2020年5月31日日曜日

聖霊は香油のように

 聖霊降臨祭の今日、2ヶ月ぶりに教会に集まって礼拝に与る。この恵み、この幸い、この感謝!
 私達はこの自粛の期間、新型コロナウィルス感染症による不安と孤立の中にある方々を覚えならが祈りの時を過ごした。また「時が良くても悪くても福音を述べ伝えよ」このことについて、前を向いて行くようにと励まし続けてくださった聖霊に感謝する。
 私達はこれからコロナ時代を生きてゆくことになった。私達の生活も礼拝の仕方も変わる。そこに恵みは必ずある。教会は聖霊に信頼する。聖霊は過去の辛い記憶に慈しみの香油を塗ってくださり、私達のうちに調和を作り出してくださる。さあ、聖霊の風よ、吹け!

2020年5月24日日曜日

心と心は近くにいたい

 COVID-19のおかげで私達の物理的距離はすっかり遠くなった。人と人との接触が感染を広めるからだ。
 病院には付き添いも見舞いもできない。重篤な病気での入院手術には付き添ってあげたいに違いない。施設やホームも同様だ。施設で暮らす障害を持つ方のご家族は、月に一度施設から送られてくるその方の写真を見て慰められているという。
 米国では施設の老人の孤独による死亡が増えている。認知症のお年寄りは家族が訪ねてハッグするだけで、家族の愛を確認できたものを…悔しいに違いない。
 人との物理的距離によって私達の心が遠く離れることがないように、主よどうぞ知恵を与えてください。

2020年5月17日日曜日

離れていても感じあえる

 休校になって二ヶ月。「NPOカタリバオンライン」で出会った全国の子供達が今の気持ちを詩にして伴奏をつけた。子供達は自宅からネットで歌っている。
 「世界中が止まっても いつものように朝が来て どんどん今日が生まれてく…集まれないけど集まろうよ 離れていても感じあえる 約束しよう優しい気持ち どこにいても心をつなげたい…」打算や計算のない子どもたちの気持ちがストーレートに伝わってくる。
 「離れていても感じあえる」。このメッセージに勇気が湧く。今、私達に必要な「つながり」の感覚はこれ!互いを思いやる時、主は私達につながり、私達同士をつなげてくださる。聖霊なる主は「元祖つながり」だ!

2020年5月10日日曜日

心の手を握りしめる

 先日、叔母が入所しているホームから知らせが入った。94歳の叔母に熱があるという。「38度4分ですか!」と私。新型コロナウィルスの感染が頭をよぎる。しかし、万が一感染していても、誰のせいでもない。これが天の父が定めた叔母の時だと覚悟を決めた。
 しかし、解熱剤を飲んで翌朝、叔母は平常に戻った。その夜、叔母に付き添ってくださった職員さんは、一時間おきに叔母の体温、血圧、脈拍、サチュレーションを測り、数時間ごとに3回に分けて水分の補給をしてくださったそうだ。
 家族にもできない看護に思わず涙・・・有り難くて感謝を言葉にできない。
 叔母は守られた。時節がら叔母には会えないが、「よかったね~叔母さん!」と、心の手を握りしめる。

2020年5月3日日曜日

それならば・・・と

 緊急事態宣言が一ヶ月先まで延長されそうだ。長引く礼拝や集会の休止に気持ちはどうしてもしぼみがち。どうか、福音につながり続けてほしいと覚悟を決めてYouTubeとFacebookに説教をアップした。
 礼拝と集会の自粛を始めて以来、毎週ごとの説教をメールで配信するかコピーして郵送している。しかし、御言葉は聞くことが大事にされてきたことを思うと、ネット上であっても聞けることは一つだ。そういう声に押されて恥ずかしながら試みることにした。
 不慣れなレコーディングを何回もやり直すうちに元の説教原稿から外れてしまったが、とにかく初めの一歩だ。少しでも主日メーッセージに触れていただければ幸い。

YouTube で "日本福音ルーテル小田原教会湯河原教会" と検索してみてください。説教ビデオの閲覧ができます。

2020年4月26日日曜日

心は燃えていたではないか!

