2017年2月26日日曜日

喜びが増し加わる

 熱が続き、両手がパンパンに腫れてしまった叔母がとうとう入院した。痛風かリュウマチか、それとも感染症なのか診断はつかず、主に祈る。先日の夜、病院に叔母を見舞うと、驚いたことに手の腫れがすっかり引いていた。笑顔で私を迎えてくれた叔母の手を取って感謝の祈りを捧げる。
 一方、交通事故で大怪我をした猫のマーブルも下顎の手術をしてもらい、鼻からカテーテルで流動食をとって、少しずつ回復してきている。会いに行くと、ゴロゴロ言いながらお腹を出してくれる。
 大変な中にも感謝することの多い日々だ。感謝が大きければ大きいほど、喜びが増し加わる。

2017年2月19日日曜日

きっと助かる!

 生まれつき目の悪い半ノラ猫のマーブルが車に撥ねられた。血を吹き出すマーブルを車に乗せて近くの獣医師のところへ。しかし病院は休診日。K姉妹に助けを求める。彼女の案内で、数分後に別の獣医さんに診てもらうことができた。手術の必要な重篤な状態だとわかってO市の動物病院に連れていった。
 「助けてやってください」と言う家人の懇願に、「もちろんです」との返事に力づけられる。こちらの事情を知って、費用の面でも協力を申し出てくださった。
 いまマーブルは手術を受けて生きている。主よ、感謝します。一羽の雀でさえ父の許しがなければ地に落ちることはないと主は言われた。マーブルはきっと助かる! 

2017年2月12日日曜日

主よ、カバンを

 Iさんが天の父のもとに召された。忘れもしない2013年のクリスマスに、私が牧師として初めての洗礼を授けたのが彼であった。すでに病を得ておられて、その後は入退院を繰り返しながら、忍耐強く闘病生活を送られた。
 政治家の秘書という経歴からだろう、「元気になったら岡村牧師の鞄持ちをして、牧師がどんなことをしているのか知りたい」と、よく冗談に言っておられた。
 いまごろは、御国の門に出迎えてくださったエス様に「主よ、主のカバンを・・・」と、言っているのかもしれないなと、そんな情景を想像させられるほどに、Iさんの最後の顔は嬉しそうに輝いていた。

2017年2月5日日曜日

私たちにたくされている

 米国では、難民やイスラム教徒の一時入国禁止の大統領令が出された。早速、米国福音ルーテル教会の現任主教から署名入りの抗議声明文が発表された。
 ルター派のキリスト者の先駆者達が祖国を逃れる苦しみを経験し、米国で暖かく迎えられたことに触れながら、米国は歴史的に人種、国籍、宗教によって迫害された人々が、その脅威から逃れる避難場所となってきたと述べる。それは聖書の証言に基づくのであって、米国にとって最良の伝統でもあると訴えている。
 「わたしは、ちょうどめんどりが雛を翼の下に集めるようにお前たちを集めた」(エズラ記1:30)。主のみ言葉の実現は私たちにたくされている。

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米国福音ルーテル教会 現任主教 エリザベス・イートンの署名文
弱い立場にある難民の入国を一時的に禁止する大統領令は、私たちの安全を保障するものではなく、私たちのキリスト者としての価値観を反映するものでもない。アメリカに移住する難民は、人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の団体との関連による迫害を逃れてきた者たちである。彼らは、政府の複数の情報機関による安全保障審査を無事に終えるために一年以上を優に費やしており、その期間中は、多くの場合危険にさらされながら、完全なる異文化の中で暮らしていた。ルター派のキリスト者として、私たちの先駆者たちの多くは、祖国を逃れる苦しみとアメリカ各地のコミュニティで温かく迎えられる喜びを経験している。私たちが歴史を通じて行ってきたように、私は、選挙で選出された我が国の政府関係者に、私たちの聖書に立つ証言を尊重し、また脅威からの避難場所という我が国の最良の伝統に対して敬意を払うよう強く訴え、難民の移住計画の縮小に繋がるいかなる政策に対しても、断固として立ち向かうことを宣言する。

Rev. Elizabeth Eaton, Presiding Bishop of the Evangelical Lutheran Church in America:

“Temporarily banning vulnerable refugees does not guarantee our security nor reflect our values as Christians. Refugees being resettled in the United States have fled persecution because of their race, religion, nationality, political views or association with a particular group. They have waited well over a year to successfully complete security screenings by multiple intelligence agencies while living in a completely foreign culture, many times, still facing danger. As Lutherans, many of our ancestors faced the pain of having to flee our homes and the joy of being welcomed in new communities across the United States. As we have done throughout history, I urge our elected officials to honor our biblical witness as well as the best of our nation’s traditions of refuge and stand firmly against any policies that result in scaling back the refugee resettlement program.”

