人にも勧めている。
水加減次第で人と分かち合うことができる雑炊、なるほどレントに相応しいかも知れない。だが、味の方はというと…まあ、いいか!それ以上は言うまい。
2016年2月14日日曜日
灰の水曜日
2月10日は「灰の水曜日」、この日から四旬節が始 まった。今年、初めて「灰の式」を行った。「あなたは塵から造られ、塵に帰る」と一人ひとりに告げなが ら、棕櫚の葉を焼いて作った灰で額に十字のしるしを付けた。私も、最後に灰の十字をつけてもらった。
帰る時、お互いの額に十字の印しがあるのを見て、なんだか嬉しくなった。キリストの十字架の印しを受けるというのはこの時以外にない。「回心して福音を信じなさい」ということが主のみ心だと知る。だから「改心」ではなく、「回心」なんだ。
塵にすぎないわたし達、十字架の主を頼みに、ひたすら「天の父よ」と近づきたい。
帰る時、お互いの額に十字の印しがあるのを見て、なんだか嬉しくなった。キリストの十字架の印しを受けるというのはこの時以外にない。「回心して福音を信じなさい」ということが主のみ心だと知る。だから「改心」ではなく、「回心」なんだ。
塵にすぎないわたし達、十字架の主を頼みに、ひたすら「天の父よ」と近づきたい。
2016年2月7日日曜日
礼拝はまさに
山の上で、主イエスは弟子たちに一瞬だが天の栄光を見せてくださった。それは主が生涯でただ一度だけ見せてくださったまばゆく光り輝く姿だ。
礼拝はまさに主の変容の山の頂での出来事だ。主の死と復活を体験した教会は、こうして日曜日のたびに、わたし達を山の頂へと導いてくれている。
礼拝という頂、ここでわたし達はふもとにいた時には見ることの出来なかった天の栄光を垣間見て、励まされ、キリストの体と血を頂いて、そして下山する。礼拝は天の栄光を垣間見る瞬間だ。
ペトロのように思いっきり叫びたい。「先生、わたし達がここにいることは素晴らしいことです」と。
礼拝はまさに主の変容の山の頂での出来事だ。主の死と復活を体験した教会は、こうして日曜日のたびに、わたし達を山の頂へと導いてくれている。
礼拝という頂、ここでわたし達はふもとにいた時には見ることの出来なかった天の栄光を垣間見て、励まされ、キリストの体と血を頂いて、そして下山する。礼拝は天の栄光を垣間見る瞬間だ。
ペトロのように思いっきり叫びたい。「先生、わたし達がここにいることは素晴らしいことです」と。
2016年1月31日日曜日
幸いなるかな
「幸福でなくなるということが不幸。不幸でなくなることが幸福」とは一遍上人の教え。現実の思いとして妙に納得できるものの、なんだか虚しさが残る。
今日、主は「幸いと不幸」を教えられる。すべてを神様に委ねて、生きてゆくことのできるあなたは幸い。そして、今この世のものだけで満足しているあなたは不幸だと。「幸い」とは、神の絶対的な愛で、無条件に私達が愛されていることを知ることだ。
「幸せの青い鳥」を探して旅をした兄妹は、家に帰ってみて、青い鳥は前から家にいたことに気がつく。
それと同じだ。神の愛は宇宙の創めからあなたと共にあった。思い切って主の幸いに身を委ねてはどうか。
今日、主は「幸いと不幸」を教えられる。すべてを神様に委ねて、生きてゆくことのできるあなたは幸い。そして、今この世のものだけで満足しているあなたは不幸だと。「幸い」とは、神の絶対的な愛で、無条件に私達が愛されていることを知ることだ。
「幸せの青い鳥」を探して旅をした兄妹は、家に帰ってみて、青い鳥は前から家にいたことに気がつく。
それと同じだ。神の愛は宇宙の創めからあなたと共にあった。思い切って主の幸いに身を委ねてはどうか。
2016年1月24日日曜日
「お言葉ですから」
季節は大寒に入った。木々は春の芽吹きの備えを真冬にしている。自分はこういう準備を滞ることなく、たんたんと出来る人間では決してないが、こういう自然には憧れる。
「 諦めて丸めて捨てた過去の夢 皺を伸ばせばまだ叶うはず」これは『学生百人一首』の今年の一首。 「着々と準備よく」ではなくても、諦めたものにもう一度挑戦するというのはなかなかいい。再挑戦というのもある。再、再挑戦だって構わない。
今日、主は夜通し漁をして徒労に終わったペテロにもう一度網を下ろせと言われる。「お言葉ですから」と、聖霊は働く。
「 諦めて丸めて捨てた過去の夢 皺を伸ばせばまだ叶うはず」これは『学生百人一首』の今年の一首。 「着々と準備よく」ではなくても、諦めたものにもう一度挑戦するというのはなかなかいい。再挑戦というのもある。再、再挑戦だって構わない。
今日、主は夜通し漁をして徒労に終わったペテロにもう一度網を下ろせと言われる。「お言葉ですから」と、聖霊は働く。
2016年1月17日日曜日
あったか〜いおしるこで
身近な人たちが風邪にかかっている。そういう私も2,3日前には風邪のためその日の夕食は食べることが出来ず、そのまま床についた。
翌日も朝食から抜いて、その日は一日体に蓄えたもので過ごす。 この日の午後の「癒やしの礼拝」の後で、正月に本物の餅を食べなかったという人たちのために、餅を食べてもらおうと、おしるこを作った。
「イエス 内なる光 闇にとどまることなく イエ ス あなたの愛を伝えられるように」と歌った。その後のおしるこは格別だった。「イエスさまは本当に優しいんです」って伝えたい。よ~く伸びるお餅とあったか~いおしるこで。外は寒いが教会は暖か。私は空きっ腹。
翌日も朝食から抜いて、その日は一日体に蓄えたもので過ごす。 この日の午後の「癒やしの礼拝」の後で、正月に本物の餅を食べなかったという人たちのために、餅を食べてもらおうと、おしるこを作った。
「イエス 内なる光 闇にとどまることなく イエ ス あなたの愛を伝えられるように」と歌った。その後のおしるこは格別だった。「イエスさまは本当に優しいんです」って伝えたい。よ~く伸びるお餅とあったか~いおしるこで。外は寒いが教会は暖か。私は空きっ腹。
2016年1月10日日曜日
あっぱれ校長先生
朝食の欠食率は2割近くという中学校のニュースが目に止まった。校長自ら生徒に呼びかけ、フードバンクなどから調達した朝食を食べさせているという。