 鶯の澄んださえずりが近くの木陰で聞こえる。気がつけば桜はすっかり葉桜となり、木々の若葉が美しい。
 丁度いまごろの季節、二人の弟子がエマオへの道で復活の主イエスに出会った・・・。
 ロバート・ズンドの「エマオへの道」は青空のもと、緑豊かな春の道で主を挟んで歩く三人の後ろ姿が描かれている。大好きな絵の一つだ。
 「道で話しておられるとき、聖書を説明して下さったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか!」と、後になって気づいた二人の弟子の感動に思いを馳せる。彼らが言う「あのとき」とは「一緒に歩いているこのとき」なんだ!いいなーと想像が膨らむ。

(エマオへの道 ロバート・ズンド と検索してみてください。絵が見られます)

2020年4月19日日曜日

ひねくれ者にも祝福だ!

 弟子達はユダヤ人を恐れて家に鍵を駆けて閉じこもっていた。復活の主はそこに現れ、真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と祝福してくださった。
 ところで、トマスはみんなが一緒にいたときにどこに行っていたんだろう?理屈屋でちょっとシニカルな彼は仲間から一人外れるひねくれ者だったかもしれない。主はそんなトマスを愛して、もう一度同じ状況を再現して下さった。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言って下さった。
 そういえば「お前はひねくれている」と生前の父も先生方もよく言ってたなぁ・・・思い出して、なんだか懐かしい!バンザ〜イ、ひねくれ者にも祝福だ!

2020年4月12日日曜日

アーメン。主は復活された。

 「主は復活された。ハレルヤ!」主イエス・キリストのご復活を皆様と共に心からお祝いいたします。
 今年はやむなくイースター礼拝を教会で皆さんと一緒にではなく、各ご家庭で与っていただくことになりました。
 しかし、私たちは依然として聖書を読み、祈ることが許されています。なんと幸いなことかと思います。皆様お一人お一人に、主の復活の喜びが届きますようにと心からお祈りいたします。
 まだ緊張や不便な状況が続きますが、試練に耐えることが日常であった禁教の時代を想い起こします。今日私たちは復活の主に出会いました。主から愛された者として“隣人への愛の配慮を心に”と願うものです。

2020年4月5日日曜日

満開の桜に誘われて

 Covid-19の感染拡大を思えば気持ちは沈むが、満開の桜に誘われて、すっかり慣れた小田原への行き帰りの道、桜を見ながら行くことにした。
 旧造幣局の桜並木道を通りながら、「ここはY兄が案内してくれた場所だったね」と家人と話しながら通る。
 Y兄はこころの病気だった。救われたいと洗礼を願って授けられた。そして4年後にちょっとした怪我がもとで天に召された。本当にあっけなかった。
 満開の薄墨色の桜を見ながら、今は天にいるY兄に、「この桜、一緒に見たよね」と話しかける。桜の色がなんだかいつもより灰色っぽく感じるのはこちらの気持ちのせいなのか。今年、桜は薄墨色がいいと思う。

2020年3月29日日曜日

誰のための自粛か

 今や世界中に感染が広がった新型コロナウィルス、日本でも都市を中心に感染の拡大が止まらない。
 先日も用事があって熱海の繁華街を車で通ったが、若者たちの多さに驚いた。ある店の前には黒山の人だかり。人と人との距離を開けるという社会的距離など、どこ吹く風といった様子・・・少々気が滅入った。
 Covid-19の感染が国民の60%〜70%に及ぶと予測されるという専門家の見解を受けてのドイツのメルケル首相の言葉が印象的だ。「高齢者とリスクのある人々を守る為に、私たちの団結と理性とお互いを思いやる心が試されている」。今この言葉の重みを噛みしめる。「私は大丈夫」という正常性バイアスに陥るまい!

