2015年9月27日日曜日

シンプルになる

 敬老の日、幕山公園に叔母を連れだした。毎日の殆どを施設内で暮らしている叔母にとって、屋外の自然の空気は久しぶりのことだろう。緑の木立の中、川の流れの音を聞きながらしばらくベンチでくつろぐ。
 「ああ、風がいい気持ち!」と叔母。「そうですね」とわたし。特に話はしない。記憶に頼る会話はむつかしい。叔母にとって、今という時が平和であればそれで十分。明日のことは煩わない。すでにすべてを主に「お任せ」の人生が始まっている。
 人は歳を取ってシンプルになる。それは幼子の純真さに通じる。さて、歳に関係なく主にお任せの人生は如何?主はあなたを喜んで受け入れてくださる。

2015年9月20日日曜日

「本当の意味」で「救い」、「助けて下さい!」

 主イエス・キリスト様!どうか、私を含めた、私の家族5人を、「本当の意味」で「救い」、本当の意味」で「助けて下さい!」よろしく、お願いします!
 鉛筆書きのこういうハガキをだいぶ前に受け取った。知らない人からの希求の手紙だなあと思いつつ、目の前の事に追われて、つい放って置いた。
 今日、返事を書いた。「『主イエス・キリストは私の救い主です』と告白するとき、あなたの求める『本 当の意味の救い』が始まります。本当の救いは『永遠 の命』を信じることです。ぜひ、お近くのルーテル教 会の礼拝に与って下さい。そこから何かが始まります。あなたとご家族のためにお祈りします」。

2015年9月13日日曜日

このつぎはと興味津々

 目前の工事は、この夏、建物の地盤となる基礎工事をほぼ終えたらしい。掘り返し、埋め戻しの大音響の毎日だった。8月末に、でっかいキャタピラの付いたブルドーザーや首の超なが〜いクレーンが、工事後の地面の表を平らに直して次々と帰っていった。
 束の間の静寂・・・猛暑日に猛暑日が続いた夏の終わりが意外にあっけなく来たのに似ている。気がつけばいつもの彼岸花が牧師館の片隅にスイスイと姿をあらわしている。もう来週は秋分の日だ!
 さて、工事の方はと見ると、新しいクレーンが部品でやって来てここで組み立てられた。前にもまして強力強大だ。つぎの工事は如何にと、興味津々である。

2015年9月6日日曜日

「たった一人」を見逃すまいと祈る

 いまヨーロッパ中を駆け巡っている衝撃の写真がある。ギリシャに向かう移民船がトルコ沖で沈没し、シリア難民の男児の遺体がトルコの海岸に打ち上げられた。靴をはいたまま、膝をまげて砂浜にうつ伏しているその姿はあまりにもあどけなく、可愛らしい。そして、痛々しくて胸がつぶれる悲しい写真だ。
 「たった一人の子どもでも、力になれたら」と思って活動してきた。これはユニセフ親善大使を1984年から務めてきた黒柳徹子さんの直近の言葉だ。
 この「たった一人」にキリストは絶えず目を注ぎ、憐れまれたと聖書は告げる。私も、目の前の手の届くところの「たった一人」を見逃すまいと祈る。


( #KiyiyaVuranInsanlik  というハッシュタグでTwitter を検索すると世界の人々からのツイートに触れられます。)