2017年1月29日日曜日

主の「召し」

 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」主イエスがこう声をかけると、ペテロは網を捨て主に従った。聖書は実に潔いペテロの姿を描く。
 私の父の名は巌、ペテロという名前だ。父も潔い生き方をした人である。自分を主張をするというのではなく、主の「召し」を全面的に受け入れて僻地医療に生きた人である。かつて私はこんな父に反抗した。
 しかし、人はこの主の「召し」を受け入れて生きることが実は安心なのだとわかってきた。主がお召しになったのだから、責任は召した方、主が取って下さるのだから。わたし達はただ、すべてを捨てて、その「召し」を受け入れるだけ。それは主の愛の業だから。

2017年1月22日日曜日

本当に、本当に美味しいよ

 遅くなって夕食の準備に取りかかる。前日に家人が買っておいた牡蠣が冷蔵庫にあった。
 大好な牡蠣フライが食べたいが、手間がかかるなぁと、言い出せない。無理して作ってもらっても、この前のようになってはと、衣がはがれたり、ひと餅になったかわいそうなカキフライの姿を思い出した。
 しかし、家人は手早く牡蠣を塩水で洗い、衣を丁寧につけ始めた。わたしも油を火にかけて準備する。十数分後、きつね色の美味しそうなカキフライが揚がった。「今日はあなたの誕生日だから」と家人が言う。そうか、今日のカキフライは僕の誕生日のお祝いなんだね。ありがとう。本当に、本当に美味しいよ。

2017年1月15日日曜日

尖った声を出してしまった

 集会から戻ってくると、牧師館に至る脇道をブロックして車が2台止まっている。しかも運転者が居ない。
 「こんな所に車を置くなんて非常識だ!」と憤慨して道路脇に車を止めた。見ると隣の門で運転者らしき女性2人が、しきりに何やらやっている。
 次の予定もあって気が急く。「車をどけて下さい。入れないんですけれど!」と、非難めいた、尖った声を出してしまった。女性たちはそそくさと車に乗り込むと無言で走り去った。
 こういうときこそ一呼吸入れる祈りが大事なのにパニクってしまった。寛容さを欠いた私の言葉を主イエスは何と聞かれただろうか。

2017年1月8日日曜日

ルターとクラーナハ

 この正月、上野の西洋美術館に出かけた。『クラーナハ展』でルターの肖像画の本物を見るためだ。
 ルカス・クラーナハはルターと同時代に宮廷画家として活躍した人で、ルターの友人でもあった。クラーナハの描いたルターの肖像画は宗教改革500年のバナーでも親しみ深い。この肖像画は、実際はルター夫婦が一対である肖像画だということがわかった。温かみのある二人の表情に庶民の幸せを感じる。
 初めて見るルターのドイツ語訳『新約聖書9月版』に見入った。クラーナハの微細な木版の挿絵入りの黙示録のページに、諸刃の剣が口から出ている「人の子」の姿があった。おお、これがかの聖書か!と感じ入る。

2017年1月1日日曜日

新しい気持ちで

 新しい2017年を迎えた。今年も、なすべきことを一歩一歩、忍耐強く誠実にやらせてくださいと祈る。それが信仰者の生き方の基本だと思うから。信仰のこと、魂のことこそ基本を大切にして、一つ一つやっていかなければ全て壊れてしまうからだ。
 「魂のことは目に見えない。だから壊れる時は本人も誰も気づかぬうちに崩壊してしまう。信仰者が大切に守ってきたもの。教会が一つ一つ積み重ねてきたもの。その遺産の上にあって我々もまた一つ一つささやかな石を積んでいかなければ、神の恵みにとうてい答えられない」とは大先輩の言だ。
 この言葉を新しい気持ちで心に刻んだ。