2020年3月22日日曜日

鎮座ましたサボテン

 一年に一度、丁度クリスマスの季節に花をつけるシャコバサボテン、教会のクリスマス用にと家人が挿し芽で増やした結果9鉢になってしまった。
 日の当たる南の部屋で育てたいと言うので、フラワースタンドをネットで注文した。待つこと1ヶ月半。
 3月の初めに荷造りテープでぐるぐる巻きにされて届いたのはある国からの国際宅急便。驚いたのはそればかりではない。部品のサイズが合わないのだ。組み立てに難航する。「な〜に、単純作業さ!」と気分転換に毎夜30分、2週間かけてとうとう完成。やったぞ!
 春の日差しの中に鎮座ましたサボテン、その鉢に同居して名も知らぬ草が小さな黄色の花をつけている。

2020年3月15日日曜日

今、新鮮に映る

 Covid-19の感染は世界に広がった。私の楽しみのF1レースも中止。「やっぱり!」だが、しかたがない。
 そんな中、「仕事がキャンセルになって、聖書を読む時間が増えました」という方がいて、いいなーと思う。
 「おもしろいことをしてみよう。なんにもなくても、げんきでいなくちゃいけないもの」という言葉が思い出された。『あおい目のこねこ』という絵本の一節だ。
 ネズミの国を見つけにゆく元気な子猫は、黄色い目の5匹の猫たちから青い目を馬鹿にされながらもひょうひょうと生きていく。困難に出くわしても「なーに、こんなこと、なんでもないや」と意に介さない。
 きわめて前向きな子猫の姿は、今、新鮮に映る。

2020年3月8日日曜日

空の鳥、野の花を見よ

 新型ウイルスの目に見えない脅威で世の中は活動自粛の方向にますます傾き、根拠なきデマが飛び交う。
 薬局やスーパーでガラリと空いたスペースの棚があって、はてな?と思った。それがトイレペの買い占めだったと後から知ってビックリ!今朝もトレペを買って道路も見ずに渡ろうとしている人がいた。トレペに夢中になり事故にあっては元も子もないのに・・・。
 「空の鳥、野の花を見よ」という主の教えが今更よみがえる。空を飛ぶ鳥の自由さ!野に咲く花の無心なこと!自分が生きているんじゃない、神が生かしてくださるのだと気づく。先へ先へと私を追い立てる脳みそをストップさせ、主の前に口を閉じで静まる。

2020年3月1日日曜日

神の子の道

  コロナウイルスで落ち着かない日々が続きそうだが、こんな時こそ今が四旬節であることを覚えたい。
 今日、主イエスは荒野に導かれて悪魔の誘惑にあう。パンの誘惑、肉体を傷つけない誘惑、力の誘惑だ。
 民衆を魅了する肉のパン。自分の肉体が安全であることの保証。全世界を手中に収める権力。この3つが手に入れば神の国の完成はいとも簡単のはず。
 しかし、主はパンではなく真のいのちに導く救いのパンによって、傷つかないことではなく十字架上で自分の体が傷つくことで、人を力で屈服させるのではなく人が自由意志で喜んで神に従うようにと、全ての人を救ために「神の子としての道」を選ばれた。

2020年2月23日日曜日

直球勝負

 先日、Iさんの召天三年目の記念の祈りがあった。その日、河津桜が満開の墓苑にIさんのかつての仕事仲間であった親しき友人たち数人も集ってこられた。
 Iさんは洗礼の後、3年ほどで召された。その間、入退院を繰り返しながらも神の国の希望を持って、「赦し」と「救い」について身近な人達に語っておられた。そのことを思い巡らしながら説教をさせていただく。
 記念式の後の懇談で一人の方から質問された。「自分が赦されるにはどうしたらいいですか?」まさに直球が飛んできた!他の方も興味津々で耳を傾けている。Iさん、今も天から祈っておられるのだな〜。ここは伝道のチャンスだと、この時を主に感謝した。

2020年2月16日日曜日

一番痛いところだなぁ!

