ブロードウェイで大好評だったミュージカル『Cats』(キャッツ)の公演が終わって間もなくのことだった。テネシーに地方劇団の『Cats』がやって来た。車で行ける。招待状を貰ったも同然。行かなくっちゃ!
地方劇団とは言え生の歌や踊りはグッとくる。もはやライブ感覚だ。CatsのTシャツまで買って、タガーやグリザベラの歌に合わせ、私もノリノリで歌ってしまった。少々太り気味の猫も中にはいたが、いいじゃぁないか!そんなこと気にしていては楽しめない。
婚宴に招かれて礼服を来てこなかったこの人、恵みに委ねられないこの人、心の暗闇で歯噛みをしているこの人のところへ、きっと花婿ご自身が来て下さる。
(マタイ22:1〜14)
2017年10月29日日曜日
2017年10月22日日曜日
全ては神によってつながっていると知る
T姉の入院を偶然に知った。夕方遅くなっていたが病院へ訪ねる。どんな様子かとドキドキしながら病室に入ると、予想に反して彼女はベッドを起こして一人ゆったりと新聞を読んでおられた。ホッとした。
いつものように若き日の思い出話に花が咲く。「『ウドの大木』って言われてたのよ〜」と懐かしそうに笑っておられた。手を取り合って祈った。
別れ際に、「教会あっての私だものね。教会の皆さんによろしく。ありがとう」と言われた。これがT姉と交わした最後の言葉になった。
その約1時間半後、突然彼女は天に召された。不思議な偶然も全ては神によってつながっていると知る。
いつものように若き日の思い出話に花が咲く。「『ウドの大木』って言われてたのよ〜」と懐かしそうに笑っておられた。手を取り合って祈った。
別れ際に、「教会あっての私だものね。教会の皆さんによろしく。ありがとう」と言われた。これがT姉と交わした最後の言葉になった。
その約1時間半後、突然彼女は天に召された。不思議な偶然も全ては神によってつながっていると知る。
2017年10月15日日曜日
天高く馬越ゆる秋
「天高く 馬肥ゆる秋」という諺がある。幼い頃に聞いて私が想像したのは、白い天馬が大きく一蹴りして、秋の青く澄み渡った大空を跳躍してゆく姿だ。
勘違いも甚だしいのだが、私は大きくなるまで「天高く馬越ゆる秋」だとばかり思っていた。耳から聞いていただけなのでこんな思い違いがあって、笑える。しかし「馬越ゆる」でもぜんぜん悪くない。天の大空はいつも神の存在を思わせてくれるからだ。
イザヤ書は、「天が地を高く越えているように神の道も思いも私たちを高く超える」(55:9)と記す。ぶどう園の主人は5時からしか働かなかった者を馬の背に乗せてゆうゆうと飛んでゆく。最後の一人にハレルヤ!
勘違いも甚だしいのだが、私は大きくなるまで「天高く馬越ゆる秋」だとばかり思っていた。耳から聞いていただけなのでこんな思い違いがあって、笑える。しかし「馬越ゆる」でもぜんぜん悪くない。天の大空はいつも神の存在を思わせてくれるからだ。
イザヤ書は、「天が地を高く越えているように神の道も思いも私たちを高く超える」(55:9)と記す。ぶどう園の主人は5時からしか働かなかった者を馬の背に乗せてゆうゆうと飛んでゆく。最後の一人にハレルヤ!
2017年10月8日日曜日
愛と赦しの立看板
紅葉し始めた緑を眺めながら、今年のノーベル平和賞のニュースを嬉しく聞いた。
「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICANアイキャン)に贈られた理由は、「核兵器がもたらす破滅的な結果を人々に気づかせ、条約で禁止しようと草分け的な努力をしてきた」と言うものだ。
小田原からの帰り道、真鶴町の見慣れた大きな立看板「核禁止平和都市宣言」が急に新鮮に感じられる。草分けの根はこんなところにまで伸びて来ていた!
