2023年3月26日日曜日

人の目には不可能に見えるが

  主はラザロを甦らせた。科学的にも常識的にもにわかには信じがたく、それは不可能に見える。

 絶対に不可能と思われるようなことに立ち向かう人がいる。医師の中村哲さんは自ら重機を操作して、アフガニスタンで24.3キロの用水路を7年がかりで掘った。「殆どの病気は十分な食べ物都清潔な水があればかからない。飢えや乾きは薬では直せない」と気づいたからだ。今や、水無し地獄だったカンベリに緑が戻り農業ができるようになり、人々はスイカが食べられる。

 死んでしまったラザロを生き返らせるためエルサレムに向かって行く主イエスの姿の片鱗を、不可能に向かって突き進んだ中村哲さんの姿に見ることができる。


2023年3月19日日曜日

もう今は愛だけ

  先週のこと、ホスピスにおられるAさんと面会した。ようやく聞き取れる言葉と筆談でAさんが語った言葉。

 「以前はキラキラしたものに心を惹かれた。でも、今は愛だけ」この言葉を聞いて、私は大きくうなずいた。Aさんは続いて、「私はお母さんから愛されていないと思っていた。でも、今はお母さんが大好き。お母さんの愛がわかる。」それを聞いて、Aさんを抱きかかえるようにして支えていたお母さんが涙された。

 Aさんは2週間前に病床洗礼に与った。この世界で価値あるもの、キラキラしたものは自分にとってはもうどうでもいいものだ。自分にとって大切なのは愛だけなのだとAさんは言う。神にある愛だと受け取った。

2023年3月12日日曜日

まことの水を求める勇気

 四旬節は主イエスとの出会いを深めるときだ。

今日のサマリア人の女性のように私達も心の奥底に潜めて見ないようにしている自分というものがある。

 暑さと旅の疲れで休んでいた主イエスは喉の渇きを覚えて、サマリアの女性に水を乞う。そして、主はこの女性に「決して渇くことのない水」を求めるよう促す。その出会いから始まる主との対話、それに導かれるようにしてこの女性は救われてゆく。

 私達の身の回りにはその場しのぎに飲んで、その時々の乾きを潤す飲み物がたくさんある。主イエスという「まことの水」を求めるということ、主と本気で出会うことは勇気がいる。だが、素晴らしい!

2023年3月5日日曜日

聖霊は風のように

  私たちはすでに新しい命に生きるものとされているにもかかわらず、ニコデモのように旧い自分に囚われてなかなかその恵みの中を生きられない者だ。しかし、聖書は後にニコデモが主イエスの埋葬をしたことを伝えてくれている。(ヨハネ19:39)

 ニコデモがいつ、どのように生まれ変わったのか、聖書は語らない。しかし、主イエスはニコデモとの対話の中で、神の存在を風に例えて教えている。聖霊は風のように思いのままに吹いて、ニコデモを新しくしてくださったに違いない。

 聖霊の風は大枝を揺り動かし、そして小さな草花の葉をかすかに震わせて私達の魂に働きかけ続ける。