2017年10月29日日曜日

きっと花婿ご自身が来て下さる

 ブロードウェイで大好評だったミュージカル『Cats』(キャッツ)の公演が終わって間もなくのことだった。テネシーに地方劇団の『Cats』がやって来た。車で行ける。招待状を貰ったも同然。行かなくっちゃ! 
 地方劇団とは言え生の歌や踊りはグッとくる。もはやライブ感覚だ。CatsのTシャツまで買って、タガーやグリザベラの歌に合わせ、私もノリノリで歌ってしまった。少々太り気味の猫も中にはいたが、いいじゃぁないか!そんなこと気にしていては楽しめない。
 婚宴に招かれて礼服を来てこなかったこの人、恵みに委ねられないこの人、心の暗闇で歯噛みをしているこの人のところへ、きっと花婿ご自身が来て下さる。
(マタイ22:1〜14)

2017年10月22日日曜日

全ては神によってつながっていると知る

 T姉の入院を偶然に知った。夕方遅くなっていたが病院へ訪ねる。どんな様子かとドキドキしながら病室に入ると、予想に反して彼女はベッドを起こして一人ゆったりと新聞を読んでおられた。ホッとした。
 いつものように若き日の思い出話に花が咲く。「『ウドの大木』って言われてたのよ〜」と懐かしそうに笑っておられた。手を取り合って祈った。
 別れ際に、「教会あっての私だものね。教会の皆さんによろしく。ありがとう」と言われた。これがT姉と交わした最後の言葉になった。
 その約1時間半後、突然彼女は天に召された。不思議な偶然も全ては神によってつながっていると知る。

2017年10月15日日曜日

天高く馬越ゆる秋

 「天高く 馬肥ゆる秋」という諺がある。幼い頃に聞いて私が想像したのは、白い天馬が大きく一蹴りして、秋の青く澄み渡った大空を跳躍してゆく姿だ。
 勘違いも甚だしいのだが、私は大きくなるまで「天高く馬越ゆる秋」だとばかり思っていた。耳から聞いていただけなのでこんな思い違いがあって、笑える。しかし「馬越ゆる」でもぜんぜん悪くない。天の大空はいつも神の存在を思わせてくれるからだ。
 イザヤ書は、「天が地を高く越えているように神の道も思いも私たちを高く超える」(55:9)と記す。ぶどう園の主人は5時からしか働かなかった者を馬の背に乗せてゆうゆうと飛んでゆく。最後の一人にハレルヤ!

2017年10月8日日曜日

愛と赦しの立看板

 紅葉し始めた緑を眺めながら、今年のノーベル平和賞のニュースを嬉しく聞いた。
 「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICANアイキャン)に贈られた理由は、「核兵器がもたらす破滅的な結果を人々に気づかせ、条約で禁止しようと草分け的な努力をしてきた」と言うものだ。
 小田原からの帰り道、真鶴町の見慣れた大きな立看板「核禁止平和都市宣言」が急に新鮮に感じられる。草分けの根はこんなところにまで伸びて来ていた!
 今日、人を赦せ、無限に赦せ、自分も赦されたのだからと言われる主イエスは全ての人の心に十字架の愛と赦しの立看板を立てて、平和宣言をされる。

2017年10月1日日曜日

イシグロちゃんの恵み

 ご近所の猫のイシグロちゃんの世話を始めて、かれこれ8ヶ月目に入るだろうか。飼い主だった方はご高齢のために一人暮らしができなくなって、施設に入らねばならなくなった。家には猫が一匹で残された。
 きっと家に残した猫のことが気にかかるに違いない。キャットフード、水、蚊取り線香、懐中電灯、それにペーパータオルなど猫のご飯の世話に必要な一式を持って出かける。遅くなっても必ず私たちを待っていると思うと、大変だからと言って止められない。
 猫が食べている間に、私はスクワットが100回できる。日頃は運動不足の家人も行き帰りの道のりを早足で歩いている。これをイシグロちゃんの恵みと呼ぶ。