今日、人を赦せ、無限に赦せ、自分も赦されたのだからと言われる主イエスは全ての人の心に十字架の愛と赦しの立看板を立てて、平和宣言をされる。
「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICANアイキャン)に贈られた理由は、「核兵器がもたらす破滅的な結果を人々に気づかせ、条約で禁止しようと草分け的な努力をしてきた」と言うものだ。
小田原からの帰り道、真鶴町の見慣れた大きな立看板「核禁止平和都市宣言」が急に新鮮に感じられる。草分けの根はこんなところにまで伸びて来ていた!
今日、人を赦せ、無限に赦せ、自分も赦されたのだからと言われる主イエスは全ての人の心に十字架の愛と赦しの立看板を立てて、平和宣言をされる。
2017年10月1日日曜日
イシグロちゃんの恵み
ご近所の猫のイシグロちゃんの世話を始めて、かれこれ8ヶ月目に入るだろうか。飼い主だった方はご高齢のために一人暮らしができなくなって、施設に入らねばならなくなった。家には猫が一匹で残された。
きっと家に残した猫のことが気にかかるに違いない。キャットフード、水、蚊取り線香、懐中電灯、それにペーパータオルなど猫のご飯の世話に必要な一式を持って出かける。遅くなっても必ず私たちを待っていると思うと、大変だからと言って止められない。
猫が食べている間に、私はスクワットが100回できる。日頃は運動不足の家人も行き帰りの道のりを早足で歩いている。これをイシグロちゃんの恵みと呼ぶ。
きっと家に残した猫のことが気にかかるに違いない。キャットフード、水、蚊取り線香、懐中電灯、それにペーパータオルなど猫のご飯の世話に必要な一式を持って出かける。遅くなっても必ず私たちを待っていると思うと、大変だからと言って止められない。
猫が食べている間に、私はスクワットが100回できる。日頃は運動不足の家人も行き帰りの道のりを早足で歩いている。これをイシグロちゃんの恵みと呼ぶ。
2017年9月24日日曜日
親の愛に包まれて
季節は夏から秋へ。今年もあちこちに真っ赤な彼岸花が咲く。その花の間をぬいながら秋の風が吹く。
今日はなんて爽やかな風が吹くのだろう!そう思いながら見上げると、高く澄んだ秋の青空だった。
「今日は真っ青な空ですね」と、牧師館の前を通り過ぎる人が気持ちのよい声をかけてゆく。「本当にそうですねぇ」と、思わず笑顔になる。こんなちょっとした会話が楽しい。不思議にこころが澄みきって、余計なものが落ちて行く。
解放された心、神のみ手の中にある本当の安心こそが何よりも大切なんだと思う。言ってみれば、おさな子が親の愛に包まれている時の安心かなぁ〜。
今日はなんて爽やかな風が吹くのだろう!そう思いながら見上げると、高く澄んだ秋の青空だった。
「今日は真っ青な空ですね」と、牧師館の前を通り過ぎる人が気持ちのよい声をかけてゆく。「本当にそうですねぇ」と、思わず笑顔になる。こんなちょっとした会話が楽しい。不思議にこころが澄みきって、余計なものが落ちて行く。
解放された心、神のみ手の中にある本当の安心こそが何よりも大切なんだと思う。言ってみれば、おさな子が親の愛に包まれている時の安心かなぁ〜。
2017年9月17日日曜日
新老人の使命ってすごい!
「新老人の会」をご存知だろうか。故日野原重明さんが提唱してできた会だ。世界で一番早く長寿国となった日本の高齢者が、元気で生きがいを感じられる生き方をする具体的な提案活動だそうだ。
確かに、高齢になっても自立して、これまでの人生で培った知恵や経験を社会に還元できるお年寄りはたくさんいる。65歳以上を老人とするという半世紀前の国連の取り決めは、既に実態にそぐわない。
ソーシャル・ネットワークを駆使してお互いに繋がり合う「新老人」の唯一つの使命は「子供たちに平和と愛の大切さを教えること」だという。キリスト者であった日野原さんらしい。新老人の使命ってすごい!
