2013年12月29日日曜日

このぬくもりを再度届けたい

 こんなに冷え込んだ夜の翌日は快晴だと聞いた。案の定、朝日が昇って牧師館の樅の木を輝かせ始めた。
「朝日は昇りて、世を照らせり。暗きに住む人、来たり仰げ・・」と讃美歌が口をついて出た。
 クリスマスから今日で3日が経った。赤ちゃんのイエス様を囲むヨセフとマリアの暖かな家庭の情景が思われた。家族が集う年末年始、折しも帰省ラッシュのニュースが流れる。
 クリスマスが、24日のケーキとシャンパンと共に、一瞬のうちに過去のものとなった方もおられよう。だが、主イエスは私たちのもとに来られ、年の瀬の今も一緒にいてくださる。このぬくもりを再度届けたい。

2013年12月22日日曜日

「榊」でクリスマスの飾り付けもありかも

 戦後、日本にクリスマスの習慣が急速に広がった。当時、多くの日本人は、クリスマスがキリストの降誕祭であることを知らなかったに違いない。
 ある人が子供の頃、クリスマスツリーを飾ろうと、樅の木を求めた。ところが当時、何処にも樅の木は売っていない。近所のおばさんが、それならと言って榊をくれたそうだ。「これも神様の木だから」と。
 常緑樹はキリストの「永遠のいのち」を象徴する。ヨーロッパでは厳しい寒さの中でも葉を落とさない樅の木がクリスマスの木として尊ばれた。とすれば、日本ではいつもつやつやとした緑の葉っぱの、成長も速い「榊」でクリスマスの飾り付けも悪くはないか!

2013年12月15日日曜日

そうしたらフッと楽になり

 電話を頂いた。「このところ毎日辛くて仕方がない。どうしても持ちこたえることが出来ないと思った時、天の父も自分と同じ苦しみを味わっていてくださると思えた。そうしたらフッと楽になり、涙が出てきて仕方がなかった。お陰で、涙を拭ってその日の午後いっぱいを働き通すことができた」。
 この方も、苦しい、辛い現実を抱えて生きている。このような人がどれほど多いかということを思う。
 クリスマス、この人たちのもとにこそイエスは生まれてくださるに違いない。礼拝に集ってほしい。そこでこそ、インマヌエルの主、我々と共におられる神に出会えるのだから。

2013年12月8日日曜日

融和の道を

 南アフリカで同国初の黒人大統領となり、ノーベル平和賞も受賞したネルソン・マンデラ氏が5日夜、ヨハネスブルクの自宅から天に召された。95歳だった。
 44歳から27年間に及ぶ投獄生活。「決して忘れられないが、赦せる」と微笑んで語る彼には三つの支えがあったという。一つは目標。アパルトヘイト(人種隔離)政策を撤廃して白人と黒人が対等に生きるようにすること。もう一つは友人がいたこと。そして、「キリスト教の信仰があったこと」の三つである。
 米国の公民権法成立が1964年。南アのアパルトヘイト撤廃が1994年。主イエスが示された融和の道を人類は歩んでいる。私達もこの道をさらに進もう。

2013年12月1日日曜日

そんな王がやってこられた

 ロバは予想外に小さな動物だ。大人がまたがると足先は地面からいくらもない。子ロバにまたがった主の姿はお世辞にも格好がよいとは言えなかっただろう。
 ロバの子にのって、穏やかに主イエスはエルサレムの都に入城された。人々はほとんど同じ目の高さで主を出迎えただろう。見あげるのでもなく、見おろすのですのでもない。そんな王がやってこられた。
 その一週間後には、主イエスは私たちの罪をその身に引き受けて、十字架につけられることになる。
 12月1日から待降節が始まる。固い決意を持って、すべての人の救いのために、死を覚悟して、エルサレムに入城された王の心を想う時節である。

2013年11月24日日曜日

オットあぶない!