朝8時前、校長と教頭それに養護教諭たちが林檎の皮を剥いたり、パンを皿に載せたりして、生徒に給仕する。「目の前に食べていない子がいる。この子たちが大人になれば、その習慣が次の世代に引き継がれてしまう」と校長はいう。彼は、「目の前の必要に向き合う」ことが「負の連鎖を断つ」ということになると確信するのだろう。深く共感する。
新しい年も、主は求める方々を教会へと招かれるに違いない。さあ、私も自ら給仕するものとされて。
朝8時前、校長と教頭それに養護教諭たちが林檎の皮を剥いたり、パンを皿に載せたりして、生徒に給仕する。「目の前に食べていない子がいる。この子たちが大人になれば、その習慣が次の世代に引き継がれてしまう」と校長はいう。彼は、「目の前の必要に向き合う」ことが「負の連鎖を断つ」ということになると確信するのだろう。深く共感する。
新しい年も、主は求める方々を教会へと招かれるに違いない。さあ、私も自ら給仕するものとされて。
2016年1月3日日曜日
このみ言葉で始まる
元日の朝、祈祷のために礼拝堂を開ける。教会入口にある電柱の足元に、自生してすっかり大きくなった菜の花が、黄色い花をつけていた。鼻を近づけると、蜜の良い香りがする。爽やかな新春の喜びを目と鼻で受け取った。
新しい年の始め、今年は聖書を通読しようと心に決める。旧約3章と新約1章、毎日通読すれば一年で聖書全巻を読み終える。
さて、それでは今日からと聖書の冒頭を開く。そうか、新しい年、2016年もこのみ言葉で始まるんだ。「初めに、神は天地を創造された」。菜の花も年頭の志も万物の創造主あってこその、この喜び。
新しい年の始め、今年は聖書を通読しようと心に決める。旧約3章と新約1章、毎日通読すれば一年で聖書全巻を読み終える。
さて、それでは今日からと聖書の冒頭を開く。そうか、新しい年、2016年もこのみ言葉で始まるんだ。「初めに、神は天地を創造された」。菜の花も年頭の志も万物の創造主あってこその、この喜び。
2015年12月27日日曜日
うちにもサンタさんが来たー!!!
クリスマス、すっかり暗くなって帰ってきた。先 に車から降りて玄関に向かった家人が叫んでいる。
「あなた!うちにもサンタさんが来たー!!!」
車のヘッドライトに照らされて、夜目にも分かるくらい牧師館の庭がすっきりしている。庭の木々は剪定 され、玄関前に無造作に置いていた植木鉢が綺麗に整頓されている。忙しさの中で、買ったまま放置されて いたスミレの苗、それが植木鉢にちゃんと植えられて いるではないか!気になりつつ横目で見ながら、水だ けやっていたスミレの苗だ。
喜んだのは家人ばかりではない。これって、いいな ぁ〜。今夜は我が家も“Oh, Holy Night”だ!
「あなた!うちにもサンタさんが来たー!!!」
車のヘッドライトに照らされて、夜目にも分かるくらい牧師館の庭がすっきりしている。庭の木々は剪定 され、玄関前に無造作に置いていた植木鉢が綺麗に整頓されている。忙しさの中で、買ったまま放置されて いたスミレの苗、それが植木鉢にちゃんと植えられて いるではないか!気になりつつ横目で見ながら、水だ けやっていたスミレの苗だ。
喜んだのは家人ばかりではない。これって、いいな ぁ〜。今夜は我が家も“Oh, Holy Night”だ!
2015年12月20日日曜日
命の光きたる
「暗闇に住む民は大きな光を見、死の蔭の地に住む者に光が射し込んだ」(イザヤ書9:1)と、聖書は主イエス・キリストを光として語る。
このクリスマス、誰かの心に小さな光を灯したいと願う。Aさんの表情がこの頃チョット良くなってきた!Bさんも昨日初めてニコッと笑ったね。Cさんとは電話で、いっぱい話が聞けた。Dさん、救われた。
キリスト者はキリストの光に照らされて、主を証しする。主は私の心の暗闇に輝く光だ。それは全ての人を救うためにご自分を捧げてくださった命の光だ。喜び来る!わが救い来る!クリスマスおめでとう。
このクリスマス、誰かの心に小さな光を灯したいと願う。Aさんの表情がこの頃チョット良くなってきた!Bさんも昨日初めてニコッと笑ったね。Cさんとは電話で、いっぱい話が聞けた。Dさん、救われた。
キリスト者はキリストの光に照らされて、主を証しする。主は私の心の暗闇に輝く光だ。それは全ての人を救うためにご自分を捧げてくださった命の光だ。喜び来る!わが救い来る!クリスマスおめでとう。
2015年12月13日日曜日
ウソでもいいから
「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる」とは、天使がマリアに言った言葉である。
この後で、マリアはとても自分が恵まれているとは思えないような事実を告げられる。人間の目には、とうてい「めでたい」とは思えない事だ。マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と受け入れ、主キリストが誕生する。
キリスト者は、苦しい時ばかりでなく、どんな時もこのマリアのように、「御心のままに」と祈ることができる。まずはウソでもいいから、「御心のままに」と唱えてみては如何だろう?「御心のままに」。この言葉には不思議な力がある。
この後で、マリアはとても自分が恵まれているとは思えないような事実を告げられる。人間の目には、とうてい「めでたい」とは思えない事だ。マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と受け入れ、主キリストが誕生する。
キリスト者は、苦しい時ばかりでなく、どんな時もこのマリアのように、「御心のままに」と祈ることができる。まずはウソでもいいから、「御心のままに」と唱えてみては如何だろう?「御心のままに」。この言葉には不思議な力がある。
2015年12月6日日曜日
地には主の平和あれ
ルーテル教会では毎日曜日の礼拝で「平和の挨拶」というのをする。「主の平和がありますように」と言って握手をする。私はこの時が大好きだ。
初めての方「ようこそ」。久しぶりにあう方「お久しぶり、お元気でしたか?」。昨日もあった方「今日もあえて嬉しい!」。えっ?何やらもやもやするって?心になんだかわだかまりだって?そんなの「平和の挨拶」をすれば、みんな吹っ飛んじゃいますよ。
アドベント第2週の今日、平和を表わす「天使のキャンドル」が灯される。天使はまず「恐れるな」と告げ、そして「地には平和、御心に適う人にあれ」と賛美する。私たちはみな一人ひとり御心に適う人!