 主は山上の説教で私たちを8つの幸いで満たし、地の塩、世の光だと祝福してくださった。その後で、キリスト者の新しい生活を示される。ドキッとするが今日「心の殺人」「心の姦淫」を戒めてくださる。
 「誰しも腹を立てるくらいは仕方がない」と、どこかで自分にお墨付きを与えてはいないだろうか。法というものは決して内的在り方にまでは踏み込まない。法は外に現れた行為に対して拘束力を持つからだ。
 主は、もう律法に従うだけのトレーニングの時代は終わったと言われる。まさに「行動」ではなく、法では拘束されない目に見えない「心の有り方」が問われている。何と言ってもここが一番痛いところだなぁ!

2020年2月9日日曜日

主よ、憐れんでください

 お隣の国、中国では新型コロナウイルスの感染が止まない。感染者と死亡者の数が日々増え続けている報道に胸が痛む。関係者の苦難を思えば決して他人事でない。主よ、この苦境を乗り切らせてくださいと祈る。
 それにしても、花粉症などでマスクの必要な方もおられよう。が、マスクは品切れ。インターネットで普段の10倍もの値段で転売していると言うから呆れる。
 かつてヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行した。「死の舞踏」に描かれる恐怖は当時の現実だ。また足に大きな腺ペストのコブのあるキリスト像を見たことがある。人々はこれをさすりながら祈ったのだろうか。「主よ、憐れんでください」と聞こえてきそうだった。

2020年2月2日日曜日

でっかくて重い

 昨年の年の暮れのことだ。Tさんが泥だらけのかぼちゃのようなものを持ってニコニコ顔で来られた。
 「家の畑を掘っていたら、こんなのが出てきたよ!」蒟蒻芋だった。「へー、これが蒟蒻芋か!」生まれて初めて見る蒟蒻芋は予想外にでっかくて重い。
 さて今年に入って、4キロのこの芋からKさんが手間暇を惜しまずたくさんの蒟蒻を作ってくださった。作り方を聞いたが、私にはまったく魔法のようだ。
 礼拝後の昼食で、美味しくて食感抜群の手作り蒟蒻を皆で楽しむ。湯河原教会の兄弟教会にも蒟蒻を分かち合った。畑の隅に育った天の恵みは広がって教会家族の食卓に一役かってくれた。分かち合いの幸いだ!

2020年1月26日日曜日

教会家族

 今年も教会の年次総会が近づいてきた。昨年の振り返りをし、新しい年の宣教を思い巡らす・・・このところ、そんな時間を過ごしてきている。
 昨年から教会家族ということを思っている。お互いに欠けはあるけれども補い合って、助け合ってやっていく・・・なんか、いいなーって思う。
 今日、主は人を選んで従えと言う。主に選ばれた者とはキリスト者のことだ。私も日々主の示しに従って眼の前の人と出来事に向き合っている。私は何も誇ることができない。優れているから選ばれたのではない。主はもっとも弱く、貧しい人を選んですべての人を救おうとされている。それが教会家族から始まるんだ!

2020年1月19日日曜日

我が足元の生活から考えてみる

 今日のこの寒さはこの冬初めてと言っていい。さすがに冬だと実感できるのはおかしなことだが安心だ。
 この冬の暖かさは気にかかる。「こんにちは、暖かいですねー」という挨拶が通りでよくかわされている。「これでは夏が心配です」と言われる方もいる。これらは身近に感じる心配ということだが、実際は地球の気候変動が危機的になっているということだ。
 16歳の少女、グレタさんのことが頭をよぎる。彼女の訴えは正しい。私たち大人はこの地球を未来に残すために何ができるのか?「持続可能性」という言葉は18世紀に突然文明の滅びたイースター島の教訓から知った言葉だった。我が足元の生活から考えてみる。