麦の収穫は5月頃から始まるそうだ。当時のパレスチナあたりでも、今頃は青々と実った麦の穂が畑一面にすくすく伸びていたと思う。それはイエス様の当時も、みんなが見慣れた美しい風景だったに違いない。
しかし、実った麦の穂を見て、土の中の種がどうなっているかを想像する人はどれほどいただろうか?仮に、麦を引き抜くとする。そこには、無数の絡み合った多くの根っこを見出すが、もはや、元の種は養分として吸収されて見当たらない。主の十字架は、人類の救いという実りを得るために撒かれた種だった。
“主はこの私の罪を執りなしてくださった”今日、この慈しみでいっぱいにされ、ただ頭を垂れる。