2020年2月16日日曜日

一番痛いところだなぁ!

 主は山上の説教で私たちを8つの幸いで満たし、地の塩、世の光だと祝福してくださった。その後で、キリスト者の新しい生活を示される。ドキッとするが今日「心の殺人」「心の姦淫」を戒めてくださる。
 「誰しも腹を立てるくらいは仕方がない」と、どこかで自分にお墨付きを与えてはいないだろうか。法というものは決して内的在り方にまでは踏み込まない。法は外に現れた行為に対して拘束力を持つからだ。
 主は、もう律法に従うだけのトレーニングの時代は終わったと言われる。まさに「行動」ではなく、法では拘束されない目に見えない「心の有り方」が問われている。何と言ってもここが一番痛いところだなぁ!

2020年2月9日日曜日

主よ、憐れんでください

 お隣の国、中国では新型コロナウイルスの感染が止まない。感染者と死亡者の数が日々増え続けている報道に胸が痛む。関係者の苦難を思えば決して他人事でない。主よ、この苦境を乗り切らせてくださいと祈る。
 それにしても、花粉症などでマスクの必要な方もおられよう。が、マスクは品切れ。インターネットで普段の10倍もの値段で転売していると言うから呆れる。
 かつてヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行した。「死の舞踏」に描かれる恐怖は当時の現実だ。また足に大きな腺ペストのコブのあるキリスト像を見たことがある。人々はこれをさすりながら祈ったのだろうか。「主よ、憐れんでください」と聞こえてきそうだった。

2020年2月2日日曜日

でっかくて重い

 昨年の年の暮れのことだ。Tさんが泥だらけのかぼちゃのようなものを持ってニコニコ顔で来られた。
 「家の畑を掘っていたら、こんなのが出てきたよ!」蒟蒻芋だった。「へー、これが蒟蒻芋か!」生まれて初めて見る蒟蒻芋は予想外にでっかくて重い。
 さて今年に入って、4キロのこの芋からKさんが手間暇を惜しまずたくさんの蒟蒻を作ってくださった。作り方を聞いたが、私にはまったく魔法のようだ。
 礼拝後の昼食で、美味しくて食感抜群の手作り蒟蒻を皆で楽しむ。湯河原教会の兄弟教会にも蒟蒻を分かち合った。畑の隅に育った天の恵みは広がって教会家族の食卓に一役かってくれた。分かち合いの幸いだ!

2020年1月26日日曜日

教会家族

 今年も教会の年次総会が近づいてきた。昨年の振り返りをし、新しい年の宣教を思い巡らす・・・このところ、そんな時間を過ごしてきている。
 昨年から教会家族ということを思っている。お互いに欠けはあるけれども補い合って、助け合ってやっていく・・・なんか、いいなーって思う。
 今日、主は人を選んで従えと言う。主に選ばれた者とはキリスト者のことだ。私も日々主の示しに従って眼の前の人と出来事に向き合っている。私は何も誇ることができない。優れているから選ばれたのではない。主はもっとも弱く、貧しい人を選んですべての人を救おうとされている。それが教会家族から始まるんだ!

2020年1月19日日曜日

我が足元の生活から考えてみる

 今日のこの寒さはこの冬初めてと言っていい。さすがに冬だと実感できるのはおかしなことだが安心だ。
 この冬の暖かさは気にかかる。「こんにちは、暖かいですねー」という挨拶が通りでよくかわされている。「これでは夏が心配です」と言われる方もいる。これらは身近に感じる心配ということだが、実際は地球の気候変動が危機的になっているということだ。
 16歳の少女、グレタさんのことが頭をよぎる。彼女の訴えは正しい。私たち大人はこの地球を未来に残すために何ができるのか?「持続可能性」という言葉は18世紀に突然文明の滅びたイースター島の教訓から知った言葉だった。我が足元の生活から考えてみる。

