2021年9月26日日曜日

100%と0%

  説教の準備をしていて、ルターの言葉の中に「神の救いは、私たちが何かをするからでなく、それ自らの力によってなっていくものだ」という箇所があったはずだと思った。しかし、それがどこに書かれているか、どうしてもわからない。大先輩のK牧師に電話で教えを請うと先生はすぐ答えてくださった。

 「それは『恵みのみ、信仰のみ、聖書のみ』というルターの信仰を解釈するところから生まれた言葉だ」と教えてくださった。それから先生は、「救いは、神が100%、人間は0(ゼロ)%。けれども、神の御業への応答では人間が100%だ」というふうに教えてくださった。なるほど!すごくよく分かるな。

2021年9月19日日曜日

こんなところに主はおられる

  コロナ禍の続く中では、孫達とは会えないのでインターネット上に送られてくる写真を見て満足する。

 画面の孫たちの様子にニッコリしたり、えーっと驚いたりしながらも、息子や娘の子育てぶりが垣間見える。気になることがあっても、言葉にはしない。

 ところで今日、主は「このような子どもの一人を受け入れよ」と言われる。この場合、子どもは「力のない者、弱い者」の象徴だ。こういう社会的弱者のところに主イエスはおられる。居心地が良くないところ、弱さのあるところで主は私たちを待っておられる。

 自分を誇るのではなく、謙遜な奉仕のこころのあるところに主はおられると知らされた。

2021年9月12日日曜日

虫の音をききながら

  秋の虫の大合奏が牧師館でも聞こえるようになった。夜9時、日中の暑さはどこへやら。ひんやりした空気の中で聞く虫の音はなんとも良い気分である。

 この夏、中東ではもはや気温50℃超えは当り前となったというニューズウイークの記事を読んだ。極端な気温上昇と干ばつ、森林火災。都市はヒートアイランドと化し、水不足、電力不足でエアコンも使えず、難民大量発生の懸念もあるというものだ。

 地球と被造物は単なる「資源」ではない。私たちの共通の家だ。被造物はただ存在するだけで価値がある。ジジジジ、チリチリ、リーンリーン、秋の虫の音をききながら神の被造物への愛を想う。

2021年9月5日日曜日

パラリンピアンから力をもらう

 9月に入った途端、この夏の熱波は去った!目覚めて今朝の涼しさに驚く。ほんとうに感謝だ!

 この夏は今までになくパラリンピックをラジオ観戦した。こちらの方の応援はどれだけ熱くても熱すぎない。印象的なのは、多くのパラリンピアンがメダルを取る事も大事だけれど、自己ベストに挑戦したいと抱負を語っていることだ。自分の限界を超えることに向かって頑張る姿には一種の清々しさを感じる。

 「がんばれー!行けー!行けー!」とマイクに向かって絶叫している解説者の声に、このアスリートたちを支えて生きてきた縁の下の人々の存在を思った。

 「自分の限界に挑戦」か!この言葉に勇気をもらう。