2013年9月29日日曜日

隣人を想おう

 今日24日、ラジオを聞いていたら、シリアの難民は2百万人、食料不足の人々は3百万人にも及び、今、世界で最も困窮した状態にあると解説されていた。
 イタリアのランペドゥーサ島にも多くの難民が避難して助けを求めているという。8日、フランシスコ教皇がその島を訪れ、難民支援にあたる人々に心からの感謝を表されたという。
 「無関心のグローバル化」が進む今日、その悪魔的な力に抗し、それを突き破る祈りがなされている。
 世界の様々な土地で極限状態におかれている隣人を想おう。人の苦しみに慣れ、無関心にならないように聖霊の助けをいただいて祈ろう。

2013年9月22日日曜日

いわば天国の花である

 台風が過ぎ去った朝、深緑の丘の稜線が青空にくっきりと美しい。急に気候も秋めいてきた。朝夕の室温は20度前後と、異常に暑かったこの夏を思えば、さすがに人心地がつく。
 目を足元に移してみると、曼珠沙華が咲き始めているではないか!もうすぐ彼岸なのを思い出した。
「曼珠沙華」は梵語であり、ヒガンバナの別称である。
仏教でいう天上の花で、見るものの心を柔軟にするという。その意味ではキリスト教にも勝るとも劣らない花がある。野の白百合である。
 白百合は主イエスの復活と永遠の命を想ういわば天国の花である。

2013年9月15日日曜日

ちょっと敬礼して、襟を正す

 9月も中旬に入った。気のせいか青空が高くなり、朝夕には秋の空気も忍び寄る。そういえば、前の空き地の夏草もずいぶん褐色に変わってきている。
 今朝は、教会の窓辺に伸びているゴーヤも十六豆も葉が枯れて蔓が上がり始めているのに気がついた。
 それにしても僅かばかりの鉢植えの土で、よく実ってくれたものだと思う。我が家の食卓をたびたび豊かにしてくれた。今朝、最後の収穫をし、感謝を込めて「ありがとう」という。
 彼らは、誰のためでもなく、被造物として己の命をみごとに謳歌した。その潔さにちょっと敬礼して、襟を正す。

2013年9月8日日曜日

空と海とがつながっていた

 早川駅を過ぎて、根府川方面へと向かうと、車窓には太平洋の広がりが飛び込んでくる。
 9月になっても、真夏と変わらないその日は、どんよりと湿度が高く、晴天ならば大島が浮かぶはずの水平線がまったくかすんでいて、空と海とがつながっていた。
 手前の海の青さが水平線のあたりに向けて次第にうすくなり、そのまま空につながっていく。目を空の高みに転ずるほどに、また青さがましていく。大自然がおりなすグラデーションの眺望だ。
 湯河原と小田原の往復のたびに、時どきにに変わる海を眺めるのが楽しみの一つとなった。

2013年9月1日日曜日

 8月28日の『天声人語』は「キング牧師の歴史的な演説から、今日で50年になる。」と、演説を引用していた。「私には夢がある。いつの日か、あのジョージアの赤い丘の上で、かつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子とが同じテーブルに座れる日の来ることを・・・」
 公民権運動の推進者であったキング牧師のこの有名なフレーズは、イザヤ書65章25節「狼と子羊はともに草をはみ、獅子は牛のように藁を食べ・・・」を彷彿とさせる。彼の見た「夢」は聖書に拠っている。
 聖書の与える「夢」はいつの時代にも苦境に立つ人に希望を与え、進むべき道を示し続けている。