初めての方「ようこそ」。久しぶりにあう方「お久しぶり、お元気でしたか?」。昨日もあった方「今日もあえて嬉しい!」。えっ?何やらもやもやするって?心になんだかわだかまりだって?そんなの「平和の挨拶」をすれば、みんな吹っ飛んじゃいますよ。
アドベント第2週の今日、平和を表わす「天使のキャンドル」が灯される。天使はまず「恐れるな」と告げ、そして「地には平和、御心に適う人にあれ」と賛美する。私たちはみな一人ひとり御心に適う人!
2015年11月29日日曜日
アドベントキャンドル
紫のテーパーキャンドルが手に入った。アドベントの典礼色は待望と悔い改めを表す「紫」である。そこで欧米ではよく「紫」のロウソクが用いられる。
アドベントの1週目は希望、2週目は平和、3週目は喜びを表すバラ色のロウソクを用いる事もある。4週目のロウソクは愛を表し、クリスマスには白いキリ ストのロウソクが灯される。エバーグリーンに囲まれながら、今年は典礼色のロウソクが飾れた。
色々あったが、主の恵みに満たされたこの一年だったと振り返る。さあ、今日からアドベント。我儘を反省し、このロウソクの灯火が我が心にも灯されて、この世の闇を照らし出せるようにと切に祈る。
アドベントの1週目は希望、2週目は平和、3週目は喜びを表すバラ色のロウソクを用いる事もある。4週目のロウソクは愛を表し、クリスマスには白いキリ ストのロウソクが灯される。エバーグリーンに囲まれながら、今年は典礼色のロウソクが飾れた。
色々あったが、主の恵みに満たされたこの一年だったと振り返る。さあ、今日からアドベント。我儘を反省し、このロウソクの灯火が我が心にも灯されて、この世の闇を照らし出せるようにと切に祈る。
2015年11月22日日曜日
いたずらっぽく笑われた
97歳のKさんを久しぶりにお訪ねした。長男ご夫妻のお世話で、穏やかに暮らしておられる。ベットにきちんと腰掛けて、私たちを迎えてくださった。
讃美歌を歌い、聖書を一緒に読む。「目がしょぼしょぼして・・・」とおっしゃりながらも、讃美歌も聖書箇所も的確に開かれたのにはまったく感心する。
「あともう二三日かな?って、いつも思うんです。でも朝、目が覚めて・・・」と、Kさんはニコッと、いたずらっぽく笑われた。お別れに「おど~ろく~ばかりの~恵みなりき・・・」と彼女の愛唱讃美歌「アメイジング・グレイス」を共に歌い、祈りあった。
Kさん、本当に驚くばかりの主の恵みですね!
讃美歌を歌い、聖書を一緒に読む。「目がしょぼしょぼして・・・」とおっしゃりながらも、讃美歌も聖書箇所も的確に開かれたのにはまったく感心する。
「あともう二三日かな?って、いつも思うんです。でも朝、目が覚めて・・・」と、Kさんはニコッと、いたずらっぽく笑われた。お別れに「おど~ろく~ばかりの~恵みなりき・・・」と彼女の愛唱讃美歌「アメイジング・グレイス」を共に歌い、祈りあった。
Kさん、本当に驚くばかりの主の恵みですね!
2015年11月15日日曜日
友和への道
13日夜、またしてもパリで同時多発テロが起きた。フランスは国家非常事態を宣言した。 一方、米国はゴトウさんたちを斬首したISのジョンと名乗る男を空爆によって殺害したと発表したばかりだ。
しかし、このことでインタビューを受けたゴトウさんのお母さんの言葉には、さすがキリスト者だと頷く。彼女は息子の仇討がかなったとは言わず、ケンジは平和を願って死んでいった。そのことを思うと、米国の行為は決して喜べないと言った。
自分の生命に代えて、息子を助けてほしいとうったえた母親の望みは、恨みでも憎しみでもない、息子の願ったキリストによって保たれる友和への道だ。
しかし、このことでインタビューを受けたゴトウさんのお母さんの言葉には、さすがキリスト者だと頷く。彼女は息子の仇討がかなったとは言わず、ケンジは平和を願って死んでいった。そのことを思うと、米国の行為は決して喜べないと言った。
自分の生命に代えて、息子を助けてほしいとうったえた母親の望みは、恨みでも憎しみでもない、息子の願ったキリストによって保たれる友和への道だ。
2015年11月8日日曜日
ひそかなブーム
毎朝の聖書日課による祈りの時間がこの頃家人の都合でときどき昼にずれてしまうことがある。そんな時は、めいめい祈れば良いと思う。しかしその点に関して家人は融通が利かないほど几帳面だ。
なにか忘れ物をしたようで、なんだか落ち着かないのか、「あなた、聖書日課!」と、自分のせいであっても、まるで私のせいのように急かしてくる。
そんなおりラジオ体操がひそかなブームと聞いた。「ラジオ体操は、じわじわと体に染み込み、体をもとの健全な状態に戻す。継続することで体全体の血流がよくなり、筋肉に弾力性ができ・・・云々」なるほど、心も体も、鍵は柔軟さと継続ということか!
なにか忘れ物をしたようで、なんだか落ち着かないのか、「あなた、聖書日課!」と、自分のせいであっても、まるで私のせいのように急かしてくる。
そんなおりラジオ体操がひそかなブームと聞いた。「ラジオ体操は、じわじわと体に染み込み、体をもとの健全な状態に戻す。継続することで体全体の血流がよくなり、筋肉に弾力性ができ・・・云々」なるほど、心も体も、鍵は柔軟さと継続ということか!
