2021年11月28日日曜日

祈りが継がれた

 梅北美智子さんは『聖書日課』の教会を覚えて長年にわたって祈りの葉書を出し続けてこられた。その彼女が今年5月5日天に召されたということを知った。

 湯河原教会も祈りの葉書を何度か頂いたことに改めて感謝したい。「高齢のためにとうとうこの働を諦めざるを得なくなりました。心残りですが今回が最後になりました」という葉書を頂いて二年ほどになる・・・。

 葉書一枚を書くのは特別のことではない。が、何年にも渡って毎日力の尽きるまで書くのは平凡ではない。

 今日一枚の祈りの葉書が届いた。梅北さんの祈りが誰かに受け継がれたのだ。待降節、新たな希望を一枚の葉書にも見る。地に平和、み心にかなう人にあれ!


2021年11月21日日曜日

聞こえていなくてもの感謝!

  久しぶりに問安に伺った。いつもZOOMで礼拝に参加されている〇〇兄弟が遠慮がちにおっしゃった。「先生の説教の声が全く聞こえないんです」。このところ他の方からも似たようなことを聞いていたのですぐにZOOMの実験をしてみた。なんと、WiFiマイクが接続されていないなかった!さっそくアダプターを購入。これでもう大丈夫、ご安心ください。

 それにしてもZOOMで礼拝に参加し続けてくださった兄弟姉妹の愛には感謝する。聞こえないのに、礼拝での交わりを大事にしてくださっていたのだ。

 今日、「真理とはなにか?」のピラトの問に、私は「神の愛」だ、「主イエスの慈しみ」だと答えたい。


2021年11月14日日曜日

あったか〜い思い

 兄弟教会の小田原教会では、すっかり伸びてしまった庭木の剪定のために植木屋さんをお願いした。

 植木屋さんは一本一本の木を丁寧に見てまわって言う。「花梨は日光が好きで、前に建物が建つと花は咲いても実はつけられないな〜」。「梅はもう枝に花芽をいっぱいつけているので、今剪定すると来年の花は咲かないねー」。植木屋さんが木の性質に詳しいのはプロなのだからよく分かるが、私がそれ以上に感心させられたのは木たちへのあったか〜い思いを感じるからだ。

 一本一本の木への配慮を聞きながら、なんだか似てると思った。こんな自分なのに、慈しんで心配りしてくださる神の親心が急に身にしみる気がした。

2021年11月7日日曜日

天から始終話しかけてくる

  穏やかな小春日和から始まった11月、青い空に白い綿雲がのんびり浮かぶのを見ていると、不思議にも天国があの空の彼方にあるように思えてならない。

 天国はきっと平和で、穏やかなところだと思い描く一方で、召された方々は喜びに満ちて、生き生きと新しい命に生きているという思いがしてならない。

 昨年召された叔母は、このコロナ禍で未だ納骨も済ませず、箱に入ったまま我が家にいてもらっている。箱の上に叔母の手のぬくもりのする聖書と讃美歌をのっけてテーブルの上にいてもらうのにすっかり慣れた。

 しかし、叔母はこの箱からではなく、天から始終話しかけてくる。「あらあらヒロちゃん、しっかりねー!」。