2023年10月29日日曜日

神のものは神に

 主イエスは「皇帝のものは皇帝に」と言って私達にこの世の金銭について清廉潔白であることを求める。その言葉は同時に「皇帝は神ではなく人である」ことをも示している。そして、「神のものは神に」と付け加えることによって、私達と神との根本的関係に目を向けさせてくださった。

 私達は一人のキリスト者として「神のものは神に返しなさい」と言われた主の言葉の意味を謙遜に思い巡らすとき、いろいろな人からの助けを受け、支えられて今ここに存在しているということに思い至る。すべては神から頂いた恵みだとの思いに立ち返る。

 「主よ、喜んで御前にお返しいたします」。今日、改めて恵みを噛み締めて感謝する。



 

2023年10月22日日曜日

祈る。それでも祈る。

 ハマスとイスラエルの軍事衝突に心を痛める。現在のパレスチナ問題の始まりは第2時大戦後のことだ。600万人ものユダヤ人が殺害されたホロコーストの迫害と苦難の歴史を経て、聖書の「約束の地カナン」は1948年のイスラエル建国として結実した。しかし、それは先住のパレスチナ人を抑圧し、排除する歴史の始まりともなった。

 彼らの大祖アブラハムたちも寄留者であった。エジプトの地では奴隷であった。「あなたは寄留者を抑圧してはならない。あなたがたは寄留者の気持ちが分かるはずだ。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである(出エ23:9)」。神は彼らが助け合い、共存することを望んでおられる。 

 

2023年10月15日日曜日

神の愛の礼服を身にまとう

 来年の夏も活躍してくれることを願いながら、湯河原の牧師館の三ヶ所からヨシズを巻き取って片付けた。

 猛暑の夏の日差しを遮ってくれたヨシズは、ヨナが喜んだトウゴマの葉陰のようだった。「ご苦労さま」そして、神に感謝!

 聖霊が私たちの心を開いてくだされば、どこにでも主イエスの惜しみない愛の配慮があることに気づく。もしもそれを受け取らないなら、礼服を着ずに宴会に来たようなものだ。私たちが神の愛の配慮に気づくなら、たちまち神の国の宴会が目の前に現れる。

 「自分のことばっかり」になるのではなく、隣人への愛の配慮に心砕くなら、私たちの霊性は生き返って、シャキッと格好良くなる。

2023年10月8日日曜日

天の恵みの分かち合い

 10月に入って急に涼しくなった。待ちに待った秋の始まりだ!長く暑かったこの夏を思えば、堰を切ったかのようにやってきた秋は天からのプレゼントだ。

 この秋を告げるように、先週はライムを、今週はスダチを頂いた。早速二つの教会におすそ分け。恵みの分かち合いは喜びと感謝を何倍にも膨らませてくれる。

 そういえば、我が家の庭先にもいつの間にか種が落ちて勢いよく生え育った青じそがある。今や小さな白い花をつけ、香りの良い実をびっしりつけている。家人が茎ごと切り取って瓶に指し、台所の棚に置いた。こうしておけば、いつでも青じその花と実が楽しめるからだと。味噌汁にも納豆にも。名付けて「ボランティア青じそ」。これこそ「天の恵みの分かち合い」。


 

2023年10月1日日曜日

本音は同じだが・・・

  「今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言われたらどうだろうか?家人に聞いてみた。「突然言われるのは、イヤですよ」という答えが返ってきた。

 そうなのだ、この二人の息子たちも「No」なのだ。けれども、弟は父の手前を取り繕って「Yes」と答えた。

しかし、本音は「No」なのだから、行かなかった。兄は「No」と答えたが、思い直して、ぶどう園へ行って働いた。父の心にかなったのはもちろん兄である。

 もう一方で、この主のたとえには「人に自分を取り繕うことはない」というメッセージがあるように思える。自分をよく見せかけようとしないで、素直に「NoはNoと言っても良い」のだと。あるがままの自分から初めて、本当に主とつながる。それで良いのだと。