2019年3月31日日曜日

晩年の放蕩息子

 「今の俺、俺は俺でもこの俺は、彼知りし後の俺でない俺」このように色紙に書いてくださったのは牧師であり神学者であった渡辺善太先生だった。
 若い時は大酒飲みでさんざん道楽の限りを尽くしたという先生は、イエス・キリストに救われて人生が一変した。その後の人生をキリスト教伝道に捧げられた。
 私はひねくれ者の中学生だったころ、先生にお会いしたことがある。ずいぶんご高齢だったと思うが、優しい目と、豪快な笑い顔を覚えている。その日、自分が、救われて、回心した晩年の「放蕩息子」に出会っていたことを思った。受洗記念の聖書に「踏み迷うともこの道を行く ただ主にありて ただ主にありて」と記した。