2016年7月31日日曜日

素直な感性

 毎年楽しみに聞いているNHKのラジオ番組『夏休み子ども科学電話相談』が今年も始まった。
 「どうして地球にだけ酸素があるんですか?」といった質問に混じって、「どうして動物は歯を磨かないの?」という5歳児の質問があって、思わず笑ってしまう。
 こんな素朴な質問にも、第一線で活躍している各分野の専門家が身近な経験を通しながら説明している。中には「へぇーぇ!」「そうなんだ!」を連発しながら聞いている子どもがいる。驚いて目を丸くして聞いている様子が想像できて、微笑ましい。
 素直な感性は主のほめられるところだ。この夏、ラジオを通して子どもの感性に養われるのも楽しい。

2016年7月24日日曜日

ある宗教では・・・

 ちょうど米国に滞在していた頃、『ダ・ヴィンチ・コード』という小説がヒットして映画が作られた。イエスはマグダラのマリアと結婚し、子孫がいるというフィクションに全米の真面目クリスチャンが憤った。
 いま思い出しても吹き出してしまうのだが、私たちの教会でも一人のシニアの男性が興奮して言った。「私は、今までトム・ハンクス(主人公役)は大好きだったが、もう、嫌いだ!」。中年の男性がすぐ冷静に言った。「彼は俳優だ。彼は俳優なんですよ!」。
 これと同様のことが起きている。ポケモンGOが配信された。進化するポケモンはある宗教には反するという。私も叫ぶ。「これはゲームだ。遊びなんだ!」と。

2016年7月17日日曜日

留まらず・・・

 明るいニュースがあった。外出先で家族とはぐれ、捜索願の出されていた91歳のおばあさんが、高1の男子生徒の機転と親切によって無事家族のもとに戻った。清々しい笑顔の若者の写真を眺めながら、善行は主の喜ばれるところだと、素直に嬉しい。
 だが、「善きサマリヤ人」の喩え話は、「一日一善」のような話とは根本的に違う。主は律法学者の「自己正当化」に対する答えとして、この話をされた。
 自分を正当化し、気づかぬうちに人を区別し、そういう自分に留まってはいないだろうか?と自問する。有り難いな!この喩えは、自分の中にもある律法主義、原理主義という自己正当化の罪に気づかせてくれる。

2016年7月10日日曜日

ヨナだけではない

 異邦の民、敵国アッシリアの都ニネベに遣わされた預言者ヨナはこの召命を「快し」とせず、逃亡した。
 大魚に飲まれて、救い出されたヨナは回心してニネベに行って預言した。すると、王も民も家畜に至るまでが悔い改めた。ヨナにとってこの結果は意外だった。
 怒って、すねて砂漠の中で座り込むヨナを、主はトウゴマを生やして熱気から守られた。しかし、翌日にはトウゴマは枯れて、ヨナの怒りは頂点に達した。
 主のみ心がわからないのはヨナだけではない。主の憐れみには選民と異邦人の区別はもとより、何の差別もない。主は右も左もわきまえないこの私を愛し、この私が滅びるのを惜しみ、救ってくださった。

2016年7月3日日曜日

さっそく救出!

 信徒さんの問安で訪れた下曽我のあたりは、斜面にも小さな水田があって、田植えの後の稲が青々と育っていた。昔ながらの用水路には水草が茂って、そこをサラサラと涼やかな音をたてて水が流れていた。「なんて快い音なんだ!」子供の頃、こんな小川でメダカを捕ったものだったと足を止めてしばらく眺めた。
 この辺りは里山の風景が未だに残っているが、その実は、ずいぶん変わってしまっているに違いない。メダカはとうの昔に絶滅危惧種だ。ミツバチがいなくなると地球の生態系が変わるという話も聞いたばかり。
 今朝、ちっちゃなもぐらのようなのが廊下でもがいていた。猫が捕ってきたオケラだ。さっそく救出!