2023年9月24日日曜日

後なる者のように

 ぶどう園で朝早くから働いた人と、夕方から最後の一時間しか働かなかった人が同じ報酬を受けた。契約通りの賃金だから不正はない。しかし、早朝から働いた人にとっては同じ報酬では道理に合わないと不満が残った。

 それにしても、最後に来てほんの少ししか働かなかったのに、一日分の賃金をもらえた人はどんなにか嬉しかったことだろう。功績らしい功績もないのに分不相応の恵みを受けたのだから、それは破格というより他ない。

 主イエスは「先なるものは後になり。後なるものは先になる」と、私たちの心の奥底に巣食っている「貪りの罪」に警鐘を鳴らす。もし、先に来た人が他人と比べず、後なる隣人にもたらされた恵みを一緒に喜べたなら、きっと神の国の幸いを神とともに味わったことだろう。

2023年9月17日日曜日

みんな元気で感謝、感謝!

  9月になっても夏が続いている。たかだか気温のことに一喜一憂するのは情けないが、高齢者にとっては夏日が3ヶ月にも及ぶのはやはり辛い。今朝も、「ちょっと動くだけで滝のような汗だ」。恨めしくカンカン照りの青空を見上げながら思う。

 そんなときだ。「栗ご飯が炊けたわよ!」と家人が知らせてきた。そうだ、〇〇さんと、〇〇さんと、〇〇さんのところに初物をお届けしよう」。この8月はすっかりご無沙汰してしまったが、お元気だろうか?

 初物の栗ご飯を持って伺うと、皆さん暑い暑いと言いながらも元気だった。本当に良かった。ちょっとご飯が硬めだが、一向にかまわない。みんな元気でいた事を喜び合う。感謝だ、感謝だ!



2023年9月10日日曜日

主イエスが共にいてこそ

  「忠告する」というのは難しい。忠告の「忠」というのは、「真心」のこと。忠告は真心をもって、相手の悪いところを指摘して直すように勧めることだ。

 多くの場合、私たちは真心からというより義さから忠告をしようとする。この裁きの過ちに陥らないように主イエスは、まず祈ることを勧めてくださった。「「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである(マタイ18:20)」と。

 密室の祈りと呼ばれる一人の祈りは大事だ。しかし、気をつけないと独善になりやすく、願いばかりが先行する。二人、三人での祈りは自分が謙遜にさせられる。主が一緒にいてくださるからだ。主の憐れみを、みんな共に受ける豊かさへと導かれる。

2023年9月3日日曜日

9月、新しい気持ちで

 9月に入っても涼しさは期待できず、まだまだ忍耐の夏日は続く。しかし、赤トンボが飛んでいるのを時折見かけるので、やはり季節は秋に向かって進んでいるのだろう。そういえば昨日のこと、玄関を出たところですっかり焦茶色に変色したお腹の大きなカマキリに出くわした。「お〜い、元気だったかい?」と私。

 「主は自分を捨てて、自分の十字架を背負って私に従え」とおっしゃる。毎日は平凡であっても諦めることなく、困難はあるが投げやりにならず、主イエスに従ってゆけば、必ず神の国は私の前に実現するのだ。

 一匹のカマキリすら、神の摂理に従って着実に時を刻んでいる。感謝して、9月を新しい気持ちでスタートしよう。