2022年8月28日日曜日

草取りは神の親心の祝福

 草取りをしながら徳富蘆花のエッセイを思い出した。

 彼は言う。農家は6,7,8,9の月が草との合戦だ。五穀は野草に比べて脆弱だから放っておけばやられてしまう。息つく間なく取ってもキリがないと言いながら「一本抜けば、確実に一本減る」と自ら励まし、草を取る。

 彼は、「油断をすれば畑も、人の心も、あたりの社会も草だらけになってしまう」と言いながら、世界の草の種を取ることは必ずしも我らにとって幸福でないかもしれないと自戒もする。創世記3章を引用して「旧約聖書は、草は人間の罰と見た。草取りは神の人に対する親心の祝福である」と結んでいるのには驚いた。

 神の親心に答えて草を取る、そう思うと楽しくなる。