 11月22日は「いい夫婦の日」だそうだ。「生まれ変わったとしたら、今のパートナーを選びますか?」というアンケート調査が行われた。男女全体では「もちろんYes」は34%だが、60代となると、男性は40%を超えるのに、女性は16%と俄然低い。ちなみに、我が妻に聞いてみた。ニッコリ笑って答えない。
 オットあぶない!キリスト教に輪廻の思想はない。日曜日の説教で、「キリスト者は死んでも新しい命に生まれて、天使のようになり、娶ったり嫁いだりしない」と語ったばかりだった。一回限りの人生、この世では夫婦となった者である。互いに慈しみ、天国に希望を託そう。

2013年11月17日日曜日

「驚くばかりの恵み」と振り返る

 数日前、94歳になるKさんは、部屋の中で障子に仰向けに転倒した。大きな物音に家族が駆けつけた。障子の裏側はガラス戸になっている。障子の桟もガラスも微塵に砕けた。しかし、Kさんはまったく無傷であった。神様のおかげと家族の方が語ってくれた。
 夫を戦争で失い、二人の子どもを育てた。玄孫も膝に抱いた。73年の信仰の人生には色々あったことだろう。Kさんは「驚くばかりの恵み」と振り返る。
 喜びも悲しみも全てをくるめて、私の人生は驚くばかりの神の恵に満ちていたと言っておられるのだと受け止めた。Kさん愛唱のアメイジンググレイス、「驚くばかりの恵み」(聖歌版)を一緒に歌った。

2013年11月10日日曜日

この信頼と真っ正直こそ

 最近、一流ホテルや有名百貨店のレストランの偽装メニューのニュースが目白押しである。偽装を公表した各ホテルは揃って“担当者の知識不足”などと、意図的な偽装を否定している。
 けれども、食材についてはホテルの担当者間で入手の問題や、原価率について細かい意思疎通がとれているはずだ、というシェフの内部証言も出ている。
 「お前は真っ正直すぎるんだ。もっとずるくならないと世間を渡っちゃ行けないよ」と、幼いころに親からはっぱをかけられたという人の話を思い出した。
 しかし、主イエスは十字架に架かられた。神へのこの信頼と真っ正直こそが真の救いであることを思う。

2013年11月3日日曜日

私達だって同じだ

 教会の花壇に、気がつけば柔らかな肥料がこんもり盛られていた。いわゆる「お礼肥(おれいごえ)」である。
 これを見て、なんとなくホッとした。この夏の酷暑を思えば、いっぱいに種をつけて、咲き終えた夏の花に「ごくろうさん、ありがとう」と、ねぎらってくださるのは、ありがたい。
 庭の草花を気にかけて世話をしてくれる人がいる。だから、草花は元気でいられる。私達だって同じだ。
 主イエスの十字架に救われ、聖霊の慰めと励ましで私達は生かされ実を結ぶ。天の父の見守りの中で。

2013年10月27日日曜日

アンパンマンにキリストを思った

 絵本『アンパンマン』の作者、やなせたかしさんが亡くなった。アンパンマンは54歳の時、やなせさんが生み出した空飛ぶヒーローだ。スタートとなった絵本では砂漠で飢えて彷徨っている人に、自分の顔を食べさせる。本当の正義は必ず自分が傷つくというのがやなせさんの主張である。当初は自分の顔まで提供するのは残酷だとの感想が相次いだそうだ。
 しかしその後がある。ジャムおじさんによって、再びアンパンマンの顔は修復される。復活しながら活躍するヒーローが誕生した。自分の顔を食べ物として与えるアンパンマンが、おさない子供たちは大好きだ。
 このアンパンマンにキリストを思った。

2013年10月20日日曜日

わが伝道もかくありたい

 夜の集会のために教会の玄関扉を開けた途端、暗闇の中から見知らぬ青年がぬっと現れ、驚いた。
 一昨日注文した車のカタログを届けに来たセールスマンだった。聖書研究会が始まるまで、話を聞いた。
 バックモニターとカーナビ、ETC・・・と注文をいうと、iPadにデータを入れ、すぐ見積もりをだしてくれる。最新のセールススタイルに感心することしきり。
 しかし、夜討ち朝駆けとばかりに、足で稼ぐ基本は同じらしい。おまけに誠実そうで爽やかな笑顔だ。
 わが伝道もかくありたい。キャッチコピーは「ピカイチのキリストの福音——当方、胸を張って売り込みます」。

