2022年3月20日日曜日

ありがたくて

 成果が出なかったり、失敗したときに「まだ、先があるんだからから待ってやって」と、とりなしてくれる人がいたならどんなに救われるかしれない。

 ぶどう園に生えている実のならないいちじくの木は園丁のとりなしによって切り倒されずにすんだ。「待ってください。わたしが木の周りを掘って肥料をやってみますから」。主イエスが父の神に申し出たとりなしは、自ら実のならない木の世話をするというものだった。

 実がならない木は切るのがこの世の当然だ。しかしそんな木を慈しんで、惜しんでいる存在があると知ったなら、どんな木だって実をつけずにはおられない。ありがたくて、悔い改めの実はおのずと実る。