2016年12月25日日曜日

キリストの平和がなった夜

 1914年12月、第一次大戦下のドイツ軍とイギリス軍はクリスマスのこの日もベルギーの首都ブルッセルの緩衝地帯を挟んでそれぞれが塹壕の中にいた。光は見えず、希望はなく、彼らは暗闇の中にいた。
 ところが、ドイツ軍の塹壕の中で一人の兵士が「きよしこの夜」を歌い始めた。他の兵士たちが一緒に歌い初め、その歌声がイギリス兵士たちに届く。そして思いがけずに双方での大合唱となった。この日、政府が決めたわけでもなく、将校たちの誰が決めたのでもなく、兵士たちが自発的に休戦をした。ああ、御子の誕生!
 主イエスキリストはあなたの心を照らす光。暗闇に輝く希望、平和。クリスマスおめでとう!

2016年12月18日日曜日

主のもとに帰ってくる

 「なんだか嬉しいことが続くね」と妻と話す。
 今朝、クリスマスカードを受け取った。「不思議な神様の導きで、このクリスマスに洗礼を受けることに・・・」と書かれていた。6年前の宣教研修の時に出会ったSさんからだ。当時不登校の高校生だった。
 お昼には、礼拝から遠退いていたKさんが教会に来た。そして、しばらく連絡がとれなかった病気療養中の方からも手紙が届いた。夜になって、求道中のIさんから電話があった。「仕事のシフトが変わったので、来週から聖書の学びに行きます」と。
 みんな主のもとに帰ってくる。希望、平和、喜び、そして今日は4本目、愛のロウソクに火が灯る。

2016年12月11日日曜日

水と白湯だけで

 アドベントの一日を主に捧げようと思い、丸一日水と白湯だけで過ごした。初めての断食である。
 驚いたことに時間がゆっくり流れていく。そして、自分は自分の満足のために何かを工夫して一所懸命に取り組むというようなことを実は一日中、一年中、続けていたのだということに改めて気づかされた。
 空腹になって、空っぽになってみると、そんな満足へのこだわりからほんの少し解放される。お腹を空っぽにするように自分自身へのこだわりを空っぽにできたら、きっとその隙間を神が満たして下さる。きっと、神の世界を自由に生きる喜びを味わえるに違いない。アドベント第3週、喜びのろうそくに火が灯る。

2016年12月4日日曜日

届けたくて

 誕生日カードを届けたくて、その方の家を探した。今日はその方の誕生日、その日だからだ。この当たりらしいが、定かではない。番地も表札も出ていない。はたして、電気や水道の検針をする方は困らないのだろうか?と思ったりした。
 歩いて、訪ねて、探してみてふと思った。主もまた一人の魂の居所をたずねて、歩いて、探しておられるに違いない。しかし、その足取りは喜びいさんで、勢い良く、疲れを知らない。その人が大切で、大切で、救いたくって仕方がないからだ。
 そう思うと、また元気が出た。ろうそく2本にあかりが灯る。今週は待降節第2週だね。

2016年11月27日日曜日

平年並みでないクリスマスを

 あんなにきれいな紅葉はハゼの木に違いないと、左手の山々の紅葉にチラチラ見とれながらカーブを曲がる。すると、海を望んで右手に雪化粧した山々が現れた。昨日降った54年ぶりだという雪のせいだ。紅葉と雪の山が同時に楽しめるなんて滅多にない。
 このあたりでは11月には雪は降らないと言うのが平年並の気候だ。平年並みとは過去30年間の気候の平均だそうだ。平均であれば平均と同じ気候の年など一度もないということだ。
 今日からアドベントが始まる。毎年迎えるクリスマスもやっぱりどこか違うはず。心に主を迎える準備に平年並なんてないんだね。今年も小さな回心一つ!

