2020年10月25日日曜日

今年が見納めとなりそうだ。

  兄弟教会である小田原教会の植え込みのドウダンツツジの紅葉がみごとだ。隣接地の工事のためにこの植え込みは取り除かれることになった。この艶(あで)やかな紅葉も今年が見納めとなりそうだ。

 小さな苗木であったのが今や大人の丈を越すほどになり、教会の歴史を偲ぶドウダンツツジの紅葉を今年は特別な思いで眺める。教会の皆さんの気持ちを察すれば、一本どこかに移す方法はないものかと・・・。

 さて、目を上げれば遠くに山々の紅葉が広がりつつある。こんなにも神は豊かに自然を備えてくださっているのだから、目先の自然に捕らわれて寂しくなることもないか!この先にはきっと恵みが待っている。

2020年10月18日日曜日

たちまちあったか〜い!

  今日は一日中じとじと雨だ。秋の雨はどこかうすら寒く、沈んだ気分を誘う。この雨、冷え冷えとして、なかなかあがらずコタツが恋しくなる。まさに秋の長雨「秋霖(しゅうりん)」を思わせる。

 我が家でも大慌てでファンヒーターを出す。スイッチをONにするとたちまち寒がり屋の猫たちが集まってきて膝の上でとぐろを巻く。

 ゆっくりFさんからの手紙を開いた。病院に長期入院しておられるが、コロナ禍で礼拝に出席できなくなってもう9ヶ月。外出許可が出たら礼拝に来たいとある。終わりの一文は「教会の皆さんに主の平和がりますように」だ。心も体も魂もたちまちあったか〜い!

2020年10月11日日曜日

イエス・キリストという礼服

 4日に召された叔母の葬儀説教で母教会の牧師の話が印象に残った。

 「晩年、惠さんはよく『私のためにお祈りください』と言われた。ある日曜日『先生、お祈りくださってありがとうございます。先生がお祈りくださっていたことがよく感じられました』と言われた。それを聞いて私は恥ずかしくもあり、申し訳ない気持ちになった。なぜならその週、私は惠さんのことを忘れていたからです」。

 私は天の父はまさに祈る者と共におられるのだと知った。今日、天の父は罪ある者を婚宴に招き、おまけに礼服まで整えてくださっている。イエス・キリストという礼服を私は着るだけだ。主の礼服は軽やかで柔らかく、着心地はさぞかし良いだろう! 

(マタイ22:1〜14)

2020年10月4日日曜日

皆さんから愛されてます

  施設に頼み込んで15分だけ面会が許された。それが急な入院前の叔母との最後の会話らしい会話となった。

 「叔母さん、博雅です。お久しぶりです」というと、「あら、そうでもないわよ」と、2週間前に施設の玄関先で数分間だが会ったときのことを覚えていた。「叔母さん元気ですか?」と尋ねると、「皆さんから愛されてます」というしっかりした返事が返ってきた。

 Covid-19 の影響で叔母とはこの半年というものほとんど会うことがかなわなくなっていた。認知症の叔母だが、「神にも人にも愛されている自分」から全くブレていなかった。この返事を聞いてわたしは思いもかけず幸福感に包まれた。安心したし、嬉しかった!