2021年6月27日日曜日

キリストがきっと触れてくださる

  新型コロナワクチンの接種が進む中、私も一回目のワクチン接種を受けた。ワクチンによる集団免疫という可能性までの道のりを思うが希望を持って待つ。

 コロナ禍が何ヶ月も続いて、暗闇が覆っているように感じられる時がある。そんな状況でも夢と思い出と祈りの道のりを歩む中、主キリストと共にいることで主は私たちに新たな旅路を進む力を与えてくださる。

 女性会が古着プロジェクトに取り組んでいる。アフリカのより貧しい人々との分かち合いができるなら、それは主の心を届けることになる。コロナ禍の中で、生活上の困難を抱えて忍耐している全ての人々の心に慈しみの主キリストがきっと触れてくださる。



2021年6月20日日曜日

あの人は、イエス様だったに違いない!

 以前、テネシー州に住み始めた頃、一時帰国する家人を空港まで送った。帰りの夜のドライブ、空港を出たところで一つ道を間違えた。夜の暗がりで周囲の様子が見えなかったからだ。知らない土地の知らない場所!ひたすら眼の前の道を走り続ける。パニックだった。

 やっと見つけたガソリンスタンドで、スイートウオーターへの道を尋ねると、一人の人が、「私のあとについて来て。そちらの方に行くから」と申し出てくれた。

 その人は私の目指す町への分岐点のところまで先導してくれ、交差点で窓から手を振って合図を送ってくれた。感謝と安堵の思いが胸にあふれてきた。今でも思う。あの時のあの人は、イエス様だったに違いない!

2021年6月13日日曜日

「からし種」がいっぱいだ!

  以前、からし種を5,6粒もらったことがある。それは胡麻より遥かに小さかった。撒いてみようと思ってはいたものの、いつの間にか無くしてしまった。「あれはなんとも惜しい事をした!」と今にして思う。

 主は「神の国」をこの吹けば飛ぶような小さなからし種にたとえている。この種はどんなに小さくても種なのだ。種が本物で生きていれば、いつかそれは必ず大きく成長していって、大きな実りがもたらされる。

 たとえみすぼらしく、弱々しく、こんなのでは何にもならないと思われるような現実にも神の国の「種」を見ていくとしたら、私たちの身の回りには「からし種」がいっぱいだ! そしてそれは大きな実りとなる。

2021年6月6日日曜日

脱帽です!

 このコロナ禍の上に健康上の問題もあり、教会に来ることができない方と私はよくメールや電話でお話をする。Qさんは今、孤独である。教会に友達と呼べるような方を求めておられることを知った。

 さっそく、教会のPさんに電話をして「この方の話を聞いてあげて、友達になっていただけないか」と遠慮がちにお願いしてみた。Pさんは、私が思っていたとおり気持ちよく引き受けてくださった。

 が、この後にPさんの言われたことが私の想像を超えていた。「私がQさんの友達になるというより、Qさんの方が私の友達になってくださるのだというふうに思います」。この謙遜な言葉に、私は脱帽した!