確かに、高齢になっても自立して、これまでの人生で培った知恵や経験を社会に還元できるお年寄りはたくさんいる。65歳以上を老人とするという半世紀前の国連の取り決めは、既に実態にそぐわない。
ソーシャル・ネットワークを駆使してお互いに繋がり合う「新老人」の唯一つの使命は「子供たちに平和と愛の大切さを教えること」だという。キリスト者であった日野原さんらしい。新老人の使命ってすごい!
2017年9月10日日曜日
若き時の
「いやー、今日はこの言葉がズシッと来たー!」と聖書の学びで皆が言った箇所は「わたしの若き時の罪と、とがとを思い出さないでください」だ。(詩篇25:7)
私やもっと上の年齢の方たちは「今思い出しても恥ずかしいことを一杯やってきた」と言う。そして、私よりずっと若い彼等も笑いながら言う。「今もそうだけど、10代や20代のころはホント未熟だったよね〜。自分ばっかり偉そうだった!」。若き日は誰にも“恥多き若かりし頃”なんだと深くうなずく。
私たちも詩篇の詩人と共に深い懺悔をする。私の罪には目をつぶり、私に対する慈しみだけを思い出してください。虫のいい言い分だが、主にだけは願える。
私やもっと上の年齢の方たちは「今思い出しても恥ずかしいことを一杯やってきた」と言う。そして、私よりずっと若い彼等も笑いながら言う。「今もそうだけど、10代や20代のころはホント未熟だったよね〜。自分ばっかり偉そうだった!」。若き日は誰にも“恥多き若かりし頃”なんだと深くうなずく。
私たちも詩篇の詩人と共に深い懺悔をする。私の罪には目をつぶり、私に対する慈しみだけを思い出してください。虫のいい言い分だが、主にだけは願える。
2017年9月3日日曜日
今、心から感謝!
この夏、健康上の都合で外出できないが、聖書の学びがしたいという一人の方を訪ねた。
インターネットはしないというので、テキストなどは郵送し、「感想や質問は電話か手紙で」ということで始めたものの、なかなか進まない。やっぱり手紙や電話ではね〜という思いがつのる。イエス様の「訪ねよ」という声もするので、この日思い切って訪ねた。
西陽の射す部屋で、麦茶を飲み、飲み、吹き出す汗を拭き、拭き、学ぶこと2時間。猛暑の中、扇風機だけ?エアコンが壊れていたことを後から知った。それにしてもあの時のものすごく冷えたオシボリには救われた。訪ねて良かった。今、心から感謝!
インターネットはしないというので、テキストなどは郵送し、「感想や質問は電話か手紙で」ということで始めたものの、なかなか進まない。やっぱり手紙や電話ではね〜という思いがつのる。イエス様の「訪ねよ」という声もするので、この日思い切って訪ねた。
西陽の射す部屋で、麦茶を飲み、飲み、吹き出す汗を拭き、拭き、学ぶこと2時間。猛暑の中、扇風機だけ?エアコンが壊れていたことを後から知った。それにしてもあの時のものすごく冷えたオシボリには救われた。訪ねて良かった。今、心から感謝!
