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ルーテル教会とは
湯河原教会史 ・ 洗礼盤
教会墓地
2015年5月31日日曜日
教会の花は救いたい
先週あんなにきれいに咲いていたスイトーピーが、気がつけば無残に枯れかかっているではないか!きっとこの2日ばかり、水やりを怠ってしまったためだと、早速バケツに水を持って急ぐ。
しかし、よく見ると、それは無数のアブラムシにたかられている事によるものだと分かった。上の方の柔らかな茎という茎は、まるで緑色のゴマをまぶしたようになっていた。
反射的に手が伸びる。「この、アブラムシめ!目に物見せようぞ!」とばかり、アブラムシのついた枝を次々しごいた。こんなことで、アブラムシに勝利するとは思えないが、それでも教会の花は救いたい。
2015年5月24日日曜日
ナイスなスペース
湯河原教会の前庭に新しいスペースが誕生した。丁寧な仕事ぶりが伺える。施工してくださったY建業さんに感謝である。
お礼を言うと、「教会って言うのは、みんな奉仕で成り立っているんでしょ?だから、うちもそういう気持ちでやらせてもらっています」と言われる。これはすごい!教会の本質をよく心得ておられる。
それにしてもこの空間が出来て、印象がずいぶん変わった。ちょっとした事なのに、広々としてなかなかいい。
ここにベンチが据えられる。横にはプランターが並び、花が植えられる。このスペースからも「どなたもおいでください」とのメッセージを是非届けたい。
2015年5月17日日曜日
天に上げられた主
人間は肉体としての「見る」という機能を科学の力で発展させてきた。レンズやレントゲンなどは人間が見る力を追求してきた結果である。
だが、主イエスの昇天の姿は科学を駆使しても見ることはできない。ひとえに心の目、信仰の目が開かれる事による。
礼拝で、司式者は手を上げて祝福する。それは主イエスが、手を上げて弟子たちを祝福しながら天に上げられたからである。
この主キリストの普遍的な姿を心の目を開かれた弟子たちは見ることができた。
心の目を開いていただくと、今まで見ていても気づかずにいたものが、そうだったのかとわかってくる。
今日は主の昇天主日である。
2015年5月10日日曜日
ああ、この広さよ!人の寛大さよ!
家族全員で集まろうと9年ぶりにテネシー州の地方空港に降り立った。ガラス張りの広々とした空港ロビーは到着ロビーから2階までゆるやかな長いスロープに作ってある。
中央には緑と岩に囲まれたアパラチアンの
渓谷
にみたてた噴水が音を立てて流れていた。
昼食にファーストフードの店に入った。「アップル・クランベリー・チキンサラダにしよう」とカウン
ターに並びながら相談していると、前に並んでいた見
ず知らずの女性が、「良かったら使って」と、自分のクーポンを切り取ってくれた。2ドルの割引だ。
「ああ、この広さよ!人の寛大さよ!」と山盛りのサラダを食べながら思う。
2015年5月3日日曜日
優しさのハーモニー
「森のイスキア」を主催している佐藤初女さんは訪れてくる心を病む人たちに手塩で握ったおにぎりと、野菜を使った手料理でもてなす。一緒に食べながらその人の話をひたすら聞く。ただ、それだけでみんな癒やされて帰っていくのだそうだ。初めてから19年、今年で93歳だというから、ますます驚きである。
彼女は野菜の皮も包丁でむく。決して皮むき器は使わない。皮むき器で剥かれる野菜はヒリヒリと痛そうだという。同様におにぎりも手塩で握る。お米が窒息するからと言ってラップは使わない。
素朴なおにぎりは相手の気持ちをそっと受け入れる。優しい気持ちで作った料理は味も優しいのだろう。
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