2017年11月26日日曜日

争いから交わりへ

 日本福音ルーテルと日本カトリックの宗教改革500年共同記念礼拝が長崎の浦上教会で行われた。11月23日のことだ。
 この500年の間、ルーテル教会とカトリック教会とは、主キリストと福音を信じながら、別々の教会であるかのように歩んできた。そういう私達が、この場に一同に会している。「今ここに、こうしているということは本当に素晴らしい。恩寵だ!」そう思っただけで私のテンションは否応なく上がった。
 ルターの宗教改革から500年、第二バチカン公会議から50年余り、私達は「和解と一致と交わり」によって、キリストの平和へと招かれた。さらなる融和と交わりに、聖霊が導いてくださる。

2017年11月19日日曜日

主よ、しばしお待ちを

 イエス様のたとえ話は幾重にも意味が重なっていて簡単ではない。今日の愚かな乙女たちの慌てふためきも、万事ヌケヌケの私には身につまされる。肝心な時に居眠りをし、その上、灯火を灯すための油を切らしている。人生の正念場においてなすべき準備を怠っていたという愚かな乙女たちの話だからだ。
 しかし、油店までの距離がもっと近かったなら、彼女たちもなんとか婚宴に間に合っていたかもしれない・・・「問題は距離と時間だ」などと、土壇場になっても私の頭はひたすら回転する。
 だが、遅い遅いと思っていた花婿は突然目の前に。主よ、しばしお待ちを・・・私今すぐ油、買って来ます!
(マタイ25:1〜13)

2017年11月12日日曜日

…ムニャムニャ…

 「ルターと宗教改革500年」というラジオ番組が楽しい。NHKのラジオ第一とインターネット放送の<らじる★らじる>で、江口再起先生がルターと宗教改革について分かりやすく教えてくださっている。
 毎週火曜日の夜8時半と10時の2回の放送だ。私はインターネットで<聴き逃し>をクリックしては寝る前にかけながら聞き、いつのまにか眠ってしまう。
 神学生だった頃はルターの神学はいかめしく思えたものだが、こうして今ラジオから聞くルターは親しみやすく、暖かく感じられるから不思議だ。神の義は恩寵として与えられるということを聞きながら眠る。この安心さこそ福音…ムニャムニャ…

2017年11月5日日曜日

よい実をつけるぞ

 実りの秋がやって来た。湯河原でも山や畑でミカンがオレンジに色づく。スパーの店先から買って食べるだけでは、収穫の苦労や喜びを知ることはない。
 主イエスは天の父である神を農夫、ご自分をぶどうの木、わたし達をぶどうの枝に例えられる。主に繋がっていれば神ご自身が手入れをして、わたしに達に良い実を結ばせて下さるという。果たしてわたし達は良い枝なんだろうか・・・?そういえば、主は実をつけなかったイチジクの木を、世話をしてみるので切り倒さずに待ってくれと神に頼んでくれていたね。
 そうか、わたし達は、神が切るのを惜しまれる主イエスの枝なんだ。実りの喜びを一緒に味わうために!
(ヨハネ15:1〜17)