この季節、シュトーレンを探すがマーケットのどこにも見当たらない。今まではドイツからの輸入のシュトーレンが山と積まれていたのだが・・・はて?
そういえば、今年湯河原はまったくと言っていいほどクリスマスの雰囲気がない?クリスマスソングも聞かないしクリスマスツリーも見かけない。クリスマスグッズの代わりに正月グッズが場所を締めている。
もしも、巷にクリスマスが無いとなれば、それこそがチャンス到来!この際だから声を大にして言おう。皆さん、クリスマスは教会で祝いましょう。クリスマスの讃美歌を教会で歌いましょう。すべての人の救い主が降誕されました!メリー・クリスマス!
2019年12月22日日曜日
2019年12月15日日曜日
「喜びの2乗だ!」
アドベントの第3週、今日から喜びの主日が始まる。アドベントクランツのロウソクは伝統的にバラ色も用いられる。喜びそのものである主イエスを、ワクワクして待つ喜びとで、今週は喜びの2乗だ!
昨日のクリスマス・チャリテ―・コンサートは楽しかったー!こんなに様々なグループをよくまとめ上げたものだ!クリスマス合唱団、子どもやシニア世代のコーラス、そしてプロの演奏家やプロ歌手と・・・。
歌手、演奏者、コーラスの方、聞きに来てくださった多くの方々、そしてこのコンサートを裏方で支えた方々、皆さんに感謝。みんなで喜びを分かち合えた。
昨日のクリスマス・チャリテ―・コンサートは楽しかったー!こんなに様々なグループをよくまとめ上げたものだ!クリスマス合唱団、子どもやシニア世代のコーラス、そしてプロの演奏家やプロ歌手と・・・。
歌手、演奏者、コーラスの方、聞きに来てくださった多くの方々、そしてこのコンサートを裏方で支えた方々、皆さんに感謝。みんなで喜びを分かち合えた。
2019年12月8日日曜日
ハレルヤ!
ルーテル小田原教会では今日、一人の方が洗礼を受けられる。ふと、40年以上前の自分の受洗の時を思い出した。
「踏み迷うとも大道を外さず。ただ主にありて。ただ主にありて」。恥ずかしながらこれは大学生の頃、受洗記念に頂いた聖書の扉に書き記した自分の言葉だ。あれからずいぶん時がたった。踏み迷うこと、いくたびか!だが、この時の気持は今も変わらない。
さて、洗礼を受けられる方は80歳に近い。前任牧師から引き継ぎ7年になる。イエス様との出会いは十代の頃という。諸事情から教会生活は途切れ途切、いわば点線のように繋がって来られた方だ。その歩みを主は祝福された。今日救いが彼女に訪れた。ハレルヤ!
「踏み迷うとも大道を外さず。ただ主にありて。ただ主にありて」。恥ずかしながらこれは大学生の頃、受洗記念に頂いた聖書の扉に書き記した自分の言葉だ。あれからずいぶん時がたった。踏み迷うこと、いくたびか!だが、この時の気持は今も変わらない。
さて、洗礼を受けられる方は80歳に近い。前任牧師から引き継ぎ7年になる。イエス様との出会いは十代の頃という。諸事情から教会生活は途切れ途切、いわば点線のように繋がって来られた方だ。その歩みを主は祝福された。今日救いが彼女に訪れた。ハレルヤ!