2020年1月12日日曜日

同根なのだ

 平和を願って迎えた新年、飛び組んで来たニュースは暗い。アメリカとイランの紛争は、民間航空機を誤射し、176人もの命が失われる事態を招いた。
 またもや紛争が身近に感じられる。日本の中東海域への自衛隊派遣のニュースを耳にする。大戦中のラジオ放送を聞いているような錯覚を一瞬覚えた。
 平和という時、聖書は私たちの心をまず問う。世界で起きている紛争は海の向こうの出来事ではなく、実は私たちの只中で起こっている争いと同根なのだ。
 さて今年、やっぱり教会家族の交わりを豊かにしたいなーと願う。尊敬し合い、赦し合い、助け合う。私がそうなれたら、世界もやがて平和になるはずだ。

2020年1月5日日曜日

この幸いに感謝!

 2020年が明けた。どんな時にも祈り、どんなことにも感謝する一年でありますようにとお祈りします。
 1月6日は主イエス・キリストの顕現の祭日だ。メシアを示す星に導かれて遥か東方からやってきた三人の占星術の博士達はついにヨセフ、マリア、そして幼子イエスに拝謁し、宝を捧げ、喜びに満たされた。
 幼子イエスを我主として礼拝したこの三人の博士達は私たち皆の代表だ。博士達の姿に私自身を重ねてみる。彼らの姿は主を礼拝する者の原型のような気がした。神の前に謙遜にひれ伏し、喜んで献げ、神の恵みに満たされる。こういう礼拝に心から憧れる。
 年の初め、顕現日を覚えて祝うこの幸いに感謝!

2019年12月29日日曜日

さわやかに This is my mission と言う

 テネシー州にいた頃、車好きの友人Rの家に行くと、中古車を修理していた。当時、経済的に困窮していた母子家庭の母親に車を提供するためだ。かなり年代物の中古車を安全に乗るには数々の部品を取替て修理しなければならないところが山とある。
 庭先に置いた車の下から仰向けのまま顔を出して、彼は明るい声でいった“Hi! Hiro, This is my mission.”(やあ、ヒロ(私の呼び名)、これは僕の宣教だよ)。
 彼は奉仕とかボランティアワークとか言わずに「ミッション」と言ったのだ。キリスト者には「これは私の宣教」というものがある。奉仕して、爽やかにThis is my mission と言う。いいなー!

2019年12月22日日曜日

メリー・クリスマス

 この季節、シュトーレンを探すがマーケットのどこにも見当たらない。今まではドイツからの輸入のシュトーレンが山と積まれていたのだが・・・はて?
 そういえば、今年湯河原はまったくと言っていいほどクリスマスの雰囲気がない?クリスマスソングも聞かないしクリスマスツリーも見かけない。クリスマスグッズの代わりに正月グッズが場所を締めている。
 もしも、巷にクリスマスが無いとなれば、それこそがチャンス到来!この際だから声を大にして言おう。皆さん、クリスマスは教会で祝いましょう。クリスマスの讃美歌を教会で歌いましょう。すべての人の救い主が降誕されました!メリー・クリスマス!

2019年12月15日日曜日

「喜びの2乗だ!」

 アドベントの第3週、今日から喜びの主日が始まる。アドベントクランツのロウソクは伝統的にバラ色も用いられる。喜びそのものである主イエスを、ワクワクして待つ喜びとで、今週は喜びの2乗だ!
 昨日のクリスマス・チャリテ―・コンサートは楽しかったー!こんなに様々なグループをよくまとめ上げたものだ!クリスマス合唱団、子どもやシニア世代のコーラス、そしてプロの演奏家やプロ歌手と・・・。
 歌手、演奏者、コーラスの方、聞きに来てくださった多くの方々、そしてこのコンサートを裏方で支えた方々、皆さんに感謝。みんなで喜びを分かち合えた。

2019年12月8日日曜日

ハレルヤ!