2013年10月13日日曜日

十字架の神秘に触れて

 湯河原教会の礼拝堂には、正面いっぱいに広がる大きな十字架が、小塔に向かって伸びている。
 先日のこと、礼拝堂に入って来た方が、湯河原教会の礼拝堂はよく手入れが行き届いていて、礼拝の場にふさわしい凛とした雰囲気があるということを言われた。確かに、聖壇の前に立って、白壁に焦げ茶色のシンプルで大きな十字架を見上げると迫力を感じる。
 この十字架を仰ぎ、聖壇の前にひざまずくと、ひとりでに頭が下がる。
 時にはこうして祈るのが良いと思う。ともすれば観念的になりやすい言葉の祈りも、十字架の神秘に触れて平安と安堵の思いに満たされるから。

2013年10月6日日曜日

柱と鴨居とで十字架が

 今日も一人の方を、病床にお尋ねする。高齢で、腰の痛みのため身動きのままならないこの方はすべてを人の手に頼っておられる。動けない、申し訳ない、痛い・・・。ただ、「お迎えが早く来てほしい」と言われる。この方を慰めることのできる人の言葉はいくら探しても見つからない。
 我が身を委ねられずに苦しむ。人にはそういう苦しみがある。部屋を見回してみると、縦の柱と横の鴨居とで十字架ができているではないか!十字架の主がおられる。そう気づけた途端、ふっと息がつけた。
 苦しむ者と共にいて下さる主に感謝して祈り、そして言う、「大丈夫、主は一番よい時をご存じです」。

2013年9月29日日曜日

隣人を想おう

 今日24日、ラジオを聞いていたら、シリアの難民は2百万人、食料不足の人々は3百万人にも及び、今、世界で最も困窮した状態にあると解説されていた。
 イタリアのランペドゥーサ島にも多くの難民が避難して助けを求めているという。8日、フランシスコ教皇がその島を訪れ、難民支援にあたる人々に心からの感謝を表されたという。
 「無関心のグローバル化」が進む今日、その悪魔的な力に抗し、それを突き破る祈りがなされている。
 世界の様々な土地で極限状態におかれている隣人を想おう。人の苦しみに慣れ、無関心にならないように聖霊の助けをいただいて祈ろう。

2013年9月22日日曜日

いわば天国の花である

 台風が過ぎ去った朝、深緑の丘の稜線が青空にくっきりと美しい。急に気候も秋めいてきた。朝夕の室温は20度前後と、異常に暑かったこの夏を思えば、さすがに人心地がつく。
 目を足元に移してみると、曼珠沙華が咲き始めているではないか!もうすぐ彼岸なのを思い出した。
「曼珠沙華」は梵語であり、ヒガンバナの別称である。
仏教でいう天上の花で、見るものの心を柔軟にするという。その意味ではキリスト教にも勝るとも劣らない花がある。野の白百合である。
 白百合は主イエスの復活と永遠の命を想ういわば天国の花である。

2013年9月15日日曜日

ちょっと敬礼して、襟を正す

 9月も中旬に入った。気のせいか青空が高くなり、朝夕には秋の空気も忍び寄る。そういえば、前の空き地の夏草もずいぶん褐色に変わってきている。
 今朝は、教会の窓辺に伸びているゴーヤも十六豆も葉が枯れて蔓が上がり始めているのに気がついた。
 それにしても僅かばかりの鉢植えの土で、よく実ってくれたものだと思う。我が家の食卓をたびたび豊かにしてくれた。今朝、最後の収穫をし、感謝を込めて「ありがとう」という。
 彼らは、誰のためでもなく、被造物として己の命をみごとに謳歌した。その潔さにちょっと敬礼して、襟を正す。

2013年9月8日日曜日

空と海とがつながっていた

 早川駅を過ぎて、根府川方面へと向かうと、車窓には太平洋の広がりが飛び込んでくる。
 9月になっても、真夏と変わらないその日は、どんよりと湿度が高く、晴天ならば大島が浮かぶはずの水平線がまったくかすんでいて、空と海とがつながっていた。
 手前の海の青さが水平線のあたりに向けて次第にうすくなり、そのまま空につながっていく。目を空の高みに転ずるほどに、また青さがましていく。大自然がおりなすグラデーションの眺望だ。
 湯河原と小田原の往復のたびに、時どきにに変わる海を眺めるのが楽しみの一つとなった。