2019年12月1日日曜日
壁を崩すために
さざんか梅雨が止んだとたん、文句なしの冬晴れとなった。酒匂川の堤から眺める雪の富士山が、空の青を背景にまるでバタークリームでデコレーションしたみたいに真っ白だ。てっぺんのギザギザがあまりに見事なので、運転しながら見とれてしまった。
カーラジオからベルリンの壁崩壊30年のニュースが流れてくる。「人々を排除し、自由を制限する壁はどんなに高くても崩すことができるが、憎しみと不満からできた壁は築いた自らが崩すしか無い」。旧東ドイツの人々の中にできた新たな心の壁、怒りと不満の壁だ。
主は、目に見えない私たちの中の壁を崩すために生まれた。希望のうちに御子の御降誕を待ちたい。
カーラジオからベルリンの壁崩壊30年のニュースが流れてくる。「人々を排除し、自由を制限する壁はどんなに高くても崩すことができるが、憎しみと不満からできた壁は築いた自らが崩すしか無い」。旧東ドイツの人々の中にできた新たな心の壁、怒りと不満の壁だ。
主は、目に見えない私たちの中の壁を崩すために生まれた。希望のうちに御子の御降誕を待ちたい。
2019年11月24日日曜日
主の問いかけ
教会暦では今日は年間最後の主日。12月1日からいよいよ御子のご降誕を待つ待降節(アドベント)を迎える。キリスト教会の新年は来週がスタートとなる。
誰もが多忙になる季節に入るが、御言葉に養われ、愛の心配りを他者にしながら心豊かにクリスマスを迎えたいと願う。
最終主日の今日、「終末」について主の御言葉を聴く。
私たちの人生にも必ず「終わり」が待ち受けている。その終わりに向かってどう生きるか、今日の福音と、主イエスの生き方はわたしたちに問いかけてくる。
誰にとっても挑戦だが、偉ぶらず、話を盛らず、謙遜に主の前に誠実でありたい。
誰もが多忙になる季節に入るが、御言葉に養われ、愛の心配りを他者にしながら心豊かにクリスマスを迎えたいと願う。
最終主日の今日、「終末」について主の御言葉を聴く。
私たちの人生にも必ず「終わり」が待ち受けている。その終わりに向かってどう生きるか、今日の福音と、主イエスの生き方はわたしたちに問いかけてくる。
誰にとっても挑戦だが、偉ぶらず、話を盛らず、謙遜に主の前に誠実でありたい。
2019年11月17日日曜日
実は私もなんです!
小田原からの帰り道、前を行くバイクに近づいた。対向車線は車の列。追い越したいがチャンスがない。
50ccのカブに股がったバイカーは、何と、レッドブル・ホンダのジャンパーに、ロゴのステッカーがペタペタつけてあるヘルメット姿だ。
急に親しみを感じた。「あなた、F1のファンでしょう。実は私もなんです!」と、心のうちに語りかけた。内緒だったがホンダF1の密かなファンだ。そして、何よりホンダの健闘に心をおどらしている。
バイカーはシニア世代に見える。一定速度を守って道路端を疾駆する誇り高い50ccカブに敬意を表す。フィットの私は抜かずに従った。
50ccのカブに股がったバイカーは、何と、レッドブル・ホンダのジャンパーに、ロゴのステッカーがペタペタつけてあるヘルメット姿だ。
急に親しみを感じた。「あなた、F1のファンでしょう。実は私もなんです!」と、心のうちに語りかけた。内緒だったがホンダF1の密かなファンだ。そして、何よりホンダの健闘に心をおどらしている。
バイカーはシニア世代に見える。一定速度を守って道路端を疾駆する誇り高い50ccカブに敬意を表す。フィットの私は抜かずに従った。
2019年11月10日日曜日
天を見上げて
この秋は15号と19号という2つの強烈な台風に見舞われた。つい先々月と先月の出来事だ。千葉県や長野県を始め各地に豪雨を降らせて大きな被害をもたらした。
被災者の味わった苦痛と今も続いている困難に少しでも寄り添いたい。JELC本教会が連帯献金を呼びかけている。今回も、祈りと献金をもって被災された方々に寄り添うことができればと願う。
おかげさまで、この湯河原は無事だった。山麓に色づく蜜柑を眺める。今年も収穫の季節を迎えられたこと、主日から主日へ御言葉三昧の日々を送れた幸いに感謝。天を見上げると、胸のすくような高い青空だ。
さあ、どうだ!と言わんばかりの秋の空。
2019年11月3日日曜日
新米の向こうに
もう田んぼの刈り入れは終わっただろうか?昔は収穫後の田んぼではよく籾殻や藁くずが燃やされていた。くすぶる煙の臭いに郷愁を誘われたものだった。
先日、新米を買って食べた。うまい!炊きたてのご飯から田畑の風景や農作業を思い起こすのは至難の技だ。だが、米の袋には田んぼを背景に生産者の写真が印刷してある。この人達が作ったんだなぁと思った。
私などはつい腹を満たすため「俺と飯」になってしまう。これが習慣になっていれば、やはりまずい!
