2017年4月30日日曜日

二人の上に祝福を!

 先日、小田原教会で結婚式をさせて頂いた。
 この3ヶ月ほど、二人には、結婚カウンセリングのために何度か教会に来ていただく。人間はみな不完全で不十分。だからお互いを赦し合い、受け入れることが何よりも大切になる。結婚における夫婦も同じだ。
 ヨハネは語りかける。「神は愛である。愛さないものは神を知らない。わたし達は神を見ることはできないけれども、わたし達が互いに愛し合うなら、その中に神はとどまってくださる」(ヨハネの手紙一4章から)
 式の後、エリカの花が満開の庭でコーヒーとケーキのレセプションを準備する。手作りの結婚式は簡素な中にも暖かさが溢れた。主よ、二人の上に祝福を!

2017年4月23日日曜日

イースターエッグのミニ・ミッション

 新緑の中を復活の主イエスの息吹を感じながら、イースターエッグをお届けした。礼拝に来られない方々とご近所の方たち、どなたも一様に喜んで下さる。
 病院に入院されている一人の方は、「イースターエッグをもらったのは初めてです。きれいですねー。」と嬉しそうに目を細める。「来年もまた。」と約束した。
 最後にお渡ししたのはミニチュアダックスを連れて牧師館の前をよく散歩される方だ。「わー、きれい!これ、飾っておいてもいいんですか?」「どうぞ、どうぞ、よろしかったら。」と、わたし。
 イエス様の復活の幸せが伝われば、それで十分。主よ、イースターエッグのミニミッションに祝福を!

2017年4月16日日曜日

この目で主を見ました!

 花とりどりを引き連れて春がやって来た。この美しい季節にわたし達の主イエス・キリストは復活された。
 主の復活は、わたし達の経験や知識というものに限界があることを教えてくれる。イエスの遺体を探しに来たマグダラのマリヤは主を墓所の園丁だと思いこんだ。にわかに復活は信じ難い。そのマリアに向かって、主は懐かしいあの声で「マリヤ」と呼びかけられた。園の中の主イエスとマリア・・・一幅の絵だ。
 主は、弟子たちが近づき得なかった十字架近くに、信仰と愛だけで近づいたマリアに、復活最初の証人の栄誉を与えられた。マリアは歓喜のうちに叫ぶ。「ああ、見ました。わたしはこの目で主を見ました!」

2017年4月9日日曜日

聖週間

 枝の主日の今日、主イエスはエルサレムに迎えられた。聖週間の始まりである。
 聖月曜日、主は神殿を清められる。聖火曜日、エルサレム神殿の境内で、主は堰を切った流れのように時を惜しんで語られる。聖水曜日、主は神殿に行かず静寂と沈黙の中で過ごされる。ユダは主イエスを売り渡すことを決めた。聖木曜日、主は弟子たちと過ぎ越しの食事を祝われる。これが最後の晩餐となった。聖金曜日、主は十字架におかかりになる。
 イエス・キリストをとおして神の愛が凝縮されたこの聖週間、主の弟子たちの経験を追体験したい。わたしも弟子のハシクレなのだから!

2017年4月2日日曜日

輝く光に包まれて

 ある方が語ってくれた話だ。
 重度の障害を持った友人が先日亡くなった。その友人は体も言葉も不自由で、ほんの2、3語を話せるだけ。しかし、いつも彼からやすらぎを与えられ、勇気づけられたという。電話で彼の死を知らされた時、輝く光に包まれて神のもとに上げられる情景が目に浮かんだ。彼との別れは悲しいけれど、自分でも驚くほど心は平和だったと話してくださった。
 人は神からの愛を受ける器として、誰もが神から頂いた命を精一杯輝かせるためにこの世に生まれ出る。
 「置かれた場所で咲きなさい」との渡辺和子さんの言葉がふと浮かんだ。