2015年11月1日日曜日
猫のことのようだが、これは猫のことではない。
飼い猫のドッティが四日間ほど行方不明になった。
いつもは私たちの帰宅を待って「おかえり」と迎えてくれるのが、その日には姿を見せなかった。どこかに行っているんだろうくらいに思っていたが、二日目ともなると家人は心配で眠れなくなった。さすがに三日目にはご近所を二人で探して歩いた。
四日目、突然開いていた窓からドッティが飛び込んできた。家人は猫を抱きしめて泣いた。
この間「祈っている」という言葉に励まされた。また、心配をしてくださったご近所の方たちにも出会えた。他者の痛みや悲しみに寄り添う人の優しさを知った。猫のことのようだが、これは猫のことではない。
いつもは私たちの帰宅を待って「おかえり」と迎えてくれるのが、その日には姿を見せなかった。どこかに行っているんだろうくらいに思っていたが、二日目ともなると家人は心配で眠れなくなった。さすがに三日目にはご近所を二人で探して歩いた。
四日目、突然開いていた窓からドッティが飛び込んできた。家人は猫を抱きしめて泣いた。
この間「祈っている」という言葉に励まされた。また、心配をしてくださったご近所の方たちにも出会えた。他者の痛みや悲しみに寄り添う人の優しさを知った。猫のことのようだが、これは猫のことではない。
2015年10月25日日曜日
あなた方はさいわいだ
身体や心に病をもつ人たち、苦しみ悩む人たちがぞくぞくと主イエスのもとに集まってくる。主は彼らに向かって「あなた方はさいわいだ」と宣言される。
人は、突然の病気や予想もしなかった困難な状況に陥ると、そうではなくても、これは「自分に何か落ち度があったからだ」と、つい自分を責め始める。
だが、自分がマイナスだと思い込んでいるものを、主は、さいわいなものへと造り変えてくださる。
マルチン・ルターは「懺悔」することを教えてくれた。罪を告白し、赦しの宣言を受け、私たちは新しくされる。懺悔によって、初めて私たちは癒される。「癒やし」とは本来そういうものだ。神からの祝福だ。
人は、突然の病気や予想もしなかった困難な状況に陥ると、そうではなくても、これは「自分に何か落ち度があったからだ」と、つい自分を責め始める。
だが、自分がマイナスだと思い込んでいるものを、主は、さいわいなものへと造り変えてくださる。
マルチン・ルターは「懺悔」することを教えてくれた。罪を告白し、赦しの宣言を受け、私たちは新しくされる。懺悔によって、初めて私たちは癒される。「癒やし」とは本来そういうものだ。神からの祝福だ。
2015年10月18日日曜日
歌いながら手を繋ぐ
一週間に一度、彼の好物を持って主にある友人を病院に尋ねる。面会室でしばしのお茶の時を持って、一週間の話をゆっくり聞かせて頂く。
心を病む彼には、親しい家族はもういない。孤独と将来の不安から「虚しくなりました」というのがこの頃の彼の口癖である。なんとか彼の支えになりたいと願う。聖書の学びと祈りのあとで一緒にテゼの讃美歌を歌う。「恐れるな わずらうな 主は共におられる 満たされる あなたは 神によって・・・」歌いながら手を繋ぐ。主が私たちの輪に入ってくださる。
彼が救われ、主に委ねて生きてゆけるようにと祈りながら、牧者としての試行錯誤の道はまだまだ続く。
心を病む彼には、親しい家族はもういない。孤独と将来の不安から「虚しくなりました」というのがこの頃の彼の口癖である。なんとか彼の支えになりたいと願う。聖書の学びと祈りのあとで一緒にテゼの讃美歌を歌う。「恐れるな わずらうな 主は共におられる 満たされる あなたは 神によって・・・」歌いながら手を繋ぐ。主が私たちの輪に入ってくださる。
彼が救われ、主に委ねて生きてゆけるようにと祈りながら、牧者としての試行錯誤の道はまだまだ続く。
2015年10月11日日曜日
平和だからこそ
昨年に続くノーベル賞受賞の快挙は何とも嬉しい。
一つは、足元の土の性質に目を向けたもの。土から発見した細菌から感染症のワクチンを開発し、熱帯地域に住む発展途上国の人々を救った功績による。
次は土から空に。世界の自然法則を理解したいという、人類の根源的な好奇心はとうとう目に見えない素 粒子ニュートリノに質量があることをつきとめた。
澄み渡った秋の空を見ながら思う。肉の目では見え ない世界を遊び心で思い巡らすことは、神の創造され た世界を思うことだ。平和だからこそ、土中の微生物や宇宙の成り立ちにも取り組める。
この世界に主の平和が満ちますように。
一つは、足元の土の性質に目を向けたもの。土から発見した細菌から感染症のワクチンを開発し、熱帯地域に住む発展途上国の人々を救った功績による。
次は土から空に。世界の自然法則を理解したいという、人類の根源的な好奇心はとうとう目に見えない素 粒子ニュートリノに質量があることをつきとめた。
澄み渡った秋の空を見ながら思う。肉の目では見え ない世界を遊び心で思い巡らすことは、神の創造され た世界を思うことだ。平和だからこそ、土中の微生物や宇宙の成り立ちにも取り組める。
この世界に主の平和が満ちますように。
2015年10月4日日曜日
自らに問う。捨て切れるか?
またアメリカで銃の乱射事件が起きた。尊い命が犠牲となった。オバマ大統領は、銃の規制を強く叫ぶ。 「米国は先進国で数カ月おきに、こうした銃乱射事が 起きる世界で唯一の国だ」と。しかし、銃を捨てられない勢力は相変わらず頑固で根強い。
主イエスは、永遠の命にあずかるには片手片足を切り捨てても、と言われる。随分過激な言葉に聞こえるかもしれないが、両方を守って死に至るくらいなら、確かに片方を切り捨ててもまことの命にあずかりたい。
物事には大切な順序というものがある。一番大事なことのためには、二番目以下のことを手放すのは当然だということだ。自らに問う。捨て切れるか?
主イエスは、永遠の命にあずかるには片手片足を切り捨てても、と言われる。随分過激な言葉に聞こえるかもしれないが、両方を守って死に至るくらいなら、確かに片方を切り捨ててもまことの命にあずかりたい。
物事には大切な順序というものがある。一番大事なことのためには、二番目以下のことを手放すのは当然だということだ。自らに問う。捨て切れるか?