ときには、農作業や雨の日、風の日を通して働いてくださった神さまに気づくことも大事だ。美味しさもまた、そういうゆとりの中にある感謝かもしれない。
先日、新米を買って食べた。うまい!炊きたてのご飯から田畑の風景や農作業を思い起こすのは至難の技だ。だが、米の袋には田んぼを背景に生産者の写真が印刷してある。この人達が作ったんだなぁと思った。
私などはつい腹を満たすため「俺と飯」になってしまう。これが習慣になっていれば、やはりまずい!
ときには、農作業や雨の日、風の日を通して働いてくださった神さまに気づくことも大事だ。美味しさもまた、そういうゆとりの中にある感謝かもしれない。
2019年10月27日日曜日
トリック オア トリート!
ず〜っと以前、長男を連れて行った米国で初めてハロウィーンを経験した。衣装の用意がなくて慌てて浴衣を着せてご近所を回った。満面に笑みをたたえたご老人たちがキャンディをトリートしてくれた。
いつしか立場が変わりハロウィーンの夜は迎える側になった。庭の木々に人工の蜘蛛の巣をかける。玄関のジャック・オー・ランタンに火を灯すと、「歓迎!」のサインになる。そして黒ずくめの魔法使いに変装、キャンディを用意して小さい子どもたちを待った。
夕暮れ、大人に連れられてお姫様やお化けに変装した子ども達がやって来る。「トリック オア トリート!」・・・昨日のことのような温か〜い思い出。
いつしか立場が変わりハロウィーンの夜は迎える側になった。庭の木々に人工の蜘蛛の巣をかける。玄関のジャック・オー・ランタンに火を灯すと、「歓迎!」のサインになる。そして黒ずくめの魔法使いに変装、キャンディを用意して小さい子どもたちを待った。
夕暮れ、大人に連れられてお姫様やお化けに変装した子ども達がやって来る。「トリック オア トリート!」・・・昨日のことのような温か〜い思い出。
2019年10月20日日曜日
これこそが要だ
主イエスは「神の国はわたしたちのただ中にある」と言う。そして身近な材料を用いて実にユーモアとウィットに富んだたとえ話を創作し、自らそれを語る。今の世界が過ぎ去らなければ新しい世界はやって来ないという終末論的な「神の国」の宣教とは一味違う。
今日のたとえ話は神を畏れず、人を人とも思わない不正な裁判官が、訴えてきた寡婦を助けるという話だ。
このたとえの意外性は、裁判官が彼女のために便宜を図ってやったその理由にある。うるさくてたまらないという人間的理由によって弱い立場の寡婦は救われたのだ。裁判官の胸の内など誰が知り得よう!「諦めず祈る」は無駄ではないどころか、これこそが要だ。
(ルカによる福音書18章1〜8節)
今日のたとえ話は神を畏れず、人を人とも思わない不正な裁判官が、訴えてきた寡婦を助けるという話だ。
このたとえの意外性は、裁判官が彼女のために便宜を図ってやったその理由にある。うるさくてたまらないという人間的理由によって弱い立場の寡婦は救われたのだ。裁判官の胸の内など誰が知り得よう!「諦めず祈る」は無駄ではないどころか、これこそが要だ。
(ルカによる福音書18章1〜8節)
2019年10月13日日曜日
静まれ!