2013年9月1日日曜日

 8月28日の『天声人語』は「キング牧師の歴史的な演説から、今日で50年になる。」と、演説を引用していた。「私には夢がある。いつの日か、あのジョージアの赤い丘の上で、かつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子とが同じテーブルに座れる日の来ることを・・・」
 公民権運動の推進者であったキング牧師のこの有名なフレーズは、イザヤ書65章25節「狼と子羊はともに草をはみ、獅子は牛のように藁を食べ・・・」を彷彿とさせる。彼の見た「夢」は聖書に拠っている。
 聖書の与える「夢」はいつの時代にも苦境に立つ人に希望を与え、進むべき道を示し続けている。

2013年8月25日日曜日

湯河原の海岸から

 行こう、行こうと思っていた湯河原海岸に行ってみた。寄せては返す波に足を洗われながら砂浜を歩く。
 波というのは何回かに一、二度大きいのが来ると子供の頃の記憶をたどっていると、いきなり大きいのが来た。腰のあたりまでびしょ濡れになった。思い出していたところだったのに・・・波の奇襲攻撃にしてやられたと大笑い。
 海岸から海を眺める。真鶴岬から、伊東市のあたりに向かってゆるやかに弧を描くと、ほぼガリラヤ湖の大きさになりそうだ。左手前方にくっきり突き出た真鶴岬と、遠く霞んで見える彼方の岬を見比べながら、ガリラヤ湖の大きさを想像してみた。

2013年8月18日日曜日

平和な時代であったなら

 映画『風立ちぬ』を見た。監督の宮崎駿は「1920年代の日本は不景気と貧困、病気そして大震災とまことに生きるのに辛い時代だった。そして戦争、当時の若者たちはそんな時代をどう生きたのか?」と語る。
 一人の若者の見た飛行機造りの夢が、戦争という重苦しい現実を背負いながらも、どこまでも明るく高く突き抜けて行く。見ていて気持ちが膨らむ。
 当時の日本の航空機技術は欧米よりも20年以上遅れていたという。彼は欧米に追いつき、追い越してとうとう最新鋭の飛行機を設計した。こうして零戦が誕生した。けれども多くの貴い命が失われた。平和な時代であったならと思わずにいられない。

2013年8月11日日曜日

ヨナとトウゴマ

 第二次大戦当初、飛行機の燃料に使うからとヒマの栽培が奨励されたことがあったという。ヒマとは、ひまし油の原料となる植物の蓖麻(ひま)のことだ。今、その加工品はラジコン飛行機の燃料やレース車のエンジンオイル、医薬品などに使われている。
 蓖麻の別名は「トウゴマ」である。旧約の昔、神はトウゴマを生やしてヨナを照り付ける陽射しから守り、また翌日には枯らせた。熱波に苦しみつつ、枯れてしまったトウゴマを惜しむヨナに、神は「右も左もわきまえないとはいえ、人間が滅びるのを惜しまずにはおられない」と告げられた。神の憐れみを明かししたヨナ書の蓖麻の話である。

2013年8月4日日曜日

ミョウガが旬だ

 ミョウガが旬だ。礼拝堂の裏手にあるネコのひたいほどの畑は今がミョウガの収穫期。そうめんや冷奴の薬味、吸い物や味噌汁の具にしてみる。さらに野菜の浅漬けに入れてみたらこれまた最高だった!
 このミョウガ「食べると物忘れがひどくなる」との俗説があり、これ以上の物忘れはと気後れがあった。
 ところが調べてみると栄養学的にそのような成分は含まれていず、なんら科学的根拠はないと分かった。
逆に、香り成分に集中力を増す効果があることが昨今明らかになっているという。
 物忘れの俗説は、釈迦の弟子に由来する。心配無用と分かったら、ミョウガ摘みの楽しさが倍増した。