2017年8月27日日曜日
嬉しくなってそっと歌う
このところの厳しい残暑には、正直参った!白旗を振ろうとしたとき、ふと見上げた空に広い広いうろこ雲。やっぱり秋なんだと胸を撫で下ろす。きっと明日から暑さが和らぐのだろう。そう思うだけで、気持ちはグ〜ンと楽になった。
そうだ、あの時も主イエスはわたし達を青草の野辺に座らせて、わずかのパンと魚とを持って生き返らせてくださった。そして今日も、主は疲れ、飢え渇いている私たちを満たし、潤し、癒して下さっている。
もう毎日が奇跡だと、もう一度空を見上げる。うろこ雲は大空にある野原のようだと思った。嬉しくなってそっと歌う。「秋よ来い、早〜やく来い」。
そうだ、あの時も主イエスはわたし達を青草の野辺に座らせて、わずかのパンと魚とを持って生き返らせてくださった。そして今日も、主は疲れ、飢え渇いている私たちを満たし、潤し、癒して下さっている。
もう毎日が奇跡だと、もう一度空を見上げる。うろこ雲は大空にある野原のようだと思った。嬉しくなってそっと歌う。「秋よ来い、早〜やく来い」。
2017年8月20日日曜日
ちょっといい感じ
日照不足が原因なのか、坂の上の桃の実が青いまま次から次へ落ちて、坂道を転がり落ちてくる。ゴロゴロと歩くのに邪魔になるばかりか、車に潰されて道が汚れる。
初めは家のゴミではないのだからと、道の向こう端に足で蹴り転がしていた。しかし、桃の実は毎日転がってきては我が家の前に溜まり続ける。
先週のこと、そうだ、拾って捨てればばいいんだとふと思った。そこで落ちてきた桃の実を上の方から拾い集めて、ゴミ袋に入れてみて思った。意外に簡単なことなんだ!お陰で道がきれいになった。なんだか嬉しい。私もちょっといい感じになった気がする。これって隠された宝を見つけた気持ちに通じてる?
初めは家のゴミではないのだからと、道の向こう端に足で蹴り転がしていた。しかし、桃の実は毎日転がってきては我が家の前に溜まり続ける。
先週のこと、そうだ、拾って捨てればばいいんだとふと思った。そこで落ちてきた桃の実を上の方から拾い集めて、ゴミ袋に入れてみて思った。意外に簡単なことなんだ!お陰で道がきれいになった。なんだか嬉しい。私もちょっといい感じになった気がする。これって隠された宝を見つけた気持ちに通じてる?
2017年8月13日日曜日
発想の転換が必要だね
灰色の猫、JDは大のブラシング嫌いのせいで、すっかり毛玉だらけになってしまった。先日、見かねた家人が毛玉を切ろうとして、誤って皮膚を切ってしまった。獣医さんで5針縫ってもらった。
「少し毛をトリミングしてあげましょう」という獣医さんの勧めで、お願いして帰った。ところが、病院へ迎えに行ってびっくりした。丸刈だった!
本人は綺麗さっぱり毛を捨てて結構ご機嫌だ。尻尾の先にだけ残された毛が、ライオンの尻尾のようでなんとも可愛い。毛玉のトラブルもすっかり無くなった。「君はライオンだね」とツルツルの体を撫ぜてみる。
思い切って丸刈りか!発想の転換が必要だね。
「少し毛をトリミングしてあげましょう」という獣医さんの勧めで、お願いして帰った。ところが、病院へ迎えに行ってびっくりした。丸刈だった!
本人は綺麗さっぱり毛を捨てて結構ご機嫌だ。尻尾の先にだけ残された毛が、ライオンの尻尾のようでなんとも可愛い。毛玉のトラブルもすっかり無くなった。「君はライオンだね」とツルツルの体を撫ぜてみる。
思い切って丸刈りか!発想の転換が必要だね。
2017年8月6日日曜日
平和の祈り-聖フランシスコによる-
主よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに 愛を、
争いのあるところに 許しを、
分裂のあるところに 一致を、
疑いのあるところに 信仰を、
誤りのあるところに 真理を、
絶望のあるところに 希望を、
悲しみのあるところに 喜びを、
闇には光を、もたらす者としてください。
聖なる主よ、どうぞわたしに望ませてください。
慰められるよりも 慰めることを、
理解されるよりも 理解することを、
愛されるよりも 愛することを、
わたしたちは与えるから 受け、
すすんで赦すから 赦され、
自分を捨てて死んでこそ 永遠の命をいただくのですから。
アーメン
憎しみのあるところに 愛を、
争いのあるところに 許しを、
分裂のあるところに 一致を、
疑いのあるところに 信仰を、
誤りのあるところに 真理を、
絶望のあるところに 希望を、
悲しみのあるところに 喜びを、
闇には光を、もたらす者としてください。
聖なる主よ、どうぞわたしに望ませてください。
慰められるよりも 慰めることを、
理解されるよりも 理解することを、
愛されるよりも 愛することを、
わたしたちは与えるから 受け、
すすんで赦すから 赦され、
自分を捨てて死んでこそ 永遠の命をいただくのですから。
アーメン
2017年7月30日日曜日
聖霊の涼しい風が吹く
小田原への道、早川駅前を車で通り過ぎた。頭にタオルを撒き、かごを背負って、でっかいトンクを片手にゴミを拾いながら歩いている男性を見かけた。頭にタオルを巻いた姿は、どう見てもボランティアワークだ。この暑さの中、エライ人がいるものだ!
