2022年3月27日日曜日

響いてくる

   ジョン・ホーランド牧師を時々ふと思い出す

 20年ほど前になるが、アイオワ州にある小さな町のバプテスト教会で教会生活をしていた時のことだ。その礼拝に何人かの日本人の高校生が出席していた。その生徒たちへの伝道の為に、その日の聖書日課を日本語で朗読するよう求められた。礼拝出席者、約500人の教会だったがこの謙虚さと寛大さに感謝した。

 礼拝前、大人のサンデースクールの一つに妻と私は参加した。(その仲間が私達のアメリカ生活を終始支えてくれた)。礼拝を終えて帰る時、決まってホーランド牧師が握手しながら私を送り出してくれた。“Hiro, I love you.”と。今でも天の父の言葉のように響いてくる。



2022年3月20日日曜日

ありがたくて

 成果が出なかったり、失敗したときに「まだ、先があるんだからから待ってやって」と、とりなしてくれる人がいたならどんなに救われるかしれない。

 ぶどう園に生えている実のならないいちじくの木は園丁のとりなしによって切り倒されずにすんだ。「待ってください。わたしが木の周りを掘って肥料をやってみますから」。主イエスが父の神に申し出たとりなしは、自ら実のならない木の世話をするというものだった。

 実がならない木は切るのがこの世の当然だ。しかしそんな木を慈しんで、惜しんでいる存在があると知ったなら、どんな木だって実をつけずにはおられない。ありがたくて、悔い改めの実はおのずと実る。

2022年3月13日日曜日

愛さずにはいられない

  「めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか」と、主はご自身を愛の翼を広げて雛を守り養うめん鳥に譬えた。

 これは招きに応えない神の民への主の嘆きではあるが、決して人々を断罪する言葉ではない。めん鳥は雛鳥を愛さずにはいられないのだ。

 めん鳥が翼の中に雛鳥を集めている様子を見る機会はなかなかない。平和なときの想像であれば、そこには楽しい、優しい、和やかな情景が浮かんでくる。

 しかし、今わたしたちは侵略戦争の残忍さを目の当たりにしている。人々の悲惨な状況にこころを寄り添わせ、母親と幼い子供たちに思いを寄せます。

2022年3月6日日曜日

ウクライナに平和を!

  首都にいると命の危険があるから逃げるように進める側近に「私はここにいる。武器を下ろすつもりはない。領土を、国を、子どもたちを守る」と語ったゼレンスキー大統領の表情は死を覚悟した人の顔だった。

 ロシアの戦闘車両の前に人の鎖を作って立つウクライナの人々を見た。爆撃で自分たちの町が無残にも崩壊するのを見た人々は毅然と立ち向かうのだと改めて知った。一人のおばあさんがロシア軍の兵隊に向かってこう叫ぶ「あなた達はロシアに帰りなさい」。

 今、誰もがウクライナの情勢に心を痛める。

主よ、どうかあなたを信じる者の祈りをお聞きください。ウクライナに平和を!