近年にない大型台風の来襲に危機感が強まる。私も今回はさすがに定番の防災グッズをゲットした。
一ヶ月前の台風では長期の停電と断水が起きた。通信手段の確保のために早速、乾電池式モバイルバッテリーを買いに電気店へ。しかし、売り切れだ!やむなく車から電源を取るアダプターを購入して帰ってきた。
今朝、教会の周りにある諸々のものを教会の玄関と裏口につぎつぎに取り込む。断水に備えて水も汲み置いた。自然を相手に十分などということは到底ありえないが、できることはやったように思う。
刻々と入ってくる台風情報に不安がます。しかし、心を沈めて祈る。「静まれ!」との主のみ声を聞く。
一ヶ月前の台風では長期の停電と断水が起きた。通信手段の確保のために早速、乾電池式モバイルバッテリーを買いに電気店へ。しかし、売り切れだ!やむなく車から電源を取るアダプターを購入して帰ってきた。
今朝、教会の周りにある諸々のものを教会の玄関と裏口につぎつぎに取り込む。断水に備えて水も汲み置いた。自然を相手に十分などということは到底ありえないが、できることはやったように思う。
刻々と入ってくる台風情報に不安がます。しかし、心を沈めて祈る。「静まれ!」との主のみ声を聞く。
2019年10月6日日曜日
からし種ほどの信頼でいい
十字架に向かう主イエスの旅は今日もエルサレムに向かって一歩一歩進んでいく。最後となるエルサレムへの道すがら主は弟子たちに言われた。「からし種ほどの信頼でいい。あとは神が働いてくださる」。
からし種は胡麻つぶとほぼ同じ大きさの種だそうだ。だが、いくら小さくても種は種。種がなければ芽は出ない。さて、困った!からし種はどうしたら調達できるのだろうか??
種まく人である主は言われる「安心しなさい、種はすでに蒔かれた」。そして、主は今まさに私たちに水を与えてくださる。「路傍に蒔かれず、岩地に枯れなかった良き芽生えとなれ!」と慈しんで育ててくださる。
からし種は胡麻つぶとほぼ同じ大きさの種だそうだ。だが、いくら小さくても種は種。種がなければ芽は出ない。さて、困った!からし種はどうしたら調達できるのだろうか??
種まく人である主は言われる「安心しなさい、種はすでに蒔かれた」。そして、主は今まさに私たちに水を与えてくださる。「路傍に蒔かれず、岩地に枯れなかった良き芽生えとなれ!」と慈しんで育ててくださる。
2019年9月29日日曜日
ヒガンバナの賛美
小田原教会の掲示板の下にいつの間にか彼岸花が咲いた。こちらは全く世話をしないのに毎年この季節になると咲く。スクッと空に向かって両手のように伸びた赤いその姿が主の恵みと栄えを賛美しているようだ。
さて、我が家の庭にも?と見るが一輪もない。例年だと彼岸花がいっぱい咲くのだが、夏の終わりに雑草と一緒に球根までも掘り起こしてしまったらしい。雑草、そのままでよかったかな・・・と今にして思う。
何もしないほうが良いときがある。何もできない時すらある。だが、いつでも、どんなことにも主に信頼を置いて感謝して生きてゆく。さあ、赤い彼岸花のように両手を天に向かって上げる。主よ、感謝します!
さて、我が家の庭にも?と見るが一輪もない。例年だと彼岸花がいっぱい咲くのだが、夏の終わりに雑草と一緒に球根までも掘り起こしてしまったらしい。雑草、そのままでよかったかな・・・と今にして思う。
何もしないほうが良いときがある。何もできない時すらある。だが、いつでも、どんなことにも主に信頼を置いて感謝して生きてゆく。さあ、赤い彼岸花のように両手を天に向かって上げる。主よ、感謝します!
