2021年12月26日日曜日

謙遜な人々の中に

 2021年もコロナ禍に明けコロナ禍に暮れようとしています。様々な課題を持ち越しながらも今年も御子イエスの御降誕をお祝いできたことを感謝します。

 湯河原教会は小さな群れですが、この一年も私たちの生活に見合った、私たちにできる愛の分かち合いをしてきました。今年のクリスマスカードに感謝の言葉が寄せられているのを見つけました。「このクリスマスにイエスを探しあてることができ、イエスを見出す喜びを感じることができたことは幸せです」と。

 クリスマスに馬小屋でうまれたイエスとは謙遜な人々の中に住まわれる神の愛の名だと感じ入りました。年の暮れ、皆様のご健康を祈ります。

2021年12月19日日曜日

クリスマス、行けない代わりに贈ります

  医療機関に長期入院の◯◯兄は、コロナ禍で病院の状況は変わらず、今年のクリスマスも教会に行けないと手紙で知らせてくださった。しかし、代わりにと自作のクリスマスソングが同封されていた。

 「教会で祝った僕らのクリスマスの日 イエス様お誕生おめでとう 今日はみんな仲良く 今日は楽しいパーティー 教会はハッピーな僕らのパラダイス 皆さんありがとう クリスマス クリスマス Oh!」

 彼は教会のクリスマスを懐かしく思い出している。彼のギターに合わせて歌った礼拝。愛餐会で披露した手品はスゴかったなー。主にあって今も教会とつながっているんだ!その彼の気持ちが伝わって温かい。

2021年12月12日日曜日

神の恵みで救われる

  突然、新興宗教の人から電話がかかってきた。「コロナ禍で不安はありませんか。希望について話しましょう」という。私は「それでは、あなたは救われているんですね」というと、「えっ、救い?救いですか?」とびっくりしたような声。福音を語らず、不安をあおって布教するのが新興宗教の常套手段だ。「あなたが救われるようにお祈りしますね」といって電話を終えた。

 私たちは自分の努力で救われるんじゃない、神の恵みで救われるのだ。本来は神の愛がすべてで、待降節はその愛の分かち合いをするそういう喜びのときなのだ。「喜びの主日」はそういう原点に帰ることを忘れないようにしようという時でもある。

2021年12月5日日曜日

主よ、どうぞ私たちの内に来てください!

  来年度、大きな節目を迎えようとしている兄弟教会の小田原教会では、待降節に向けてみなさんが良い備えをしてくださっている。

 20日に〇〇さんが牧師館周りの草刈りをしてくださった。21日にはクリスマスツリーや礼拝堂の飾り付けがされ、28日には屋外に電飾が飾られ、礼拝堂の窓ガラスが拭かれて、椅子カバーもきれいに洗濯された。クリスマスクランツにも週毎にろうそくが灯る。皆さまの一つ一つのご奉仕に感謝いたします。

 日毎に小さな感謝を積み重ねながらこうして喜びに満たされて、祈りながら主をお迎えできる幸いを思う。

   主よ、どうぞ私たちの内に来てください!