2014年11月2日日曜日

クリックしてみたら

 もっぱら仕事で向かうインターネットだが、昨日(30日)からグーグルのポータルサイトが楽しい。
 カラスが鳴くとカカシの頭からお化けが出てくる画面を見て、ハローウィーンだと思い出した。
 しばらくして、再びサイトを開くと新しいのにかわっていた。月が出るとグーグルの文字の二番目のoが狼男に変身する。残りの4文字G,g,l,eはびっくり仰天!その仕草がひょうきんで思わず吹き出した。
 夜中にもう一度サイトを見てみる。また新しいのに変わっている。魔女が洞窟で大ガメを前に何やら不思議な薬を作っていた。束の間のハローウィーンを楽しみながら牧師の10月がこうして暮れてゆく。

2014年10月26日日曜日

風に吹かれて

 巡礼街道沿いにあるけやき並木の紅葉はまだまだなのに、教会の前の歩道にはいつしか落ち葉の吹き溜まりができるようになった。
 落ち葉をはいていると、どこかのおばあさんが向こうからニコニコしながら歩いてきた。「ご苦労さんですね。掃いても、掃いてもまた風さんがあとから落ち葉を運んでくるからねぇ〜」とねぎらってくれる。
 確かに昨日は風雨が強かった。落ち葉だけでない、外壁に貼ってあった特別礼拝案内もすっかり吹き飛ばされていた。そよ風から、台風の風まで、目に見えない風の存在を私たちはこうして知る。見えない聖霊に導かれて、今日また礼拝案内を貼り直す。

2014年10月19日日曜日

なんだか楽しいな

 このところ気持ちのよい秋晴れの日が続く。湯河原から小田原への車の運転は気分を一新させてくれる。
遠く広く、水平線までの眺めが、時折目に飛び込んできて、それは豊かで平和な一瞬だ。
 曲がりくねった海岸線の国道を運転しているのに、助手席の人はときどき対向車を指さしながら、「あっ、ベンツ!」とか、「アウディ!」とか賑やかだ。だが、ハンドルを握っている身としては、じっと見る訳にはいかない。ところが週末ともなると、すれ違って通り過ぎる車に思わず目が行ってしまうことがある。
 おお、フェラーリだ!ポルシェも!しばらくして、ランボルギーニも通り過ぎる。なんだか楽しいな。

2014年10月12日日曜日

自由の賜物

 我が家の居間にはLED照明がある。この照明が今回ノーベル物理学賞を受賞した青色の発光ダイオードの発明による派生品の一つだったとは知らなかった!
 昨年の暮に買い替えたばかりのLED照明を改めて眺めた。こんな身近に世紀の発明品があったとなると、ノーベル賞が身近に感じられるから面白い。
 最年長の博士がインタビューに答えていた。「40年間も研究し続けられたのは、自由にやらせてもらったからだ」と。これを聞いて「なるほど」と思った。
 発明も発見も自由な精神の賜物だ。創世記は神が人間に命の息と自由を与えたことを伝えている。自由の賜物、ノーベル賞の受賞に気持ちがふくらむ。

2014年10月5日日曜日

これはいい

 ドーナツ座布団を買った。ドーナツ座布団と聞けば、だれでも想像がつく「トホホ」の病のためのものである。いよいよ私もご厄介になることにした。
 しかし、これがなかなかの優れものであると知った。固さといい、バランスといい長く座っていても尻が痛くなるということはない。おまけに、この座布団の厚みで、机でパソコン作業をするのに丁度いい高さになった。おかげで、左手のしびれも楽になった。
 イイコトづく目のドーナツ座布団、さて、座って仕事に取り掛かろうすると、何やらとぐろを巻いているものがいる。我が家の猫が私のドーナツにスッポリとおさまって、実に具合良さそうに寝入っていた。

2014年9月28日日曜日

せめて、これくらいはしたい

 この月曜日に一ヶ月ぶりに都内に出かけたが、小田急線の車窓からの眺めがすっかり秋になっていた。
 私には89歳の叔母の他に、もう一人97歳の伯母がいる。今は伊豆にあるホームで暮らしている。米国で30年余年を過ごした伯母は生涯独身だった。
 その伯母に、毎月一回アメリカから送られてくる年金の手続きのために都心に出かけてゆく。忙しいのと距離があるため、伯母を訪ねることはめったにない。
 心のうちで不孝を詫びながら、せめて、これくらいはしたいと、今日も月に四度の休みの一回を伯母のために使う。
 暑さは過ぎた。初秋はきっと伯母にも優しかろう。

2014年9月21日日曜日

ここを見て下さい

 木曜日の朝、『聖書に親しむ会』の看板を出した。しばらくして高齢の夫婦が教会の前を通って行く。看板を見ながらの話し声が聞こえてきた。
  「へー、『お茶とお喋りのくつろいだ時』だって。わたしらお茶もお喋りも、いつもしているよね~」。そう聞いて、思わず吹き出した。
 しかしである、私としては、その上の一行を読んで欲しかった。『聖書に親しむ会』の一行を。
 お茶とお喋りは付け足しである。つまり、お茶とお喋りがあったほうが気軽かな?と思ったに過ぎない。だが、これは考えものかもしれない。
 さて、今度は『聖書に親しむ会』とストレートに大書してみるか。

