2015年8月30日日曜日

イエス様が手を広げて待つところ

 「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。‥‥…一日いても誰も何も言わないよ。……」これは某図書館の公式ツイッターに掲載中のツイートだ。
 素直に感動した。そして『としょかんライオン』(ミシェル・ヌドーセン作/ケビン・ホークス絵)という絵本を思い出した。町の図書館に突然やって来た大きなライオンが図書館で過ごす話は、きまりを巡ってすったもんだあるものの、胸がキュンとするほど暖かい。 
 学校や職場、そして家に居場所がないと感じたら、その時こそ教会を思い出してほしい。ここはイエス様が手を広げて待つところ。いつでも連絡をと祈る。

2015年8月23日日曜日

ビタミンを有り難く頂戴する

 教会の横の鉢には30センチはありそうな、なが~い豆の莢(さや)がツルから何本もぶら下がっている。「十六ササゲ」だ。関東では珍しい豆だと思うが、岐阜では大正時代から、その名も「十六豆」と言って栽培してきて、今では伝統野菜の一つとなっている。
 原産国はアフリカで高温、乾燥に強い。カンカン照りの毎日、鉢に土を足して、毎日水をやる。見るたびに、背丈ほど伸びたツルのいたるところ、莢豆が長々と垂れ下がっている。「まだまだ、まだまだ」と言いながら、できるだけ莢が太り、長く伸びるのを待つ。
 茹でてよし、煮てもよし。この夏たっぷりのビタミンを「十六ササゲ」から、有り難く頂戴する。

2015年8月16日日曜日

そこに曖昧さはない。

 戦後70年目の談話を読んだ。日本が戦争に突き進んでいったその背景に、欧米諸国を始めとする植民地政策と世界恐慌後の経済のブロック化によって日本が孤立感を深めたという理由が述べられていた。
 日本の戦争責任の他に、世界のとりわけ欧米の責任を匂わせる。その文章を読んで思った。アジアの国々にお詫びをするには、いささか「悔い改め」が甘すぎるのではないか?
 周囲の状況、相手の正誤に関わらず、自らの有り様について「悔い改める」ことを聖書はまず説く。そこに曖昧さはない。戦争への道から踵を返して、180度反対方向を目指せ。そこに平和の主もおられる。

2015年8月9日日曜日

おいしくなれ〜、おいしくなれ〜

 記録的な酷暑と絶え間なく続く工事の騒音の中で家人はこのところ台所でジャム作りに余念がない。
 牧師館の庭にある「イヌビワ」の木に親指大の実が なった。◯先生がジャムになるよと教えてくださったとかで、まずは収穫。
 「イヌビワ」をインターネットで調べたところ、イチジクの一種で、食べられるのは雌木の実で、残念ながらここのは雄木だとわかった。
 雄木にもメゲズ、この暑さにもメゲズ、我が家の初収穫だからとグツグツ煮ている。「おいしくなれ〜、おいしくなれ〜」と言いながら。
 試食してみる。私の口には、うまい!というほどではないが、家人にはこよなく貴重なジャムらしい。

2015年8月2日日曜日

右脳から平和

 左脳と言うのは、「自分」という「個」を認識させ る知性の働きだ。それは過去から未来を生きる私であり、言葉で考える私である。この左脳を使って、私達は現実世界と向き合うことができる。  仮に、脳梗塞などによって左脳の働きが失われ、右脳だけが働くとしたら、一体どうなるだろうか?右脳はわずらわない。今感じている感覚がすべて。「私」はこの世界に存在する全ての人々と一体となり、広大な宇 宙の一切の中に溶け込んでいくという。それは筆舌に尽くしがたい至福感だそうだ。
 さて、時には左脳の「私」へのこだわりを捨てて、右脳の至福に浸ってみたい。きっとそこは神の国だ。