2014年1月26日日曜日

人間の選びとはまったくちがう

 主イエスは、正統派の人々からさげすまれた土地であったガリラヤの漁師たちを最初の弟子とされた。人間的に見れば、世界宣教の担い手が、貧しく、無学であるのはおよそふさわしいこととは言えないだろう。
 しかし、主イエスはこのふさわしくない者を選ぶのである。神の選びは人間の選びとはまったくちがう。
 ふさわしくない私たちが召命によって集められたのが教会である。ある説教者がこう言っている「この私だって全くふさわしくないのに選ばれて、神がなおも用いてくださっている」そういう謙虚さを持ってお互いに受け入れ合わなければ、召命だけで成り立っている教会の世界は立ちゆかなくなる。」

2014年1月19日日曜日

確かに力が湧いてきた

 さきごろ、浜松の小学校で児童1,000人を越えるノロウイルスの集団感染が伝えられた。「ノロウイルスの集団感染・・・さぞ大変だろう」と思う。
 そういう私も昨年、あろうことか、クリスマス直前に牡蠣の生食によってノロウイルスにかかった当の本人である。クリスマスには受洗式も予定されていた。
 折しも教会は聖書研究・祈祷会の日で、早速、私のために信徒祈祷会がもたれた。床に突っ伏しながら、不思議なことに自分の体に友の祈りがビンビンと響いてきた。祈りに治癒力があるかどうか分からないが、確かに力が湧いてきた。昨年の教会の主題「祈り」の締めくくりにふさわしい。今更ながらにありがたい。

2014年1月12日日曜日

主も新しいスタートを切られた

 今週5日から寒に入った。これからしばらくは一年中で一番寒い季節が続く。今日はこの冬一番の寒さだという。小田原への道中、丹沢の山々は雪の薄化粧で新春にふさわしく麗々しい。
 しかし、ここ湯河原の冬は今まで住んでいた東京の寒さに比べると、格段の暖かさだ。牧師館の小さな庭には水仙が満開。妻が切り花にして、ガラスのコップに挿して食卓テーブルに置いた。
 水仙の良い香りもまた新たな出発への力をみなぎらせてくれる。1月12日は主イエスの洗礼日である。公生涯に臨まれるにあたり、主も新しいスタートを切られた。人類の救いに至るスタートである。

2014年1月5日日曜日

詩篇の喜びと希望を胸に

 2014年、新しい年を迎えた。新しい年の抱負やチャレンジが頭をよぎる。しかし、人の計画は、得てして「独り善がり」になりがちなもの。
 昨年を振り返って、自分では気が進まないことの中に、むしろ神の愛の計画があったと知らされる。御言葉に聞き、人の話に耳を傾けることの中にこそ、恵みが隠されていた。「主のみ心にかないますように」。そして「主よ、お用い下さい」と、祈る。
 「主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が巡りくれば実を結び 葉も萎れることがない」この詩篇の喜びと希望を胸に、新年をスタートしよう。