2013年7月28日日曜日

ものは試しと

 [ 砂抜きをしてください ] という注意書きがついてアサリが売られている。ところが、水と塩の割合も浸しておく時間もわからない。砂抜きに失敗すれば食感は台なしになる。食べたいと思いながら手が出なかったのだが、「砂抜きは50度のお湯に5分浸すだけでよい」ということをインターネットで知った。
  ものは試しと挑戦した。まずはアサリを下洗い。給湯器の温度を50度に設定。温度が下がると雑菌が繁殖するというので50度のお湯を足しながら待つ事5分。
 バター焼きにした。砂もなく身はぷりぷりとして美味しい!「砂抜きは海水に近い塩水でするもの」と思っていた。何にでも思わぬやり方があるものだ。

2013年7月21日日曜日

ゴウヤは語る

 10センチに7センチに5センチとカレンダーに書き込んだ。ゴウヤの茎にできたイボイボの小さな膨らみを、これが実になるのかと眺めたのは1週間前か、それとも2週間前だったろうか。この1週間でぐんぐん大きくなった。計っておこうと定規を当てた。
 教会家族のお宅で、種から育てられた3鉢である。教会の窓の外に張ったネットに触覚のように蔓を伸ばしながら成長してきた。絡み合った蔓を何度かほどいてやった。今年もグリーン・カーテンを目指して成長中のゴウヤ。人は植え、水を注いだ。(一コリ3:6参)
 「でも、成長させてくださったのは神です」とゴウヤは語る。

2013年7月14日日曜日

だから答えは「Yes」

 「生物が絶滅しても夕焼けは赤いか」という詩がある。「色は対象そのものの性質ではなく、むしろ対象とそれを見る者との合作だ」というのだ。だから、見る者がいなくなったら、物は色を失う。世界は本来、無色なのであり、色とは自分の視野に現れる性質に他ならないと詩人は言う。
 夕暮れの空を見上げて、神が天地を創造される前はどうだったのかと考えた。混沌と闇、確かに色は無かったはずだ。光が創られ、青く輝く地球を赤い夕焼けが彩った。天も地も、人間も美しく創造された。
 だから答えは「Yes」。終わりの日にも、主と共にながめる夕焼けは美しいに違いない。

2013年7月7日日曜日

労りあいを感じた

 牧師館の前の坂道を下ったところにゴミの回収場所がある。学校に向かう子、身なりを整えた通勤途中の人、普段着のお母さん、犬を散歩させる人、車で行く人、朝、様々な人がゴミ袋を持って坂を降って行く。
 「ちょっと休めば?」両手にゴミ袋を提げて、すたすた降っていくおばあさんが振り返りながら声をかけた。「だぁいじょうぶ!」という返事があった。見ると、ずっとうしろを、片手にゴミ袋を下げたおじいさんが杖をつきながら降ってくる。
 二人の何気ない会話に年輪を重ねた夫婦の労りあいを感じた。ゴミ出しで始まる一日も悪くない。見知らぬ人たちの今日の一日に主の祝福と平安を祈った。

2013年6月30日日曜日

さえずり比べをしてみたくなった

 牧師館の前の坂道は緑の小山に続く。山の上を電車が通り過ぎた直後に、「ホー、ホケケキョ」と少し高めの細いさえずりが聞こえた。その途端「ホー、ホケキョ」と、今度は力強い艶のある返事があった。
 鶯だ!しばらく手を休めて二羽の鳴き交わす声に聞き入った。ずっと以前に、指笛で鶯と鳴き比べをしたことが思い出された。こちらが「ホー、ホケキョ」と鳴いてみせると、鶯のほうでも「お前さん、まだまだだね」とばかりに、鳴き返してくる。「ケキョ」とか
「ホケケキョ」と鳴くのはまだ修行中の若鳥だろう。
 梅雨の合間、久しぶりに鶯とさえずり比べをしてみたくなった。