2015年9月27日日曜日
シンプルになる
敬老の日、幕山公園に叔母を連れだした。毎日の殆どを施設内で暮らしている叔母にとって、屋外の自然の空気は久しぶりのことだろう。緑の木立の中、川の流れの音を聞きながらしばらくベンチでくつろぐ。
「ああ、風がいい気持ち!」と叔母。「そうですね」とわたし。特に話はしない。記憶に頼る会話はむつかしい。叔母にとって、今という時が平和であればそれで十分。明日のことは煩わない。すでにすべてを主に「お任せ」の人生が始まっている。
人は歳を取ってシンプルになる。それは幼子の純真さに通じる。さて、歳に関係なく主にお任せの人生は如何?主はあなたを喜んで受け入れてくださる。
「ああ、風がいい気持ち!」と叔母。「そうですね」とわたし。特に話はしない。記憶に頼る会話はむつかしい。叔母にとって、今という時が平和であればそれで十分。明日のことは煩わない。すでにすべてを主に「お任せ」の人生が始まっている。
人は歳を取ってシンプルになる。それは幼子の純真さに通じる。さて、歳に関係なく主にお任せの人生は如何?主はあなたを喜んで受け入れてくださる。
2015年9月20日日曜日
「本当の意味」で「救い」、「助けて下さい!」
主イエス・キリスト様!どうか、私を含めた、私の家族5人を、「本当の意味」で「救い」、本当の意味」で「助けて下さい!」よろしく、お願いします!
鉛筆書きのこういうハガキをだいぶ前に受け取った。知らない人からの希求の手紙だなあと思いつつ、目の前の事に追われて、つい放って置いた。
今日、返事を書いた。「『主イエス・キリストは私の救い主です』と告白するとき、あなたの求める『本 当の意味の救い』が始まります。本当の救いは『永遠 の命』を信じることです。ぜひ、お近くのルーテル教 会の礼拝に与って下さい。そこから何かが始まります。あなたとご家族のためにお祈りします」。
鉛筆書きのこういうハガキをだいぶ前に受け取った。知らない人からの希求の手紙だなあと思いつつ、目の前の事に追われて、つい放って置いた。
今日、返事を書いた。「『主イエス・キリストは私の救い主です』と告白するとき、あなたの求める『本 当の意味の救い』が始まります。本当の救いは『永遠 の命』を信じることです。ぜひ、お近くのルーテル教 会の礼拝に与って下さい。そこから何かが始まります。あなたとご家族のためにお祈りします」。
2015年9月13日日曜日
このつぎはと興味津々
目前の工事は、この夏、建物の地盤となる基礎工事をほぼ終えたらしい。掘り返し、埋め戻しの大音響の毎日だった。8月末に、でっかいキャタピラの付いたブルドーザーや首の超なが〜いクレーンが、工事後の地面の表を平らに直して次々と帰っていった。
束の間の静寂・・・猛暑日に猛暑日が続いた夏の終わりが意外にあっけなく来たのに似ている。気がつけばいつもの彼岸花が牧師館の片隅にスイスイと姿をあらわしている。もう来週は秋分の日だ!
さて、工事の方はと見ると、新しいクレーンが部品でやって来てここで組み立てられた。前にもまして強力強大だ。つぎの工事は如何にと、興味津々である。
束の間の静寂・・・猛暑日に猛暑日が続いた夏の終わりが意外にあっけなく来たのに似ている。気がつけばいつもの彼岸花が牧師館の片隅にスイスイと姿をあらわしている。もう来週は秋分の日だ!
さて、工事の方はと見ると、新しいクレーンが部品でやって来てここで組み立てられた。前にもまして強力強大だ。つぎの工事は如何にと、興味津々である。
2015年9月6日日曜日
「たった一人」を見逃すまいと祈る
いまヨーロッパ中を駆け巡っている衝撃の写真がある。ギリシャに向かう移民船がトルコ沖で沈没し、シリア難民の男児の遺体がトルコの海岸に打ち上げられた。靴をはいたまま、膝をまげて砂浜にうつ伏しているその姿はあまりにもあどけなく、可愛らしい。そして、痛々しくて胸がつぶれる悲しい写真だ。
「たった一人の子どもでも、力になれたら」と思って活動してきた。これはユニセフ親善大使を1984年から務めてきた黒柳徹子さんの直近の言葉だ。
この「たった一人」にキリストは絶えず目を注ぎ、憐れまれたと聖書は告げる。私も、目の前の手の届くところの「たった一人」を見逃すまいと祈る。
「たった一人の子どもでも、力になれたら」と思って活動してきた。これはユニセフ親善大使を1984年から務めてきた黒柳徹子さんの直近の言葉だ。
この「たった一人」にキリストは絶えず目を注ぎ、憐れまれたと聖書は告げる。私も、目の前の手の届くところの「たった一人」を見逃すまいと祈る。
( #KiyiyaVuranInsanlik というハッシュタグでTwitter を検索すると世界の人々からのツイートに触れられます。)
2015年8月30日日曜日
イエス様が手を広げて待つところ
「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。‥‥…一日いても誰も何も言わないよ。……」これは某図書館の公式ツイッターに掲載中のツイートだ。
素直に感動した。そして『としょかんライオン』(ミシェル・ヌドーセン作/ケビン・ホークス絵)という絵本を思い出した。町の図書館に突然やって来た大きなライオンが図書館で過ごす話は、きまりを巡ってすったもんだあるものの、胸がキュンとするほど暖かい。
学校や職場、そして家に居場所がないと感じたら、その時こそ教会を思い出してほしい。ここはイエス様が手を広げて待つところ。いつでも連絡をと祈る。
素直に感動した。そして『としょかんライオン』(ミシェル・ヌドーセン作/ケビン・ホークス絵)という絵本を思い出した。町の図書館に突然やって来た大きなライオンが図書館で過ごす話は、きまりを巡ってすったもんだあるものの、胸がキュンとするほど暖かい。
学校や職場、そして家に居場所がないと感じたら、その時こそ教会を思い出してほしい。ここはイエス様が手を広げて待つところ。いつでも連絡をと祈る。
2015年8月23日日曜日
ビタミンを有り難く頂戴する
教会の横の鉢には30センチはありそうな、なが~い豆の莢(さや)がツルから何本もぶら下がっている。「十六ササゲ」だ。関東では珍しい豆だと思うが、岐阜では大正時代から、その名も「十六豆」と言って栽培してきて、今では伝統野菜の一つとなっている。
原産国はアフリカで高温、乾燥に強い。カンカン照りの毎日、鉢に土を足して、毎日水をやる。見るたびに、背丈ほど伸びたツルのいたるところ、莢豆が長々と垂れ下がっている。「まだまだ、まだまだ」と言いながら、できるだけ莢が太り、長く伸びるのを待つ。
茹でてよし、煮てもよし。この夏たっぷりのビタミンを「十六ササゲ」から、有り難く頂戴する。
原産国はアフリカで高温、乾燥に強い。カンカン照りの毎日、鉢に土を足して、毎日水をやる。見るたびに、背丈ほど伸びたツルのいたるところ、莢豆が長々と垂れ下がっている。「まだまだ、まだまだ」と言いながら、できるだけ莢が太り、長く伸びるのを待つ。
茹でてよし、煮てもよし。この夏たっぷりのビタミンを「十六ササゲ」から、有り難く頂戴する。
2015年8月16日日曜日
そこに曖昧さはない。
戦後70年目の談話を読んだ。日本が戦争に突き進んでいったその背景に、欧米諸国を始めとする植民地政策と世界恐慌後の経済のブロック化によって日本が孤立感を深めたという理由が述べられていた。
日本の戦争責任の他に、世界のとりわけ欧米の責任を匂わせる。その文章を読んで思った。アジアの国々にお詫びをするには、いささか「悔い改め」が甘すぎるのではないか?