翌朝のこと、教会前のゴミ置き場のネットを抱えていく近所の方に会った。だいぶボロボロだけれども、繕えばもう少し使えるかなと思って・・・とニコニコ顔。汚れたゴミのネットを、ホント、有り難い!
私はと言えば、今週は暑さと忙しさとでくたびれ果てた!だが、こんな無私の行為を見れば、からだの中には聖霊の涼しい風が吹く。さあ、また頑張るか!
翌朝のこと、教会前のゴミ置き場のネットを抱えていく近所の方に会った。だいぶボロボロだけれども、繕えばもう少し使えるかなと思って・・・とニコニコ顔。汚れたゴミのネットを、ホント、有り難い!
私はと言えば、今週は暑さと忙しさとでくたびれ果てた!だが、こんな無私の行為を見れば、からだの中には聖霊の涼しい風が吹く。さあ、また頑張るか!
2017年7月23日日曜日
ラインホールド・ニーバーの祈り
「ラインホールド・ニーバーの祈り」
神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、
変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、
変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
2017年7月16日日曜日
すでに愛は勝ったのだから
主イエスは弟子たちを宣教に送り出すにあたって、迫害のあることを予告された。戦後日本では思想・信教の自由は国民の基本的人権として保証されたが、いま雲行きが怪しい。隣の国々ではなお弾圧の中にある。
30年ほど前になるが、「愛は勝つ」という歌が流行った。…どんなに困難で、挫けそうでも、信じることさ、必ず最後に愛は勝つ…恋愛の応援歌だが、妙にキリスト教的だなぁと感じたことを思い出す。
「敵はいない」と、非暴力の戦いを続けた隣国の人は死んで負けたのではない。キリストは、私たちは孤立無援ではないこと、神の私たちに対する慈しみは決してなくならないと伝える。すでに愛は勝ったのだから。
30年ほど前になるが、「愛は勝つ」という歌が流行った。…どんなに困難で、挫けそうでも、信じることさ、必ず最後に愛は勝つ…恋愛の応援歌だが、妙にキリスト教的だなぁと感じたことを思い出す。
「敵はいない」と、非暴力の戦いを続けた隣国の人は死んで負けたのではない。キリストは、私たちは孤立無援ではないこと、神の私たちに対する慈しみは決してなくならないと伝える。すでに愛は勝ったのだから。
2017年7月9日日曜日
雨の中で輝く紫陽花は
九州北部では数十年に一度という豪雨のために多大な被害が出て心が痛むというのに、ここは真夏の天気が続く。ふと、地球温暖化、異常気象と言う言葉が頭をよぎる。
「去年はきれいだったのに、今年は紫陽花はかわいそううですね」とは、たった今通りがかった近所の方の言葉だ。そう言えば今年の紫陽花はさっぱりだった。「どうぞご自由にお持ちください」という札も貼らずじまいだった。梅雨はまだこれからが本番なのか、それとも遅れた「梅雨明け宣言」を待つだけなのか?
いつの間にかシトシト雨の安心で懐かしい梅雨を忘れてしまうことがないようにと願いながら、雨の中で輝く紫陽花は来年の楽しみに取っておく。
「去年はきれいだったのに、今年は紫陽花はかわいそううですね」とは、たった今通りがかった近所の方の言葉だ。そう言えば今年の紫陽花はさっぱりだった。「どうぞご自由にお持ちください」という札も貼らずじまいだった。梅雨はまだこれからが本番なのか、それとも遅れた「梅雨明け宣言」を待つだけなのか?