2016年11月20日日曜日

参道を降って登って

 人を初めて訪ねるときは、いつもグーグルマップでお宅の場所を検索して出かける。伊豆山神社の石段の横に目的のお宅はあるらしく、カーナビに神社をセットして出発。ここまではいつも通りだ。
 さて、神社の境内に車を止めたものの、そこから先がわからない。付近の家を一軒一軒見て回るが目当ての家は見つからない。親切なお店の人、通りがかりの人が一緒になって探してくれた。スマホを持っている人がさらに下に続く参道付近だと教えてくれた。
 階段の苦手な家人の手を引いて、気が遠くなるほどの階段を一段一段降りた。いったい何段?ついに、探し当てた。が、帰りは登り。いやー、いい運動だった!

2016年11月13日日曜日

ルターのすすめ

 信仰入門講座で学んでいる『小教理問答書』だが、改めてルターの信仰理解の深さに驚かされている。
 例えば、十戒のうちの「あなたは隣人について偽証をしてはならない」であるが、ルターは「隣人をだましたり、裏切ったり、悪口を言ったり、あるいは悪い評判をたてたりするな」という禁止の中に、さらに主の福音を読み取る。「隣人を弁護し、隣人について良いことを語り、すべてを善意に解するように」と。
 ルーテル教会の信徒であったドイツ系アメリカ人の知人は、子どもたちに「友達の悪いところではなく良いところを話すように」と教えていたことを思い出す。そうだ、不平や愚痴もまた福音から遠いと覚えたい。

2016年11月6日日曜日

湯タンポ

 心地の良い季節になった。青く澄んだ秋の空に桜の紅葉が美しい。温暖な湯河原もさすがに朝は冷え込んできた証拠だ。朝方、目が覚めると猫達が揃って布団に入り込んで眠っている。そろそろ冬の支度にと、今年は湯タンポを買ってみた。
 使ってみて驚いた。湯タンポはシニア世代の愛用品だとばかり思っていたが、以外に使い心地が良いではないか!足の触れるか、触れないかの所に置くだけで布団の中はポカポカと温かい。有り難いことに、夜中にトイレに立つ回数が減った。
 身体にも環境にも優しい湯タンポが気に入ったのは私ばかりではない。我家の猫も勿論、目を細めている。

2016年10月30日日曜日

決戦の日曜日

 今年の日本シリーズがおもしろい。ちょこちょこラジオに聞き耳を立てたり、ちらちら横目でテレビ画面を眺めて観戦したりしている。
 ゲームは雰囲気に呑まれることもあるというが、広島ファンのあの赤一色の燃えるような熱気と白一色で白熱した日本ハムファンの姿が印象的だ。
 ところで、7戦まで観戦したい私とすれば、土曜はタイになり、そして次が「決戦の日曜日」と願いたい。
 ・・・が、我が家には全く興味のない人が一人いる。話しても反応がないばかりか、「ラジオの音は小さくね」と言われる。嗚呼!一度でもプロの生観戦に連れていけばよかったな。

2016年10月23日日曜日

そうすれば

 叔母が圧迫骨折で2度目の入院をして2週間余りになる。夕方ちょっと顔を見に行くが、たいていはぐっすり眠っている。耳が遠いので話しかけても目を覚まさない。手を握ったり腕を擦ったりして帰って来る。
 昨日のことだ。やっと目を覚ました叔母は、「とっても身体が楽なのよ。皆さんよく協力してくださって…」と言う。見れば本当に穏やかな表情だ。
 前回は、入院早々から認知症がひどくなると言われ続けて、叔母も緊張していたし、こちらも疲れた。物事には両面あるが、心配を口にすることは決してプラスじゃあない。まず神を畏れ、愛すべきだ。そうすれば「すべてのこと相働きて益となる」と言えるんだ。

2016年10月16日日曜日

神に選ばれた人たち

 娘の住む米国の小さな町が、ハリケーンで街と幹線道路が水没し孤立。電気と水と食料が絶たれた。車からスマホをチャージしてLINEで知らせてきて知った。
 やもめが不正な裁判官に「裁判をして、私を助て」っと叫んでいる。このやもめは神に選ばれた人だ。このやもめのように「昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちを、神はいつまでもほうっておかれない」と主イエスは言われる。
 もう一週間以上。あなたの今の状況、すごく大変だよね。でもこの今の試練は神の選びの中にあるって受けとめると、なんだか勇気が湧いてくるよね。
 主のために頑張って!みんな祈っている。