周囲の状況、相手の正誤に関わらず、自らの有り様について「悔い改める」ことを聖書はまず説く。そこに曖昧さはない。戦争への道から踵を返して、180度反対方向を目指せ。そこに平和の主もおられる。
日本の戦争責任の他に、世界のとりわけ欧米の責任を匂わせる。その文章を読んで思った。アジアの国々にお詫びをするには、いささか「悔い改め」が甘すぎるのではないか?
周囲の状況、相手の正誤に関わらず、自らの有り様について「悔い改める」ことを聖書はまず説く。そこに曖昧さはない。戦争への道から踵を返して、180度反対方向を目指せ。そこに平和の主もおられる。
2015年8月9日日曜日
おいしくなれ〜、おいしくなれ〜
記録的な酷暑と絶え間なく続く工事の騒音の中で家人はこのところ台所でジャム作りに余念がない。
牧師館の庭にある「イヌビワ」の木に親指大の実が なった。◯先生がジャムになるよと教えてくださったとかで、まずは収穫。
「イヌビワ」をインターネットで調べたところ、イチジクの一種で、食べられるのは雌木の実で、残念ながらここのは雄木だとわかった。
雄木にもメゲズ、この暑さにもメゲズ、我が家の初収穫だからとグツグツ煮ている。「おいしくなれ〜、おいしくなれ〜」と言いながら。
試食してみる。私の口には、うまい!というほどではないが、家人にはこよなく貴重なジャムらしい。
牧師館の庭にある「イヌビワ」の木に親指大の実が なった。◯先生がジャムになるよと教えてくださったとかで、まずは収穫。
「イヌビワ」をインターネットで調べたところ、イチジクの一種で、食べられるのは雌木の実で、残念ながらここのは雄木だとわかった。
雄木にもメゲズ、この暑さにもメゲズ、我が家の初収穫だからとグツグツ煮ている。「おいしくなれ〜、おいしくなれ〜」と言いながら。
試食してみる。私の口には、うまい!というほどではないが、家人にはこよなく貴重なジャムらしい。
2015年8月2日日曜日
右脳から平和
左脳と言うのは、「自分」という「個」を認識させ る知性の働きだ。それは過去から未来を生きる私であり、言葉で考える私である。この左脳を使って、私達は現実世界と向き合うことができる。 仮に、脳梗塞などによって左脳の働きが失われ、右脳だけが働くとしたら、一体どうなるだろうか?右脳はわずらわない。今感じている感覚がすべて。「私」はこの世界に存在する全ての人々と一体となり、広大な宇 宙の一切の中に溶け込んでいくという。それは筆舌に尽くしがたい至福感だそうだ。
さて、時には左脳の「私」へのこだわりを捨てて、右脳の至福に浸ってみたい。きっとそこは神の国だ。
さて、時には左脳の「私」へのこだわりを捨てて、右脳の至福に浸ってみたい。きっとそこは神の国だ。
2015年7月26日日曜日
なんだか家族の会話みたいで
精神科の入院病棟の面会室で毎週一回、信仰入門講座を始めてから2ヶ月ほどになる。最初面会申込書に、本人との関係をなんと書いたものかと迷った。いわゆる家族親戚ではない。友人、知人というのも今一しっくり来ない。その他の欄にやはり「牧師」と書いた。
おやつとお茶で和んできたところで学びをする。途中、いろいろ話も飛んで脱線もするが、それも楽しい。最後は祈り合って終わる。
今日は別れるとき、初めて「気をつけて」と私達に言葉をかけてくれた。妙に嬉しい。「ありがとうございました」はどうしても上下の言葉になる。
なんだか家族の会話みたいで嬉しかった。
おやつとお茶で和んできたところで学びをする。途中、いろいろ話も飛んで脱線もするが、それも楽しい。最後は祈り合って終わる。
今日は別れるとき、初めて「気をつけて」と私達に言葉をかけてくれた。妙に嬉しい。「ありがとうございました」はどうしても上下の言葉になる。
なんだか家族の会話みたいで嬉しかった。
2015年7月19日日曜日
夏が来る、来る。
降り続く長雨にもそろそろうんざりし始めた頃、いきなり真夏のような暑さがやってきた。てっきり梅雨が明けて夏が来たかと思えば、今度は台風の到来で、激しい雨。
「天気よ、お前には丁度良いということはないのだね」そう、独りごちてみるものの、相手が天気ではどうしようもない。しかし、晴れたり、降ったりを繰り返しながら、そろそろこの梅雨とも来年までの別れとなる。
まもなく水平線から入道雲が湧き上がり、夏がくる。先週はクロアゲハやトンボが飛んでいた。今日はセミも鳴いていた。来週の月曜日は海の日だ。ああ、もうすぐ夏が来る!夏が来る、来る、夏が来る。
「天気よ、お前には丁度良いということはないのだね」そう、独りごちてみるものの、相手が天気ではどうしようもない。しかし、晴れたり、降ったりを繰り返しながら、そろそろこの梅雨とも来年までの別れとなる。
まもなく水平線から入道雲が湧き上がり、夏がくる。先週はクロアゲハやトンボが飛んでいた。今日はセミも鳴いていた。来週の月曜日は海の日だ。ああ、もうすぐ夏が来る!夏が来る、来る、夏が来る。
2015年7月12日日曜日
妙なことだが
牧師館の二階からは向かいの建設現場の様子がよく見える。朝8時、いつものようにラジオ体操で始まる。それから、今日の予定の確認でもしているのか、みんな一段高いところに立つ人の話を聞いている・・・どうやら終わったらしい。
すると全員が向かい合って、やおら片手を前に出して、「オゥ!」と叫んで振り下ろした。円陣こそ組まないが、なんだかスポーツの試合前のようだと思った。まもなく、ブルドーザーの大音響が聞こえ始めた。
ラジオ体操、円陣、おまけに工事現場の入り口に作られた小さな花壇を思い浮かべる。妙なことだが、この大騒音を我慢しようという気になる。