いつの間にかシトシト雨の安心で懐かしい梅雨を忘れてしまうことがないようにと願いながら、雨の中で輝く紫陽花は来年の楽しみに取っておく。
2017年7月2日日曜日
何十年ぶりかのプリン
今週もホームで暮らす92歳になる叔母を訪ねると叔母は満面の笑顔で迎えてくれた。
叔母は好物のプリンを見ると、「あら、こんなに美味しいもの、何十年ぶりかしら」そう言いながら、ゆっくりと美味しそうにプリンを味わって平らげた。
「何十年ぶりだって?!」と私は内心であきれて、先週もプリンを食べましたよと訂正しようかと思って、止めた。叔母の中ではとっくに時間の観念はなくなっている。
プリンを食べる度に、何十年ぶりかと思うほど美味しいと思えるなんて、なんて幸せなんだろう!こんな感動を神様は叔母にくださっているんだ。
叔母は好物のプリンを見ると、「あら、こんなに美味しいもの、何十年ぶりかしら」そう言いながら、ゆっくりと美味しそうにプリンを味わって平らげた。
「何十年ぶりだって?!」と私は内心であきれて、先週もプリンを食べましたよと訂正しようかと思って、止めた。叔母の中ではとっくに時間の観念はなくなっている。
プリンを食べる度に、何十年ぶりかと思うほど美味しいと思えるなんて、なんて幸せなんだろう!こんな感動を神様は叔母にくださっているんだ。
2017年6月25日日曜日
枇杷を食べながら思う
甘くておいしい実のなる枇杷の木が小田原教会の庭の外れに一本ある。もともと実生の枇杷だったらしいが、順調に育ってこの2、3年でたくさん実を付けるようになった。礼拝の後、みんなで採って楽しんだ。高い所のは、鳥や虫たちへの恵みの分かち合い。
手で皮をむくだけで果汁が溢れる。甘さが口一杯に。そんな枇杷を食べながら思う。良い木はイエス様だ。良い実は、イエス様が下さる福音だ。わたし達はそれをただ、ただ、頂いて味わえばいいんだ・・と。
「自分なんかダメだ」や「・・・ねばならない」に押しつぶされそうになって生きる私たちの口に主は今日もジューシーな福音の実を食べさせて下さる。
手で皮をむくだけで果汁が溢れる。甘さが口一杯に。そんな枇杷を食べながら思う。良い木はイエス様だ。良い実は、イエス様が下さる福音だ。わたし達はそれをただ、ただ、頂いて味わえばいいんだ・・と。
「自分なんかダメだ」や「・・・ねばならない」に押しつぶされそうになって生きる私たちの口に主は今日もジューシーな福音の実を食べさせて下さる。
2017年6月18日日曜日
喜んで天に送ろう
梅雨に入ったと言うのに、このあたりは晴天続き。庭の紫陽花も心なしか、うらめしそうに空を見上げる。本来なら、シトシト、ジトジトの季節だと思えば、サヤサヤと吹く爽やかな初夏の風はもうけもの。
この格別の天気に恵まれて、教会家族のわたし達、みんなが愛するY姉妹が天国に旅立った。107年11ヶ月3日間の長寿の生涯だった。それだけに山坂、谷ありの人生だったに違いない。
空の鳥を養い、野の花を育てて下さる主の愛は計り知れない。しかし、空の鳥にも野の花にもまさって主はひとりの主の僕、Y姉妹を慈しんで心に留めてくださった。今日は「ハレルヤ!」と喜んで天に送ろう。
この格別の天気に恵まれて、教会家族のわたし達、みんなが愛するY姉妹が天国に旅立った。107年11ヶ月3日間の長寿の生涯だった。それだけに山坂、谷ありの人生だったに違いない。
空の鳥を養い、野の花を育てて下さる主の愛は計り知れない。しかし、空の鳥にも野の花にもまさって主はひとりの主の僕、Y姉妹を慈しんで心に留めてくださった。今日は「ハレルヤ!」と喜んで天に送ろう。
登録:
投稿 (Atom)