2023年1月29日日曜日

春の日は近い

 朝起きてみると、昨日降った雨が屋根の上で凍っている。さすがに今は大寒の最中なのだ。しかし、すっかり葉を落とした木の枝にはもう新芽が膨らんでいるのに気がついた。春の日は近い!と元気づけられる。

 「春の訪れ」は神様からの恵みのプレゼントに違いない。特に長く寒い冬を過ごす地域の人たちにとっては、日差しが長くなるのが本当に嬉しい。それだけで力が湧く。毎日の生活に起こるこんな小さな恵みは不思議な支えだ。

 葉っぱを落としたはだかの木は「頑張ろう、頑張ろう、春の日近いと歌っている(まど・みちお)」。外界が厳しければ厳しいほど天の父の懐にいる幸いを思う。


2023年1月22日日曜日

もう一日、待ってみよう

  朝、家人から「お誕生日おめでとう!」と言われて、今日が私の誕生日だということを思い出した。

 ちょうど教会総会の準備の真最中で、家人の提案で誕生日祝いは月曜日に延期することになった。

 ところが、どうも落ち着かない。いつもなら子どもたちからLINEで次々に「お誕生日、おめでとう」と送信されてくるはずなのだが・・・来ていない。チラチラとスマホを見る。家人も気にしてか「三人とも、よほど忙しいのよ」と、さり気なく慰めてくれた。それにしても、みんな順調だろうかと、老婆心から心配になった。

 遠く離れて暮らす子どもたちの上に「主の平和」を祈る。そして思った。もう一日、待ってみよう。

2023年1月15日日曜日

良しとされた

 いつもお父さんに連れられて牧師館の前の道を通るHくんは軽度の知的障害がある。彼は我が家の猫のJDが大のお気に入りで、前を通るたびに「Jちゃーん」と名前を呼びながら猫に会いにやってくる。年寄りのJDは寝ていることが多く、私も妻も少し面倒なときは知らん顔して出ていかないことがあった。

 先日のこと、Hくんはたいへん取り乱して、「Jちゃーん」と泣き叫んでやってきた。お父さんに来ることを制止されたらしいことがひと目でわかった。お父さんが私たちに迷惑をかけたくないと思ったということもよく理解できた。すぐにJDを抱いて玄関に出た。

 Jの頭をしばらく撫で、Hくんは満たされて帰っていった。ああ、良しとされたと私たちは思った。 

2023年1月8日日曜日

新しい境地

  年のはじめから季節外れの暖かい日が続いて、昼間は春のようだ。教会の庭には菜の花が咲き、牧師館の庭にも水仙、ミニバラが咲いている。

 昨年の暮、必要に迫られてとうとうそれまでのガラケイからスマホに買い替えた。いろいろ操作が覚えられなくてまごつくことしきりなのだが、すごく感心したことがある。それはGoogleレンズと言うアプリだ。

 試しに窓際においてある鉢植えの写真を撮ってみる。写真と同時にその花の名前がでて「花きりん」だとわかった。妙に気に入った。さっそく外に出て庭の花を撮ってみる。自分が花の写真を撮るなんて考えても見なかった!なんだか新しい境地に立ったのかな?

2023年1月1日日曜日

新しい年、2023年を迎えて平和を願い祈る。 

  昨年はロシアがウクライナへの軍事侵攻を初めた年だった。多くの人々が犠牲になり、その中には多くの子供たちが含まれている。マタイ福音書にはヘロデ王によるベツレヘム一帯にいた幼児皆殺しの物語が記されている。凄惨な記事であるがこれは史実だ。彼らは何のために犠牲になったのだろうか?

 第二次大戦で死んでいった人々が起き上がり、「自分たちは何のために死んだのか?」と問いかけてくる映画の一場面を思い出した。世界中のあちこちで未だ戦い続ける私達に、平和を作り出すための祈りと働きが求められている。ウクライナでの戦争が終わるよう、「神の国」が来ますようにと祈り、支えてゆきたい。