すると全員が向かい合って、やおら片手を前に出して、「オゥ!」と叫んで振り下ろした。円陣こそ組まないが、なんだかスポーツの試合前のようだと思った。まもなく、ブルドーザーの大音響が聞こえ始めた。
ラジオ体操、円陣、おまけに工事現場の入り口に作られた小さな花壇を思い浮かべる。妙なことだが、この大騒音を我慢しようという気になる。
2015年7月5日日曜日
海の向こうから祈りがとどいた
一通のエアメールが届いた。はて?と思いながら封筒の表を見る。米国、ノースキャロライナ州のランバートンにある聖マルコ・ルーテル教会から。宛先は湯河原教会の皆様である。
それは、引っ越したばかりの二女が通い始めた教会で、先だって家人が訪れた時、日本福音ルーテル湯河原教会は同じ流れをくむルーテル教会だと自己紹介したという。
封を開ける。教会の便箋に教会員それぞれがサインをした手紙が入っていた。「聖霊降臨後第4主日に、湯河原教会を覚えて祈りました。・・・湯河原教会を今年度の私たちの教会の祈りのリストに入れました・・・」
すごい!海の向こうから祈りがとどいた。
それは、引っ越したばかりの二女が通い始めた教会で、先だって家人が訪れた時、日本福音ルーテル湯河原教会は同じ流れをくむルーテル教会だと自己紹介したという。
封を開ける。教会の便箋に教会員それぞれがサインをした手紙が入っていた。「聖霊降臨後第4主日に、湯河原教会を覚えて祈りました。・・・湯河原教会を今年度の私たちの教会の祈りのリストに入れました・・・」
すごい!海の向こうから祈りがとどいた。
2015年6月28日日曜日
アオダイショウ
梅雨のこの時期、雨が止んでいてもいたるところ湿気だらけである。気がつけば風呂場にも台所にもナメクジが這っている。どこからやってくるのか、さっぱり謎である。
だがまてよ、考えてみると牧師館の庭は雑草と雑木で覆われていて、この時期は水浸しである。思い立って下草を取り、雑木の剪定をする。
見ると、1メートルもあろうかと思えるアオダイショウが木の枝を下りて道を横断して行った。隣の工事のせいで、アオダイショウは我が家に避難して来たのかもしれない。せっかく牧師館の庭にいたのに、まことに申し訳ない。だが、確かに風通しは良くなった。
だがまてよ、考えてみると牧師館の庭は雑草と雑木で覆われていて、この時期は水浸しである。思い立って下草を取り、雑木の剪定をする。
見ると、1メートルもあろうかと思えるアオダイショウが木の枝を下りて道を横断して行った。隣の工事のせいで、アオダイショウは我が家に避難して来たのかもしれない。せっかく牧師館の庭にいたのに、まことに申し訳ない。だが、確かに風通しは良くなった。
2015年6月21日日曜日
洗礼の水をたたえる“釜”
湯河原教会を創設した米国人ジョン・ボーマン牧師は、土地の人々から「青い目の良寛さん」と親しまれた。終戦後の復興期のことである。
ボーマン夫妻は、近所の海岸で多くの家族が海水浴を楽しむのを見て、東京で出会った貧しい家庭の子供たちを招いて思う存分楽しませてあげたいと考えた。
夫妻は生活を切り詰めて費用をため、まず母子寮の子供たち30人を三泊四日の教会キャンプに招待した。その時の子供らの喜びが当時の記事に綴られている。
2年前、この催しに使われた大きな釜が教会堂の屋根裏で見つかった。湯河原教会宣教60周年の今年、この釜は洗礼の水をたたえる器として蘇ろうとしている。
ボーマン夫妻は、近所の海岸で多くの家族が海水浴を楽しむのを見て、東京で出会った貧しい家庭の子供たちを招いて思う存分楽しませてあげたいと考えた。
夫妻は生活を切り詰めて費用をため、まず母子寮の子供たち30人を三泊四日の教会キャンプに招待した。その時の子供らの喜びが当時の記事に綴られている。
2年前、この催しに使われた大きな釜が教会堂の屋根裏で見つかった。湯河原教会宣教60周年の今年、この釜は洗礼の水をたたえる器として蘇ろうとしている。
2015年6月14日日曜日
「美味しくたべてもらいたいんです」
さて、お目当てのきび餅を買いに某和菓子屋を探しに出かけた。小さいが簡素で古い構えの店に、老婆と年配の女性が接客をしていた。
やっと探し当ててきたというと、「そうですか、そうですか」と大歓迎された。すすめられるままにきび餅を試食する。
「うまい!」。きな粉の味も、モチモチ感も満点である。実は今まで、きび餅という庶民的な和菓子が、こうまで美味しいものだとは知らなかった。
ああ、これが本物の湯河原名物のきび餅だと納得。これまで何軒かの和菓子屋で買ってみたが、このきび餅の味には出会えなかった。創業当時から作り方を変えていないというこだわりも大いに気に入った。
やっと探し当ててきたというと、「そうですか、そうですか」と大歓迎された。すすめられるままにきび餅を試食する。
「うまい!」。きな粉の味も、モチモチ感も満点である。実は今まで、きび餅という庶民的な和菓子が、こうまで美味しいものだとは知らなかった。
ああ、これが本物の湯河原名物のきび餅だと納得。これまで何軒かの和菓子屋で買ってみたが、このきび餅の味には出会えなかった。創業当時から作り方を変えていないというこだわりも大いに気に入った。
2015年6月7日日曜日
まるでイエス様みたいね
教会の掲示板を掃除した。ガラスを外し、濡れ雑巾で拭き、歯ブラシでこすり、隅っこは爪楊枝で汚れをかき出す。しかし石鹸、洗剤、ベンジンを持ってしても外枠の煮汁のような汚れはどうにも落とせない。
家人が台所から小さな白いスポンジを持ってきた。果たして・・・?きれいに落ちるではないか!しかし、当のタワシは私の手の中でぽろぽろと垢となって、とうとう無くなってしまった。洗剤は要らない。水だけで、ひたすら身を削って汚れを落とす『メラニン研磨タワシ』の力を知った。
