2021年7月25日日曜日

慌ただしさに忙殺されずに

  オリンピックの開会式をビデオに撮った。最初のところだけ少し見て、あとはビデオで見るつもりだった。ところが、見始めると引き込まれてしまって途中で止めることができずにとうとう終わりまで見てしまった。

 翌朝は予定があった。電話もかかってくるし、人もやってくる。当然気ぜわしくなった。そして思った。慌ただしさに忙殺されない心のときは大事だ。自分のすることだけに捕らわれないでいることで、他者に気づき、他者の痛みや必要としていることに気づける。

 思いやりは静かで穏やかなこころから生まれるように感じる。沈黙の時は大事だ。オリンピックはリオの時のようにビデオで見よう。後からゆっくりと。

2021年7月18日日曜日

まことの羊飼い

 「飼い主 我が主よ 迷う我らを 若草の野辺に導きたまえ・・・我らは主のもの 主に在りて生く」この讃美歌を歌うと詩篇23篇が思い起こされる。 

 真に良い牧者である主イエスは飼い主のない羊の群れのような群衆を目の前にして深く憐れんでいる。この人達はどこへ行けば平安が得られ、どっちに進めば自分らしく生きられるのか分からなくなっている。目的地にまで安全に導いてくれる牧者の存在は大きい!

 そういう私もイエスと言う大牧者に導かれるまでは、迷いに迷った!だが、今はどうにかして隣人を案内したい。「主のもとへどうぞー!草も水もありますよ〜」。

2021年7月11日日曜日

肩をポンと叩いてくれる

  熱海の土砂災害はすぐ近くで起こった。このときの実際の土石流の様子をインターネットで見たが生々しすぎてSFXかと思ったくらいだ。

 湯河原の私たちを気遣って電話がかかってくる。予想せず懐かしい人達と旧交を温めることになった。

 時間の経過とともにこの土石流の原因は山の斜面の盛り土らしいとわかってきた。目的を達成するために人間は頭を最大限に駆使し、計画をめぐらす。

 目的のために只計画するならそこには欲望と頭脳があるだけで神への畏怖はない。いつも横にいて、必要な時に私の肩をポンと叩いて黄色信号を出してくれるイエス様の存在はほんとうに有り難い。



2021年7月4日日曜日

実りを得た!

 主イエスは12人を二人ひと組で、杖一本のほか何も持たせず、「着の身着のまま」で宣教に送り出された。

 この12人のいかにも軽々とした旅姿を思い描いてみた。そして、かつて旅行に出かけた時などの自分のパンパンに詰まったリュックサックを思い出した。

 旅先でのいろんな状況を想定して「これも要るかもしれない」と考えると持っていく物が増える。膨れた荷物を前に再度選び直すということもやっていたなー。

 ところがこの12人は主から「汚れた霊を制する権威」を授けられたほかは無一物同様で送り出されている。物に頼らず、見えない霊的主イエスとの三人四脚を心に頼んで、12人の宣教伝道は実りを得た!