2014年9月14日日曜日

山盛りのイサキ

 昨日のこと、地元で捕れた新鮮なイサキを格安の値段で買って帰った。皿にひと盛りのイサキ。家に帰って数えてみると小さいが18尾入っていた。
 ひと手間かけて鱗を取り、腹わたを出して塩をせずにグリルで焼く。さすがにイサキは高級魚だけあって、小さくても味のよさはなかなかのものだ。
 丁度、夕飯を差し入れてくださったHさんに、失礼を顧みず、焼いたイサキを何尾か持ち帰って頂いた。それから今か今かと待っていた我が家の猫達にもお頭つきを一尾ずつ。
 海の幸を人も動物もみんなで惜しげも無くわかちあえる豊かさも、たまにはいいものではないか!

2014年9月7日日曜日

一歩、また一歩

 8月半ばにいただいてきた「夏すみれ」ことトレニアが20日間を超えてもなお咲き続けている。
 蕾をすべて咲かせきったばかりでなく、切り取った茎からは、糸のような根まで生え始めた。実に力づけられる。
 このところ心を病む方から電話をいただくことが日常になっている。今朝も不安げな電話が来た。
 「家族は出かけて一人」。その後「人が怖くて外出できない」。しばらくして「勇気を出して外出したい。祈ってほしい」。またしばらくして、「外出できた。いま駅にいる。これから帰る」。再びしばらくして「無事家についた。ありがとう」。最後はすっかり弾んだ声だった。
 草花と主に支えられつつこの方の声に耳を傾けた。

2014年8月31日日曜日

心から尊敬する

 盲導犬が全盲の飼い主と一緒に職場に向かう途中で刺されたというニュースに衝撃を受けた。フォークのような鋭利な刃物で腰のあたりを2,3箇所、その傷の深さは3センチに達していたという。この卑劣な行為に胸塞がれる思いがした。
 学生の頃、山手線に飛び乗ったら目の前に盲導犬がいたことがある。その毅然としてあまりにも気高い姿に僕は一瞬気後れして、そして感動した。
 「刺されても、鳴き声一つ上げなかったオスカー君、君は耐えて、赦したのだろうか。心から尊敬するよ!」
 僕は十字を切る。天の父の前に卑劣漢が悔い改め、救いへと導かれるようにと切に祈る。  

2014年8月24日日曜日

ガッツいっぱい

 先週この欄に書いた青と紫色の高山植物であるが、この花を下さったAさんにお聞きしたところ、実はインド原産のトレニアと言う一年草だと分かった。
 あの時、頂いた後で4人の方々を問安した。ハンカチに包んであったが、家に戻ってみると、すっかり萎れてしまっていた。
 ああ、かわいそうなことをしたと、冷たい水をかけてコップにさした。すると2、3時間で葉はピンとなり、小さな花は生き返った。
 今日でもう一週間余り経ったのに、次々と新しい蕾が膨らんでは花が咲いている。コップの中でも、暑くても、ガッツいっぱいの生命力で咲いている。







2014年8月17日日曜日

高原の涼を送ってくれる

 午後から問安に出かけた。気温は29度。猛暑の候であればそう高いとはいえない。しかし、ときおりザーッと降る雨に、湿度は90%となっていた。
 気温を湿度との関係で表す体感温度というのがあるが、これを表す数式というのは、実はものすごく科学的、かつ複雑である。便利な体感温度表によると、今日の体感温度は39度ということになる。なるほど今日は過ごしにくいわけだと納得する。
 問安に伺ったお宅の庭から、紫色の花を付けた小さな高山植物を頂いた。帰って直ぐにガラスのコップに挿す。この花、すっかり名前を忘れたが、今日の蒸し暑さに爽やかな高原の涼を送ってくれている。


2014年8月10日日曜日

今日はまるで天国


 この休み、一人暮らしをしている叔母を半年ぶりに訪ねた。この24日で89歳になる。
 着いてそうそう、叔母を近くのお蕎麦屋さんにお昼ごはんに連れ出した。車で行けば店まではほんの数分ほどの距離である。叔母を乗せて車をスタートすると、「ああ、嬉しい。今日はまるで天国だわ!」と、弾んだ声が後部座席から聞こえてきた。
 なんの変哲もない毎日を過ごしている叔母にとって、今日はささやかな変化ある一日だと知った。
 「じゃあ、今日は誕生日のお祝いね」と言って、美味しそうに食べる叔母を、日頃の親不孝ならぬ叔母不幸を許してもらいながら、感謝の思いで眺めた。