「まるでイエス様みたいね」と、家人の一言が痛かったが、掲示板はすっかり新しく生まれ変わった。
家人が台所から小さな白いスポンジを持ってきた。果たして・・・?きれいに落ちるではないか!しかし、当のタワシは私の手の中でぽろぽろと垢となって、とうとう無くなってしまった。洗剤は要らない。水だけで、ひたすら身を削って汚れを落とす『メラニン研磨タワシ』の力を知った。
「まるでイエス様みたいね」と、家人の一言が痛かったが、掲示板はすっかり新しく生まれ変わった。
2015年5月31日日曜日
教会の花は救いたい
先週あんなにきれいに咲いていたスイトーピーが、気がつけば無残に枯れかかっているではないか!きっとこの2日ばかり、水やりを怠ってしまったためだと、早速バケツに水を持って急ぐ。
しかし、よく見ると、それは無数のアブラムシにたかられている事によるものだと分かった。上の方の柔らかな茎という茎は、まるで緑色のゴマをまぶしたようになっていた。
反射的に手が伸びる。「この、アブラムシめ!目に物見せようぞ!」とばかり、アブラムシのついた枝を次々しごいた。こんなことで、アブラムシに勝利するとは思えないが、それでも教会の花は救いたい。
しかし、よく見ると、それは無数のアブラムシにたかられている事によるものだと分かった。上の方の柔らかな茎という茎は、まるで緑色のゴマをまぶしたようになっていた。
反射的に手が伸びる。「この、アブラムシめ!目に物見せようぞ!」とばかり、アブラムシのついた枝を次々しごいた。こんなことで、アブラムシに勝利するとは思えないが、それでも教会の花は救いたい。
2015年5月24日日曜日
ナイスなスペース
湯河原教会の前庭に新しいスペースが誕生した。丁寧な仕事ぶりが伺える。施工してくださったY建業さんに感謝である。
お礼を言うと、「教会って言うのは、みんな奉仕で成り立っているんでしょ?だから、うちもそういう気持ちでやらせてもらっています」と言われる。これはすごい!教会の本質をよく心得ておられる。
それにしてもこの空間が出来て、印象がずいぶん変わった。ちょっとした事なのに、広々としてなかなかいい。
ここにベンチが据えられる。横にはプランターが並び、花が植えられる。このスペースからも「どなたもおいでください」とのメッセージを是非届けたい。
お礼を言うと、「教会って言うのは、みんな奉仕で成り立っているんでしょ?だから、うちもそういう気持ちでやらせてもらっています」と言われる。これはすごい!教会の本質をよく心得ておられる。
それにしてもこの空間が出来て、印象がずいぶん変わった。ちょっとした事なのに、広々としてなかなかいい。
ここにベンチが据えられる。横にはプランターが並び、花が植えられる。このスペースからも「どなたもおいでください」とのメッセージを是非届けたい。
2015年5月17日日曜日
天に上げられた主
人間は肉体としての「見る」という機能を科学の力で発展させてきた。レンズやレントゲンなどは人間が見る力を追求してきた結果である。
だが、主イエスの昇天の姿は科学を駆使しても見ることはできない。ひとえに心の目、信仰の目が開かれる事による。
礼拝で、司式者は手を上げて祝福する。それは主イエスが、手を上げて弟子たちを祝福しながら天に上げられたからである。
この主キリストの普遍的な姿を心の目を開かれた弟子たちは見ることができた。
心の目を開いていただくと、今まで見ていても気づかずにいたものが、そうだったのかとわかってくる。
今日は主の昇天主日である。
2015年5月10日日曜日
ああ、この広さよ!人の寛大さよ!
家族全員で集まろうと9年ぶりにテネシー州の地方空港に降り立った。ガラス張りの広々とした空港ロビーは到着ロビーから2階までゆるやかな長いスロープに作ってある。 中央には緑と岩に囲まれたアパラチアンの渓谷にみたてた噴水が音を立てて流れていた。
昼食にファーストフードの店に入った。「アップル・クランベリー・チキンサラダにしよう」とカウン ターに並びながら相談していると、前に並んでいた見ず知らずの女性が、「良かったら使って」と、自分のクーポンを切り取ってくれた。2ドルの割引だ。
「ああ、この広さよ!人の寛大さよ!」と山盛りのサラダを食べながら思う。
昼食にファーストフードの店に入った。「アップル・クランベリー・チキンサラダにしよう」とカウン ターに並びながら相談していると、前に並んでいた見ず知らずの女性が、「良かったら使って」と、自分のクーポンを切り取ってくれた。2ドルの割引だ。
「ああ、この広さよ!人の寛大さよ!」と山盛りのサラダを食べながら思う。
2015年5月3日日曜日
優しさのハーモニー
「森のイスキア」を主催している佐藤初女さんは訪れてくる心を病む人たちに手塩で握ったおにぎりと、野菜を使った手料理でもてなす。一緒に食べながらその人の話をひたすら聞く。ただ、それだけでみんな癒やされて帰っていくのだそうだ。初めてから19年、今年で93歳だというから、ますます驚きである。
彼女は野菜の皮も包丁でむく。決して皮むき器は使わない。皮むき器で剥かれる野菜はヒリヒリと痛そうだという。同様におにぎりも手塩で握る。お米が窒息するからと言ってラップは使わない。
素朴なおにぎりは相手の気持ちをそっと受け入れる。優しい気持ちで作った料理は味も優しいのだろう。
彼女は野菜の皮も包丁でむく。決して皮むき器は使わない。皮むき器で剥かれる野菜はヒリヒリと痛そうだという。同様におにぎりも手塩で握る。お米が窒息するからと言ってラップは使わない。
素朴なおにぎりは相手の気持ちをそっと受け入れる。優しい気持ちで作った料理は味も優しいのだろう。
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