2013年6月23日日曜日

海から昇る朝日

 「あさひは のぼりて 世を照らせれり」と讃美歌を口ずさみながら雨戸を開けたら、なんと曇天。まだ梅雨はあけていなかった。 
 湯河原赴任が決まったとき、海から昇る朝日が見られるのではないかという期待が浮かんだ。
 郷里の西伊豆では、太陽は山から昇り水平線のかなたに沈んで行く。子どもの頃、ひんやりと冷めてきた砂浜に腰をおろして、赤と紫を帯びた雲を従えた黄金の光が夕闇にかわっていく様をよく眺めた。
 教会の墓地は湾内を一望する小高い丘にある。そうだ、梅雨が開けたら、まだ暗いうちにあの丘に行こう。海から昇る朝日に会いに行こう。

2013年6月16日日曜日

実生(みしょう)の枇杷

 礼拝後の愛餐会で枇杷をたっぷりご馳走になった。
「今年も初物をいただけた」とS兄。K姉の畑に自生した「実生(みしょう)の枇杷」だ。
 「実生」とは枇杷の種類ではなく、種から一人生えしたものの総称だと初めて知った。しっかりとした酸味とほのかな甘みの初夏の実は自然の恵。
 そう云えばエデンの園にも枇杷の樹があったに違いない。「それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ」と神は言われた。
 先週、街を歩いていたら鈴なりの枇杷の大木に出くわした。これも実生の枇杷だろうかと眺めたら、楽しいひと時とあの味がよみがえってきた。

2013年6月9日日曜日

たっぷりともてなしてみたら

 台所の壁に浮かんだ唐草模様の渦巻きが忙しく動いている。ワッ、蟻!思わず体が痒くなりそうだった。退治しようにもきりがない。ウーン蟻たちを殺さずに撃退する方法はないものか。蟻たちの命を保証して、しかも殺虫剤も使わずに・・・。
 彼らは食べ物が足りないからやって来るのだと気がついて、彼らを追い立てるのではなく、たっぷりともてなしてみてはどうかと思いついた。
 外壁際の蟻の道に格安ビスケットを振る舞ってみた。彼らは相変わらずせっせと働いている。外で!
 箴言に「怠け者よ、蟻のところに行ってみよ。その道を見て、知恵を得よ」とある。納得、納得。

2013年6月2日日曜日

動きのある景色

 動きのある景色はいい。見ていて見飽きない。目をあげて、窓の外を見ることは気分転換になる。
 南に見える山は緑が濃くなって夏の色合いだ。ふと見ると右手の山の中ほどを東海道線の電車が走って行く。左下の道路を車が行き来している。
 近所の人が家の前を通り過ぎた。向こうの家の屋根に一匹の黒猫がいて、あっという間に二階の窓に飛び乗った。それから座って、こちらを見ている、・・・多分。
 動きのある景色、それは私達の暮らし、私たちの社会そのものだ。創造主はこの一つひとつの動きをじっとご覧になっている。

2013年5月26日日曜日

夕暮れ時に「アヴェ・マリア」

「いいねぇ〜、あの曲を聞くと心が休まるねぇ〜」とは、長く闘病中のOさんの言葉。夕方の5時30分になると湯河原の町役場が毎日流しているグノーの「アヴェ・マリア」を聞いてのことだ。
 この曲が今日も一日を終えようとするこの地に響く不思議さに、いろいろと憶測を膨らませてみるが真相はわからない。理由はともあれ、救い主の受胎告知を物語る喜びの調べが奏でられるのである。
 天使は、乙女マリアにこう告げた。
「おめでとう恵まれた方。主があなたと共におられる。」夕暮れ時に流れる「アヴェ・マリア」。
 Oさん、今日も聞いておられよう。

2013年5月19日日曜日

90歳のS姉、憲法9条はどうなるの?

 主日の午後、90歳のS姉を病室に問安しました。可愛いひ孫さん達のために平和を祈りつつ、これからの人達に私達がしたような思いはさせたくないと噛み締める様に語って下さる言葉を聞きました。
 憲法9条はどうなるの。96条をどうしようかと言ってるでしょう。皆がどう思っているのか心配。
 「私達がしたような思いはさせたくない」。葬式の列が進んでいる時B29が飛んで来て、皆で隠れた。B29が行ってしまうと葬式の列を続けた。灯火管制知ってますか?配給切符を知ってますか?いい家のお嫁さんも結婚衣装にもんぺを履いた。
「私達がしたような思いは決してさせたくない」。