2019年9月22日日曜日
普段が不断であるように
やっと一息つけるようになった。何と言っても扇風機の風より自然の風は快い。我が家の猫たちも風通しの良い場所を見つけてそれぞれのんびり過ごしている。こんな穏やかな日々があることが心底ありがたい。
先日のこと、末猫のメルがまた行方不明になった。今度は4日ぶりに飛び込むように帰ってきた。いたずらでお困り猫だが、皆んな揃ってこそやっと落ち着ける。
普段が普段どおりであることのありがたさは知っているつもりが、こんなことでもなければつい忘れる。
「普段」は「いつまでも続くこと」という意味で、本来は「不断」と書くそうだ。こんな当たり前のような日々も暗雲に閉ざされる日々も主の恵みの中にいると知る。
先日のこと、末猫のメルがまた行方不明になった。今度は4日ぶりに飛び込むように帰ってきた。いたずらでお困り猫だが、皆んな揃ってこそやっと落ち着ける。
普段が普段どおりであることのありがたさは知っているつもりが、こんなことでもなければつい忘れる。
「普段」は「いつまでも続くこと」という意味で、本来は「不断」と書くそうだ。こんな当たり前のような日々も暗雲に閉ざされる日々も主の恵みの中にいると知る。
2019年9月15日日曜日
分け合って食べる
こんな言葉に出会った。「『共に食事をすること』が、一緒に食事をする人同士の絆を作り、確認し、深めるものであることは、ほとんどすべての民族・文化に共通することだ。食べ物を独り占めせずに、分け合って食べるというところに、人と人とのもっとも基本的な『共に生きる姿』がある」。
主は今日も社会からはみ出されてしまった徴税人や罪人を招いて一緒に食事をする。彼らは見失われた羊、見失われた銀貨だ。社会が受け入れないこれらの人達との食事は主イエスの生き方をよ〜く示している。
私も見失われた羊か銀貨だった!救われたありがたさが身に沁みる。パウロの宣教の原動力もこれか!
主は今日も社会からはみ出されてしまった徴税人や罪人を招いて一緒に食事をする。彼らは見失われた羊、見失われた銀貨だ。社会が受け入れないこれらの人達との食事は主イエスの生き方をよ〜く示している。
私も見失われた羊か銀貨だった!救われたありがたさが身に沁みる。パウロの宣教の原動力もこれか!
2019年9月8日日曜日
くも
「くも」という詩がある。“空が青いから白をえらんだのです”これは奈良少年刑務所の受刑者の一人である
A少年が書いた詩だ。
日頃寡黙な彼が語った。「お母さんは病院で『つらいことがあったら空を見て。そこにわたしがいるから』と僕にいってくれました。それが最後の言葉でした。お父さんは体の弱いお母さんをいつも殴っていた。ぼく、小さかったから何もできなくて…」。彼は青空を見て、まっ白でふわふわのおかあさんを感じている。
朝夕に涼風の感じられるこの頃、青空に綿のように白い雲が浮かぶのを見ながら、たった一行に込められたAくんの思いの深さを知ったような気がした。
A少年が書いた詩だ。
日頃寡黙な彼が語った。「お母さんは病院で『つらいことがあったら空を見て。そこにわたしがいるから』と僕にいってくれました。それが最後の言葉でした。お父さんは体の弱いお母さんをいつも殴っていた。ぼく、小さかったから何もできなくて…」。彼は青空を見て、まっ白でふわふわのおかあさんを感じている。
朝夕に涼風の感じられるこの頃、青空に綿のように白い雲が浮かぶのを見ながら、たった一行に込められたAくんの思いの深さを知ったような気がした。
2019年9月1日日曜日
天下無敵のオシロイバナだ!
教会の横の道ぎわにある電柱と地面の隙間からオシロイバナが自生して3ヶ月ほどになる。威勢よく茂って黄色い花がいっぱい咲き、さわやかな花蜜の香りが漂う。
こんなわずかな隙間からよくもまあ…と思うとチョット感動的だ。きっと、アスファルトの地面の下には想像以上に潤沢な水があるに違いない。
全く野放図に茂っていて、少々通りの邪魔になるのではと思うが、枝を折ったりする人もなく、枝を轢いて行く車もない。天下無敵のオシロイバナだ!あれはあれで通りゆく人も驚き半分で眺めているのかもしれないな。
直径3ミリに満たないコロコロ種をこんなところで育てるなどとは、やっぱり神の業に相違ない!
こんなわずかな隙間からよくもまあ…と思うとチョット感動的だ。きっと、アスファルトの地面の下には想像以上に潤沢な水があるに違いない。
全く野放図に茂っていて、少々通りの邪魔になるのではと思うが、枝を折ったりする人もなく、枝を轢いて行く車もない。天下無敵のオシロイバナだ!あれはあれで通りゆく人も驚き半分で眺めているのかもしれないな。
直径3ミリに満たないコロコロ種をこんなところで育てるなどとは、やっぱり神の業に相違ない!