 ルーテル小田原教会では今日、一人の方が洗礼を受けられる。ふと、40年以上前の自分の受洗の時を思い出した。
 「踏み迷うとも大道を外さず。ただ主にありて。ただ主にありて」。恥ずかしながらこれは大学生の頃、受洗記念に頂いた聖書の扉に書き記した自分の言葉だ。あれからずいぶん時がたった。踏み迷うこと、いくたびか!だが、この時の気持は今も変わらない。
 さて、洗礼を受けられる方は80歳に近い。前任牧師から引き継ぎ7年になる。イエス様との出会いは十代の頃という。諸事情から教会生活は途切れ途切、いわば点線のように繋がって来られた方だ。その歩みを主は祝福された。今日救いが彼女に訪れた。ハレルヤ!

2019年12月1日日曜日

壁を崩すために

 さざんか梅雨が止んだとたん、文句なしの冬晴れとなった。酒匂川の堤から眺める雪の富士山が、空の青を背景にまるでバタークリームでデコレーションしたみたいに真っ白だ。てっぺんのギザギザがあまりに見事なので、運転しながら見とれてしまった。
 カーラジオからベルリンの壁崩壊30年のニュースが流れてくる。「人々を排除し、自由を制限する壁はどんなに高くても崩すことができるが、憎しみと不満からできた壁は築いた自らが崩すしか無い」。旧東ドイツの人々の中にできた新たな心の壁、怒りと不満の壁だ。
 主は、目に見えない私たちの中の壁を崩すために生まれた。希望のうちに御子の御降誕を待ちたい。

2019年11月24日日曜日

主の問いかけ

 教会暦では今日は年間最後の主日。12月1日からいよいよ御子のご降誕を待つ待降節(アドベント)を迎える。キリスト教会の新年は来週がスタートとなる。
 誰もが多忙になる季節に入るが、御言葉に養われ、愛の心配りを他者にしながら心豊かにクリスマスを迎えたいと願う。
 最終主日の今日、「終末」について主の御言葉を聴く。
 私たちの人生にも必ず「終わり」が待ち受けている。その終わりに向かってどう生きるか、今日の福音と、主イエスの生き方はわたしたちに問いかけてくる。
 誰にとっても挑戦だが、偉ぶらず、話を盛らず、謙遜に主の前に誠実でありたい。

2019年11月17日日曜日

実は私もなんです!

 小田原からの帰り道、前を行くバイクに近づいた。対向車線は車の列。追い越したいがチャンスがない。
 50ccのカブに股がったバイカーは、何と、レッドブル・ホンダのジャンパーに、ロゴのステッカーがペタペタつけてあるヘルメット姿だ。
 急に親しみを感じた。「あなた、F1のファンでしょう。実は私もなんです!」と、心のうちに語りかけた。内緒だったがホンダF1の密かなファンだ。そして、何よりホンダの健闘に心をおどらしている。
 バイカーはシニア世代に見える。一定速度を守って道路端を疾駆する誇り高い50ccカブに敬意を表す。フィットの私は抜かずに従った。

2019年11月10日日曜日

天を見上げて

 この秋は15号と19号という2つの強烈な台風に見舞われた。つい先々月と先月の出来事だ。千葉県や長野県を始め各地に豪雨を降らせて大きな被害をもたらした。
 被災者の味わった苦痛と今も続いている困難に少しでも寄り添いたい。JELC本教会が連帯献金を呼びかけている。今回も、祈りと献金をもって被災された方々に寄り添うことができればと願う。
 おかげさまで、この湯河原は無事だった。山麓に色づく蜜柑を眺める。今年も収穫の季節を迎えられたこと、主日から主日へ御言葉三昧の日々を送れた幸いに感謝。天を見上げると、胸のすくような高い青空だ。
 さあ、どうだ!と言わんばかりの秋の空。

