2022年7月31日日曜日

すべては過ぎ去る。しかし・・・

 小田原教会では間もなく牧師館解体が始まる。先日、解体業者の方々から説明を受けた。手順に従って一つ一つ進めてゆく。

 礼拝後に、牧師館に残された廃棄する多くの物から残すものを選別する予定。もう使わないだろうと思える数々の物を前にして、「もう役目が終わったのだ」と、簡単には割り切れない思いが残る。その時、そこに奉仕してきた多くの兄弟姉妹の思いが想像される。

 しかし、神を愛し、人に仕える小田原教会のこれからにふさわしいあり方を模索しながら進みたい。「すべては過ぎ去る。しかし主の言葉はいつまでも残る」との主イエスの言葉に力を得る。

*8月7日の牧師のツイートは休暇のため休ませていただきます。


2022年7月24日日曜日

夏対策

 今年も暑い夏が来た!この夏を元気で過ごしたいと願う。私なりに「夏対策」をする。

 一つはヨシズである。窓の外にヨシズを立てかける。そして、窓という窓を開け放ち、外から風を入れる。これで部屋の空気もずいぶん涼しくなった。

 もう一つはウォーキングだ。一日7000歩を目指す。歩くのはもっぱら夕食後だが、流れる汗をかいた後は疲れるが、達成感はちょっとあるかな・・・?

 暑いしコロナも猛威を奮っている。しかし、ギラギラ太陽に向かって鎌を振り上げて、「暑いぜ!おれは負けないぜ!」と照れながら言うかまきりりゅうじ(『のはらうた』より)に自分を重ねて、ふと楽しくなる。

2022年7月17日日曜日

マルタからもマリアからもだ

 主イエスをもてなすために忙しく立ち働くマルタ。これまで教会はこのマルタの働きにどれほど助けられてきただろうか! マルタの働きは尊い。

 ところが、忙しさの余り、マルタは主の言葉に聞き入ってばかりいるマリアを非難する。

 従来、ここはマルタとマリアを比較して、マリアは御言葉に聞く観想的なタイプ。マルタは活動的なタイプ。そして、御言葉に聞くことが何より大切との結論によって、このマルタを批判的に見てきた。

 しかし、主は祈りながら活動し、活動しながら祈ることを教えてくださっている。ここから学ぶのは、マルタかマリアではなく、マルタからもマリアからもだ。

2022年7月10日日曜日

病みつきになりそうだ。

 イエス様の善きサマリア人のたとえは「隣人愛」の教えだ。主イエスは、愛する相手に条件をつけたり、範囲を設けたりしないで「助けを必要としている人はだれでもあなたの隣人」とおっしゃる。

 私たちは、自分が助けるべき相手はどのへんまでかを常に自問自答している。実に損得勘定によって!

 「隣人愛」とは地球規模に広がってゆく明るい壮大なイメージだ。今ここに、助けを必要としている人がいることがわかったなら「隣人愛」の実践は今だ!

 もしも隣人の役に立てたなら、どんなに楽しいことか!「隣人愛」は味わってこそわかる。きっとハマル。 神の国の味は病みつきになりそうだ。

2022年7月3日日曜日

シャロームという平和

  トルストイの小説『戦争と平和』が余りにも有名なので、かつて私はあさはかにも、平和というのは戦争のない状態というぐらいに考えていた。

 主イエスは、「どこかの家に入ったら、平和があるようにと願いなさい。」と教えてくださる。

 平和、それは神の救いの恵みの総体であって、人権に関わることなのだと改めて学び直した。

 神との和解、自然との調和、安全、健全、祝福、休養、光栄、富、救い、命などを含む大変含蓄のある言葉だ。平和に過ごすというのは決して波風が立たないように、ということではない。簡単ではないが、キリストにおいてこそ成ると信頼する。