2019年8月25日日曜日
はじめの一歩は
昨日、8月恒例となった「平和を想う集い」で、沖縄で生まれ育った岡田和枝さんが謡三線にのせて語った平和への想いは生の声だった。私たちは基地の島の抱える重荷を少しでも荷なわなくてはなるまいと思った。はじめの一歩は聴くこと、知ることから。
また、平和のメッセージで紹介された日野原先生の言葉が印象的だった。国同士の争いと子供同士の争いは実は同一線上にあるという。全くだ!これこそキリスト者の視点だと深くうなずく。
晩年の日野原先生は「命の授業」で子ども達に「ゆるす」ことの重要性を訴えた・・・仕返しではなく、どうしたらゆるす事ができるのかを考えてほしいと。
また、平和のメッセージで紹介された日野原先生の言葉が印象的だった。国同士の争いと子供同士の争いは実は同一線上にあるという。全くだ!これこそキリスト者の視点だと深くうなずく。
晩年の日野原先生は「命の授業」で子ども達に「ゆるす」ことの重要性を訴えた・・・仕返しではなく、どうしたらゆるす事ができるのかを考えてほしいと。
2019年8月18日日曜日
浦島太郎のような時を過ごした
休暇をいただいて、米国ワシントン州に住む二女のところへ行って戻ってきたら、まるで浦島太郎のよう。
たかだか一週間なのに、現実に適応するのにちょっと時間がかる・・・・留守中の手紙を開く…信徒さんが「帰ってきた?」と顔をだしてくださり…滞っていた電話をかける…少しずつ現実に戻される。
留守の間ご近所の方々にお世話になり、猫たちも教会の庭の花々もみな元気だった。この度は、ご近所の助けがなければとても実現しない休暇だった。ここに住んで7年目という年月を実感した。
休暇中、暫し何もかも忘れて解放された。ああ、浦島太郎のような時を過ごしたなぁ〜。感謝だなぁ〜!
たかだか一週間なのに、現実に適応するのにちょっと時間がかる・・・・留守中の手紙を開く…信徒さんが「帰ってきた?」と顔をだしてくださり…滞っていた電話をかける…少しずつ現実に戻される。
留守の間ご近所の方々にお世話になり、猫たちも教会の庭の花々もみな元気だった。この度は、ご近所の助けがなければとても実現しない休暇だった。ここに住んで7年目という年月を実感した。
休暇中、暫し何もかも忘れて解放された。ああ、浦島太郎のような時を過ごしたなぁ〜。感謝だなぁ〜!
2019年8月11日日曜日
主よ、感謝します。
米国に住む二女ところにやって来た。シアトルから車で北へ一時間、州都オリンピアの郊外についた時、針葉樹の間を吹き抜ける涼やかな風が吹いていた。
ここは日本の暑さとは程遠い涼しさだ。日本での流れるような汗の日々のことを思えば、この涼感はまるでヘブン(天国)だと思った。
今朝、庭に出てハーブのルッコラを摘んだ。地元の燻製サーモンとクリームチーズ、それに娘が焼いたパンでサンドイッチを作った。コーヒーと一緒に朝食。
週末には長男夫婦もやって来る。日曜日にはそろって教会だ。礼拝堂に腰掛けて主のみ言葉と聖餐にあずかるこの幸せ!この喜び!主よ、感謝します。
ここは日本の暑さとは程遠い涼しさだ。日本での流れるような汗の日々のことを思えば、この涼感はまるでヘブン(天国)だと思った。
今朝、庭に出てハーブのルッコラを摘んだ。地元の燻製サーモンとクリームチーズ、それに娘が焼いたパンでサンドイッチを作った。コーヒーと一緒に朝食。
週末には長男夫婦もやって来る。日曜日にはそろって教会だ。礼拝堂に腰掛けて主のみ言葉と聖餐にあずかるこの幸せ!この喜び!主よ、感謝します。
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