2019年11月3日日曜日

新米の向こうに

 もう田んぼの刈り入れは終わっただろうか?昔は収穫後の田んぼではよく籾殻や藁くずが燃やされていた。くすぶる煙の臭いに郷愁を誘われたものだった。
 先日、新米を買って食べた。うまい!炊きたてのご飯から田畑の風景や農作業を思い起こすのは至難の技だ。だが、米の袋には田んぼを背景に生産者の写真が印刷してある。この人達が作ったんだなぁと思った。 
 私などはつい腹を満たすため「俺と飯」になってしまう。これが習慣になっていれば、やはりまずい!
 ときには、農作業や雨の日、風の日を通して働いてくださった神さまに気づくことも大事だ。美味しさもまた、そういうゆとりの中にある感謝かもしれない。

2019年10月27日日曜日

トリック オア トリート!

 ず〜っと以前、長男を連れて行った米国で初めてハロウィーンを経験した。衣装の用意がなくて慌てて浴衣を着せてご近所を回った。満面に笑みをたたえたご老人たちがキャンディをトリートしてくれた。
 いつしか立場が変わりハロウィーンの夜は迎える側になった。庭の木々に人工の蜘蛛の巣をかける。玄関のジャック・オー・ランタンに火を灯すと、「歓迎!」のサインになる。そして黒ずくめの魔法使いに変装、キャンディを用意して小さい子どもたちを待った。
 夕暮れ、大人に連れられてお姫様やお化けに変装した子ども達がやって来る。「トリック オア トリート!」・・・昨日のことのような温か〜い思い出。

2019年10月20日日曜日

これこそが要だ

 主イエスは「神の国はわたしたちのただ中にある」と言う。そして身近な材料を用いて実にユーモアとウィットに富んだたとえ話を創作し、自らそれを語る。今の世界が過ぎ去らなければ新しい世界はやって来ないという終末論的な「神の国」の宣教とは一味違う。
 今日のたとえ話は神を畏れず、人を人とも思わない不正な裁判官が、訴えてきた寡婦を助けるという話だ。
 このたとえの意外性は、裁判官が彼女のために便宜を図ってやったその理由にある。うるさくてたまらないという人間的理由によって弱い立場の寡婦は救われたのだ。裁判官の胸の内など誰が知り得よう!「諦めず祈る」は無駄ではないどころか、これこそが要だ。
(ルカによる福音書18章1〜8節)

2019年10月13日日曜日

静まれ!

 近年にない大型台風の来襲に危機感が強まる。私も今回はさすがに定番の防災グッズをゲットした。
 一ヶ月前の台風では長期の停電と断水が起きた。通信手段の確保のために早速、乾電池式モバイルバッテリーを買いに電気店へ。しかし、売り切れだ!やむなく車から電源を取るアダプターを購入して帰ってきた。
 今朝、教会の周りにある諸々のものを教会の玄関と裏口につぎつぎに取り込む。断水に備えて水も汲み置いた。自然を相手に十分などということは到底ありえないが、できることはやったように思う。
 刻々と入ってくる台風情報に不安がます。しかし、心を沈めて祈る。「静まれ!」との主のみ声を聞く。

2019年10月6日日曜日

からし種ほどの信頼でいい

 十字架に向かう主イエスの旅は今日もエルサレムに向かって一歩一歩進んでいく。最後となるエルサレムへの道すがら主は弟子たちに言われた。「からし種ほどの信頼でいい。あとは神が働いてくださる」。
 からし種は胡麻つぶとほぼ同じ大きさの種だそうだ。だが、いくら小さくても種は種。種がなければ芽は出ない。さて、困った!からし種はどうしたら調達できるのだろうか??
 種まく人である主は言われる「安心しなさい、種はすでに蒔かれた」。そして、主は今まさに私たちに水を与えてくださる。「路傍に蒔かれず、岩地に枯れなかった良き芽生えとなれ!」と慈しんで育ててくださる。