2013年5月12日日曜日

主のくびき

 人は失敗もします。ある方が、私は反省はしても後悔はしないことにしていると言われました。その理由は、後悔しても結果は変えられない。後悔は後ろ向きで、反省は前進するためだからなのだそうです。
 実にキリスト教的なモットーだと思いました。礼拝のたびに私たちは罪を告白し、神の赦しをいただいて元気になります。仕事に家庭に人付き合い。たしかに私たちは様々な「くびき」を負っています。
 でも、信仰者のくびきは、主イエスの赦しをいただいて、自分も人も赦されていることを知ることです。なんとも軽やかになるくびきです。

2013年5月5日日曜日

井戸掘りイサク

 今週の聖研では、生き方を通じ、信仰をしめして勝利したイサクに学びました。乾燥地帯で井戸は欠かせません。神は井戸を通じて命の水をイサクに与え、イサクは祭壇を築き、感謝をささげて応答しました。
 イサクの特徴は、とことんまで争わないことです。水が出ると、敵が争いを仕掛け、井戸を奪いにきます。戦い守る力をつけた後にも、彼は忍耐し、譲り、場所を移して、新たな井戸堀に挑みます。彼は困難な選択をしながら平和のうちに一族を守り導きました。
 そんなイサクを神は祝福し、繁栄を約束しました。遂には、イサクの生き方に神を認めた敵対者たちの方から平和条約を結ぼうとやってきたのでした。

2013年4月28日日曜日

あなたは赦されていますよ

 ある方が聖書の学びの後でお金を差し出されました。これは無事に旅から帰ってこれたからと、良くない事をした罰として少しずつ貯めたものです、と。
 人に優しくなりたい。もっと親切になりたい。どうしたら、そうなれるのかと真剣に悩んで、そうなれないたびに百円ずつ払うと決めたのだそうです。
 あなたはもう赦されていますよ。イエス様が、あなたの失敗も過ちもすべて引き受けてくださったのだから大丈夫。それがイエス様の十字架・・・。
 その方は感謝の分だけをあらためて差し出して、ほっとした顔になって家路につかれました。

2013年4月21日日曜日

 S.H.姉が天に召されました。死は終わりではない。主イエスは、私たちに永遠の命を約束してくださいました。残されたご遺族の悲しみが癒されますようにと祈り願いながら、しかし、ありし日の「スマイルリーダー」(2003年10月号るうてるより)讃美歌が大好きでいらした尚子姉の、ありし日のお姿を、みなさんと共に、あらためて思い起こせたことはとても大きな恵みでした。
 皆様から本当に助けていただき、お支えていただき、お祈りいただき、神と、湯河原教会のすばらしいチーム力によって葬儀をさせていただけました。
 心から感謝いたします。

2013年4月14日日曜日

リベカはいつものように

 10日の聖研では、アブラハムの息子イサクの嫁探しをめぐる物語から学びました。実は、嫁にふさわしい乙女かとつぶさに観察されているとはつゆ知らず、リベカはいつものように闊達です。
 初めて出会った旅人の十頭ものラクダすべてに、労もいとわず水をやります。「おいしよ、さあ、お飲み」と語りかける声が聞こえるようです。
 聖書は、主なる神の慈しみを受けた信仰の継承者リベカの姿を、その内から湧き出る自発性を通して、生き生きと伝えています。

2013年4月7日日曜日

新米牧師スタート

 新米牧師としてのスタートに向けて、妻と引越しの準備をしながら捨てられずに溜め込んできた自分、得ようとしてばかりだった自分に改めて気づかされました。
 マルタとマリアの姉妹からもてなしを受けたとき、イエス様はマルタに「しかし、必要なことはただ一つだけである。」とおっしゃったことを思いました。
 復活の主と共にあるとき、主は、私の執着から解き放ってくださいます。主イエスのみ心にかなう「良い方」を選ぶ力を与えててくださいます。ハレルヤ。

(週報に一列24文字、12行で、日常のこと、気づいたこと、思ったことを、肩肘をはらずにつづって欲しいと教会代表の方から要望された。タイトルは「牧師のツイート」。日記を書こうと思い立っても三日坊主なのになあ・・・