2014年8月3日日曜日

りゅうじを真似て言ってみる


 いよいよ今週は休暇だ。一回きりだが説教の準備もない。そう思うだけでほっとする。しばしの休みだ。
 夏空に入道雲、花火に夏祭り、西瓜に蝉の声・・・全く意味を成さないただの夏の単語の羅列だが、休みを目の前にすればすべてが輝いている。
 こういう時そこ「かまきりりゅうじ」(工藤直子著 詩集『のはらうた』)のセリフほどしっくりくるものはない。
 「おう なつだぜ/おれは げんきだぜ/あまり ちかよるな/おれの こころも かまも/どきどきするほど ひかってるぜ」
 私も片腕を太陽にかざして、かまきりりゅうじを真似て言ってみる。「おう 夏だぜ 暑いぜ 俺は頑張るぜ! 」

2014年7月27日日曜日

こうまで流行るのは


 いつも行くスーパーマーケットで流れていたBGMが変わっているのに気がついた。ありの〜ままの〜自分でいいの〜。アニメ映画『アナと雪の女王』と主題歌『ありのままで(Let it go)』が大ヒット中だ。だがこの好評ぶりは海外メディアには驚きだという。
 こうまで流行るのは、よほど自分というものを押さえて生きている人が多いのだろうと思ってしまう。
 『ありのままで』と『Let it go』の歌詞を比べると、そこに英詩にはない日本社会の独特さが考慮されていて、それがピッタリくるもとだと思えてきた。
 私などには、「ありのまま」というのは創造の姿のままがいいと歌っていると感じられるのだが・・・。



2014年7月20日日曜日

うん、あれはなかなか良かったな


 さて、わたしの頭の怪我であるが一週間が経って抜糸してもらえた。教会の皆さんにもすっかり心配をおかけした。
 うっとうしい絆創膏は頭から消えたものの、最初のクッションの入った手のひらサイズの絆創膏はちょっと気に入っていた。
 それは、一見ユダヤ教徒が頭のてっぺんにちょこんと乗せるあのまあるい帽子を思わせた。「神の前では頭を低く恭順の意を表す」という意味のキッパ(Kipper)のようだった。私もユダヤ教の礼拝に参加させてもらうためにキッパをつけたことがある。
うん、あの絆創膏、あれはなかなか良かったな。

2014年7月13日日曜日

初めてのご挨拶



 迷ってきた仔猫を捕まえようとお隣とのブロック塀によじ登った途端、バランスを崩して後ろ向きに倒れた。エアコンの室外機に頭頂部をブッツケて見事に切れた。
 しかし、この室外機がなければ、まともにコンクリートの地面にたたきつけられていたに違いない。
 一瞬の出来事なのに、倒れながら「おれも歳を取ったものだ」と思ったから人間の感覚とは不思議だ。
 ちょうど居合わせた娘が、「パパが大変、ママ、タオル持ってきて!」と叫びながら、小高いブロック塀の上をつたって忍者みたいにやって来た。
 幸いお隣はY外科医院である。引っ越して来て以来初めてのご挨拶をかねて、8cmの傷を縫って頂いた。


2014年7月6日日曜日

神にゆだねて


 教会の掲示板に「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのところに来なさい。わたしが休ませてあげよう」(マタイ11:28)と書いて貼り出した。
 掲示を出してから4日目、聖書研究会に飛び入り参加者があった。クリスチャンだというホームレス風のNさん。彼は聖書の場面を即興で演じたり、立て板に水のような聖書解説をするので、一同舌をまいた。
 ところでそのNさん、住基カードのある某市に戻り、生活保護を申請し、仕事を得たいと祈った。首をかしげる節もなくはないが、その祈りを聞いて、援助を申し出た。彼は金額にガックリした様子だったが、この先を神に委ねてと送り出した。

2014年6月29日日曜日

遠慮のない仲

 すっかり大人になった息子が帰ってきて、家の中の空気が和んでいる。
 どこの家でも夫婦の意見が違うというのはままあることで、我が家も例外ではない。
 一対一だと互いに言い張ってせり上がる。余裕の無いときはなおさらだ。「あなたの方がおかしいわよ」「いや、そういうことじゃないね」と、つい声が大きくなる。
 しかし、このところよく話を聞いてくれる仲裁役の息子がいる。話を聞いてもらえば治まることもあると、牧師たるもの、当然解っているはずだが、遠慮がない仲ではどうしても言いたい事が先に立つ。自戒を込めて思う。傾聴するところに神はおられる。

2014年6月22日日曜日

膨らむ笑顔を抑えきれない

 息子から、京都に来ているからと突然電話がかかってきた。「おとっつぁん、ちょっと聞きたいんだけれどね、教会でお香、炊く?」「?、いやー、うちの教会ではお香はたかないね」と応じる。 
 すると、「おっかさんは、お香が欲しいかな?」と再び聞いてくる。「じゃ、『おっかさん』に代わるから」と笑いながら妻に受話器を渡す。 
 妻は「おっかさんなんて言わないで。マミーと言いなさいなさい!」と言いながら、もう大変な笑顔だ。 
 久しぶりの息子の電話に妻も私ももうバカみたいに膨らむ笑顔を抑えきれない。二年ぶりだろうか、息子が帰国した。お香を母に贈ろうという。