2021年5月2日日曜日

主につながっていよう

 私はぶどうの木のたとえが大好きだ。

 こういう見方が科学的かどうかわからないが、葡萄の木は同じ果物を実らせる木と比べてちょっと違う。

 例えば幹と枝がはっきり区別できる林檎や蜜柑の木に比べ、葡萄の木はどこまでが幹でどこからが枝なのかはっきりしない。「わたしはまことのぶどうの木、あなた方はその枝である」と主が言う時、私達は主イエスと一緒に一つのぶどうの木を形作っているのだ。

 慈愛の父である農夫はせっせと私達を手入れして、実がなるようにと育ててくださっている。育ての父が見守ってくださるこの安心感!このぶどうの木のイメージは私を力づけ、また幸せにしてくれる。